今回の珍車は伊予鉄道のモハ50形です。
その数を減らしつつあるとはいえモハ50形は松山市内線用の主力車輌です。
これを珍車にするとはいよいよネタがつきてきたなと思われるかもしれませんね。
しかしよくよく考えてみても やはりモハ50形は珍車です。
まず21世紀の今、二桁の車番を持つ営業用車輌はもはや希少な存在です。
かつて二桁の車番はローカル鉄道では当たり前の車番でした。
大手私鉄でも名鉄がローカル気動車に二桁の車番を付与していました。
西鉄宮地岳線の旧型車もそうでした。路面電車タイプでは東急世田谷線の旧型車に京阪の80形…。
でもこれらはすべて姿を消してしまいました。
現存するものといえば事業用車両やケーブル車輌はさておき、二桁の車番で思い浮かぶのは嵐電や江ノ電、そして函館市電のレトロ電車などです。
これらはレトロ電車にふさわしい番号として二桁番号を与えられたものです。
そうです。二桁の車番はそれだけで歴史を感じさせるのものなのです。
思えばモハ50形の製造初年は1951年です。還暦を過ぎ もはや喜寿に迫ります。
当然、伊予鉄道でも世代交代は進められつつありモハ50形は全盛期の33両から9両へ(2024年現在 51.54.66.70.72.75~78 )と数を減らしてはいます。
しかし未だ現役で使用されているのです。これはすごいことです。
さて、そんなすごいモハ50形はどんな電車なのでしょう?
見てゆくとそのバリエーションの豊かさに驚かされます。
この点をとってみても珍車といえます。
モハ50形 初期形(ナニワ工機製)
51-53(1951年製)54-55(1953年製)

モハ50形は市内線初のボギー車。デビュー当時 出力は38kw×2で 直接制御でした。
56-58(1954年製)59-61(1957年製)

入口扉を車端部から中央寄りに変更しました。
59-61では台車を変更、運転台中央窓も幅広になりました。

モハ50形 後期形
62-64(1960年製)65-69(1962年製)

61と62。見た目が全然違いますね。
後期形は3本のリブが特徴のバスボディ型。ナニワ工機製の軽量車体です。
初期形の15.1tに対し12.0tとなりました。
これだけで形式を変えてもおかしくないところです。中身もまた大きく変わっています。
出力も38kw×2から50kw×2にUPしました。
そして制御器も直接制御から間接非自動制御(三菱製HL-72-6D)に変わっています。
1962年製以降は前扉が1枚扉に戻りました。
70番台は帝国車輌製でリブがなくなり自重が13.0tとなりました。70-73(1963年製)74-78(63-65年製)

画像をご覧ください。先ほどの後期形62号機と同じ電車に見えますね。
形式も同じモハ50形です。しかし1001と車番が記されています。
何がどう違うというのでしょうか?
1001-1003は呉市交通局の1000形として登場したグループです。(1959年:ナニワ工機製)
こちらも3本のリブが特徴となるバスボディの手法による軽量車体で呉市交通局軌道線が全廃となる1967年の前年に移籍してきました。
それにしても62と同じスタイルですね。
62の登場は呉市1000形に遅れること1年。
1000形の影響を強く受けたといわれる3本リブが特徴の軽量車体です。
出力は50kw×2、制御器も同じく間接非自動です。
特に62-64と1001-1003とは寸法もほぼ同じで このことから1001-1003はモハ50形を名乗ることになるのです。
ただ1000番台のほうが1t軽くなっていることは見逃せない点だと思います。
呉市電のルートは川原石~呉駅前~呉越峠~阿賀駅前~広大橋~広交差点~長浜の11.3kmでした。
呉線沿いのルートといえばそうなのですが、地図で確認してみると結構起伏があるのです。
呉線をオーバークロスするところもありますし現在 休山トンネル(約1.5km)でショートカットされている呉越峠を呉市電は越えていました。これはもうズバリ山道です。
これといった勾配のない松山市内線とは使用環境が大きく違っていたことを知っておく必要があると思います。
ブレーキはポピュラーなSM-3(直通空気ブレーキ)でこれはモハ50形すべてに共通します。
ただブレーキ弁はというと1000番台はPV-3ではなくSA-2Mでした。
これはセルフラップ方式といわれるもので、保守が困難という欠点はありますがブレーキハンドルの角度に応じてブレーキ力を得られるというもので当時高性能な路面電車に採用されたものです。
1000番台はそのスタイルからモハ50形後期形62-64と同一視される向きがあるのですが、モハ50形の多様性を示すグループとして一目置くべき存在です。
他社局から転属してきたものがもう一つあります。

81(1963年:日立製)は、南海和歌山市内線321形324として登場しました。
1971年軌道線全廃により移籍、伊予鉄では81の車番となりました。
ところでなぜ1000番台と違ってこちらは改番されたのでしょう。
それは鉄道線車両に三桁の車番が割り当てられていたからと思われます。
このようにモハ50形には様々なグループが存在していました。
少なくとも4形式に相当するように私には思われます。
さて、バリエーションだけではありません。長く生き延びたのには理由があります。
初期のモハ50形も勿論、昔のままではありません。
51-55では扉は車輌の両端にありましたが、後部扉が車端部から中央寄りに変更されました。
直接制御は、後期形同様、間接非自動制御に改められました。
日車製NC-579です。これは京都市電2600形についていたものです。
勿論冷房化もなされました。冷房改造は後期形も含め1981年から着手され3年で完了しています。(81のみ施工されず。)
このようにしてモハ50形として仕様を合わせ今を生き抜いてゆく努力が続けられていたのです。
そんな流れにあって、生き残れなかったグループもあります。
もと南海和歌山市内線321形の81です。1987年に廃車されました。
冷房改造の対象から外れたことが大きいですね。
そしてもと呉市電1000形であった1000番台。
前照灯の位置も変え冷房化もなされました。また一部はブレーキ弁も取り替え、仕様の統一を図りました。
しかし、2000~2004年に廃車されました。
自慢の軽量車体は残念ながら痛みが早く一足先に姿を消すことになったのです。
同じく伊予鉄オリジナルの軽量車体モハ50形後期形(62-65)も2003年より廃車が始まりました。
対して初期形51は2025年の今も現役ばりばりです。

この画像は2025年の3月に撮影したものです。
クーラーのキセが一新され 行き先表示器がオールカラーのLEDに改められていました。
イベント用として動態保存的に残されているのとは違うようです。
あと3年は使われることでしょう。
ここでモハ50形初期形が生き延びられたわけをまとめてみましょう。
車体は軽いに越したことはないのですが、路面電車にとって大事なのは頑丈であること。
ただし重すぎては足並みが揃わないので更新時にはモータを換装し出力アップ、後期形と出力を合わせました。
併せて制御方式も統一しメンテナンス時の煩雑さを避けるということなど。
時代に合わせたシンプルなスタイルを目指したことが長寿の秘訣です。
さて2002年3月。松山市内線で伊予鉄道では初めてのVVVFインバータ制御車両がデビューしました。モハ2100形です。
アルナ工機(現:アルナ車両)の提唱する超低床型路面電車「リトルダンサー」のタイプSになりますがリトルダンサーでなくとも、LRTとよばれる電車の中で単車車両は珍しい存在です。

ところで この最新形である2100形なんですが、いくつかの疑問点があります。
低床で乗り降りはしやすいのですが旧型であるモハ50形に比べても2100形はデメリットがやたら目につくのです。
まずはその重さです。
全長はモハ50形(後期形)の11,500mmに比べ12,000mmと大差はありませんが、自重は12.9tに対し20tです。
半世紀以上前に作られた1951年製のモハ50形初期形でさえ15.8tですからこの重さがいかに突出しているかがおわかりいただけると思います。
結果、モーター( TDK-6250-A)の出力は60kw × 2となりました。
モハ50形の二割増しですがせっかくインバータ制御で省エネを謳ってもこれでは…という感じです。
また画像を見ておわかりいただけると思いますが、モハ2100形は台車部分を両端に持って行くことで客室を低床化する構造です。
いいアイデアといいたいところですが、台車部分は運転台が大半を占めデッドスペースができてしまいました。
またホイールベースが長いことからカーブが曲がりにくくなり 車幅を200mm狭くせざるを得なくなっている点もデメリットです。
モハ50形の定員80人に比べ2100形は47人と少ないのはこの構造ゆえです。
同じくアルナ工機の提唱する「リトルダンサー」に鹿児島市交通局1000形があります。

モハ2100形と同じく2002年に営業運転を開始したLRTです。
(数ヶ月の差でこちらが初の純国産超低床路面電車となります。)
運転室付きの車体(A・B車体)の間に中間車体(C車体)をフローティングさせた3車体連接構造です。
関節をもつ3車体電車ということからタイプはA3となります。(A は Articulate(関節で繋ぐ)のA)
全長 は14,000 mm、車両定員は55人です。重量は19t。
2mも長く定員も8人多いのに重量はモハ2100形より1t軽いのです。
台車は車体に固定されており独自には回転しません。
車体が折れ曲がる構造ですから車幅もゆったり2,450 mm。
伊予鉄道もこのタイプにすればよかったのにとも思えるのですが、そうはしませんでした。
それは伊予鉄道が鹿児島市電1000形の複雑な構造を嫌いあくまでシンプルなスタイルを目指したからではないでしょうか。
永く使い続けるために…。その答えはモハ50形にあります。
伊予鉄道のポリシーは引き継がれていたのです。
*この記事は2015年3月に書いたものがベースとなっています。
参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 路面電車 1976年/1994年/2000年/2011年版 No319/593/868/852
路面電車ガイドブック 1976.6 誠文堂新光社
| -路面電車研究- →鉄道車両写真集index |
| 伊予鉄道 松山市内線 モハ50形 ①:51-61 ②:62-78 ③:81/1001 / モハ2000形 モハ2100形 モハ5000形 |
参考:リトルダンサーシリーズ(アルナ工機→車両製)
札幌市 A1200形(2013年)阪堺電軌1001形(2013年)1101形(2020年)、
筑豊電鉄5000形(2015年)、とさでん交通3000形(2018年)
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