2007年7月、国土交通省航空鉄道事故調査委員会は、JR宝塚線脱線事故に関する最終報告書を提出しました。
2005年4月の事故から、2年あまりの歳月が過ぎていました。
ここであらためて、犠牲者となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方は、もちろんのこと、この事故により心身の傷を負われた全ての方々のためにも、この事故から得られた教訓を決して風化させてはならないと思います。
JR宝塚線の事故で犠牲になった車両は、207系です。
JR西日本 クハ206 1033 S18編成 事故に遭う前の2005年2月12日撮影
新大阪駅
Z16 編成 92.2 日立製(廃車) | S18 編成 95.3 近車製 | |||||||
編成位置 | 1両目 | 2両目 | 3両目 | 4両目 | 5両目 | 6両目 | 7両目 | |
車両形式 | クハ207 | モハ207 | モハ206 | クハ206 | クモハ207 | サハ207 | クハ206 | |
車両番号 | 17 | 31 | 17 | 129 | 1033 | 1019 | 1033 |
207系は、私鉄王国といわれた関西地区で、いかに通勤客を取り込んで巻き返しを図るか。
JR西日本が、その命運をかけて登場させた通勤形車両です。
私も日常利用する車両であり、前述の報告書において、「軌道や車両に脱線要因はない。」とされたことでほっとしたわけですが、これを機に、この、207系について、見直してみたいと思います。
私鉄王国関西への挑戦--JR西日本 207系 F1編成--
207系 C1編成⑦ クハ207形(先行試作車) クハ207-1 淀川電車区
撮影場所:鴫野
207系は、国鉄時代に営団千代田線乗り入れ車両として、900番台が既に存在していました。
国鉄初のVVVFインバータ制御車であり、もちろん試作的要素が強いものでした。
さて、JR西日本の207系は、同じくVVVFインバータ制御車ではありますが、900番台とは全く違うコンセプトで作られた別系列の車両です。
今回ご紹介する、91年1月に作られたF1編成(当初はC1編成)は、前述の900番台(試作車)と区別するため、量産先行車と呼ばれ、実際その年の12月には量産車が増産されるのですが、JR西日本としては、これも試作編成と位置づけています。
さてそのコンセプトは、
1、次世代にわたって通用する通勤形電車とする。
2、地下乗り入れ仕様とする。
3、徹底した省力化、省エネ対策を行う。
4、私鉄王国関西で他社に負けないグレードとする。 です。
モハ207-1 | (先行量産車) | 1991年1月 | 川崎重工 製 |
---|---|---|---|
長さ(m) | 幅(m) | 高さ(m) | 自重(t) |
20.000 | 2.950 | 3.700 | 35.0 |
駆動方式 | 制御器 | モーター(kw) | ギア比 |
平行カルダン | WPC1(1C2M) VVVF制御(GTOインバータ) |
WMT100 175×4 |
7.07 |
ブレーキ | 定員(座席) | 冷房機 | 台車(製造) |
電気指令式空気ブレーキ(回生付き) | 142(48) | WAU702 kcal/h×2 |
WDT-52 |
鉄道車両諸元表:出典は鉄道ピクトリアル 新車年鑑 |
207系は、地下鉄線として建設されていた片福連絡線(現在のJR東西線/1997年3月8日開業)に投入するため、当初から地下鉄線を走行可能な車輌として計画されています。
JR東西線はアーバンネットワークの要であり、阪急に対して、とりわけ劣勢であったJR宝塚線を活性化させる鍵となる路線です。
大阪市内中心部から、学研都市線へ直通する利便性をアピールすることで、段落ち(三田方面からの旅客が、宝塚駅で阪急に乗り換えてしまうこと。)を解消し、大阪市内から宝塚、伊丹方面への利用者をも取り込んでしまおうとJRは考えました。
阪急は、車両のグレードでも高く評価されています。
207系では、そんな阪急にひけをとらない、明るく広々とした車内空間を創り上げました。
畳一畳は優にある大型の側窓に加え、貫通路の位置をずらすことから、大型化された妻面の窓が、とても新鮮でした。
そしてスピードです。もともと線形は悪くないのです。快速列車を運転することで速達性でも優位に立つことを考えました。
207系にあっては、通勤形車両として必須の高加減速性能(全領域で205系を上回ります)を求めながら、最高運転速度を120km/hとしました。
阪急に狙いを定めた戦略的な、いや攻撃的と言ってもいいような車両といえそうです。
…結果として、こうした企業の姿勢が、事故を招いたのだということも可能かもしれません。
しかし、一番問題なのは、JR西日本という企業が、社員に対する思いやりの気持ちを欠いていたことにあるのではないかと思っています。
事故を起こした列車に乗務していた車掌さんは、遺族の方々におわびの言葉を述べることはありませんでした。
朝日新聞の記事からすると 自分の非を認め、詫びることが会社に利用されるのではという思いが強くおありのようでした。
報告書において、車掌さんの責任は問われることなく、彼も安堵されたようです。
事実、彼に責任を求めるのはあまりにも酷です。
しかし謝罪の言葉がなかったことに遺族の方々のやるせない気持ちもあったのも事実ではないかと思います。
-----スピードが超過していることを、本当に知らせることができなかったのか…
関西のある私鉄では、停車駅が近づいてくると「チン!」と車掌さんが、ベルで知らせます。
いつものことながら絶妙のタイミングです。
運転手さんは、それに応え、ブレーキをかけます。
私はこのやりとりにいいようのない安心感を感じるのです。
運転は運転手の仕事で、運転手の責任だと、言い切っていいのでしょうか。
人間はミスをする動物です。
それを現場の人々が助け合い補ってこそ、大きな取り返しのつかないミスを回避できるのではないでしょうか。
そして会社は、そんな現場の人々を 守り、支える ことが使命であると思います。
2007年6月 仕事でJR西日本の本社を訪れました。
GUESTのプレートをつけていたからかもしれませんが、社員の方々はすれ違う度に、挨拶を(それも声に出して)してくださいました。
もちろん何の不自然さもありません。
JR西日本という会社の何かが変わった--私はそう信じたいと思います。
閑話休題。
207系量産車は1000番台も2000番台も、なぜ4連+3連なのでしょうか。
207系が登場する2年前の89年3月。
JR西日本は、木津- 長尾間の電化にあわせ、快速の運転区間を拡大することになりました。
ところが木津-長尾駅間は7両編成に対応していません。
そこで103系を分割併合仕様に改めることにしたのです。
学研線の末端部は単線でしたし、乗客も激減しますから当然でしょう。
④号車(サハ103)と⑤号車(モハ103)の双方に自動解結装置が取り付けられ付属編成4連+基本編成3連に分割されました。
ただサハ103については、床下機器の位置に問題があり方転改造をしたことから、新形式のサハ102(=5001~5013)が付与されました。
モハ103についても運転台も新たに取り付けられたことから、クモハ103(=5002~5016)となっています。
参考:103系5000番台 C編成(淀川区)
207系はその後を受けて分割編成対応となったのです。
1991年12月 量産車は4連と3連が淀川電車区に配置されました。
松井山手 – 木津間はホーム有効長が4連まででしたので松井山手で増解結が行われました。
1000番台は97年の東西線開業にあわせて94年から追加されたグループ。
1C1Mに変更、急勾配の多いJR東西線に対応するため、主電動機は出力 200 kW の WMT102にパワーアップしました。
(3次車および4次車は出力 220 kW の WMT104)
増解結編成は当然、東西線に乗り入れます。1000番台も4+3で増備されました。
0番台についても加速度を1000番台にあわせています。
2000番台は2002年から増備されました。VVVFインバータ措置がIGBTになりました。
2002年3月にはJR三山木 – 松井山手間の輸送改善工事が完成、増解結駅が松井山手から京田辺に変更されましたのでこれも4+3で増備されました。
とはいえ、207系は加古川、篠山口-近江舞子、野洲までも乗り入れその全てが7連です。
対して京田辺-木津間を走る短編成列車は昼間は30分おきです。
はっきり言って、0番台量産車147両で増解結編成は間に合ってたのではないでしょうか。
2005年(…あの事故の年です。)12月に321系が導入されます。7連固定です。
2006年3月から207系と共通運用されるようになり、2008年3月にはJR東西線・学研都市線(京橋 – 松井山手間)での運用も開始されました。
2010年3月に木津まで7連対応になり、207系は増解結を取りやめました。
それに見合うほどに需要が伸びたというよりは、増解結するには人手がいるので人件費を抑えるためと考えるべきでしょう。
その後、2012年3月からは207系と321系は完全な共通運用となるのです。
1000番台や2000番台が短編成で量産されたことについて、
私はいずれ広島や岡山に転属させるものだと思っていました。
しかし227系(3ドア車)を量産し115系、105系(3ドア車)を置き換えるようです。
4ドア車と言えば201系ですね。でも、おおさか東線、大和路線で使用されているのは6連です。
207系を分割して運行することは考えられないですね。
4連ということになれば、奈良線の103系、205系(または湖西線ローカルの113系)というところでしょうか。
221系を撤退させることは考えにくいので、ホームドアのことを考えても新たに4ドア車である207系を投入しづらいです。
仮に207系4連が転属したとしても、10編成ほどです。他は当分、現状維持となるでしょう。
使われることない運転台に電気連結器は山ほど残っています…。もったいない話です。
結果論ですが、唯一、7連固定で活躍を続けた207系F1編成。
彼女だけが20年先を見据えていたことになります。
さてF1編成ですが、その登場時、両開きでありながら、一枚の窓のように見える扉の形状が、識別のポイントでした。
しかし、量産化改造され、連結器とその下にある番号表示だけが識別のポイントとなりました。
普段利用していても、なかなか気づくことはありません。
また、500両に迫る大所帯のため意識していてもめったにやってこないのです。
下の写真は、高槻駅で見つけたF1編成とその連結器部分のアップですが、
朝のラッシュに血相変えてホームを走り抜け、カメラを構える私はいったい何者と思われたことでありましょうか。
(決して真似しないでください!。)
初出:2007年7月1日
-鉄道車両写真集- |
207系 先行量産車C1編成→F1編成 / 207系 0、1000、2000番台 旧塗装 /207系 0、1000、2000番台 新塗装 へJUMP |
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