「マイテ49-2 」に乗車できる!?。
私にとって、マイテ49-2は大阪環状線 弁天町駅にあった交通科学館(のち交通科学博物館)に展示されていた貴重な車両です。
復元されたのは知っていましたが一般の乗客が乗れるモノとは思いもしませんでした。
2006年夏「SLやまぐち号」がC57とC56の重連で運転される日にマイテ49-2が連結されていることを知ってはいました。
ですが、まさか乗車できるとは思ってもみませんでした。
ですから同僚のサイキョージ氏に、
「TWEのサロンカー同様「SLやまぐち号」の指定券さえあれば、乗車できるよ」
と教示していただいた時も「本当に?」という思いでした。
しかし乗車できるというのならなんとしてもマイテ49-2のそれも展望室に乗りたいという気持ちが昂じてきます。
そのためには、たとえ数時間、並んででも…と津和野駅に向かいました。
2006年7月30日、午後のことです。
下りやまぐち号は到着後、入れ換え作業を済ませて、改札口とホームの間の側線に待機しています。
まずは、マイテ49の撮影をしようと一足早く入場し、改札を通ろうとしたときのことです。
「やまぐち号に乗車するのでしたら入れませんよ」と駅員さんに制止されました。
駅員さんによると
「初めのうちは皆さん。マイテには乗れないもんだと思っておられたようですが、
いまではマイテ目当てで並ばれることが多くなりましたので改札制限をしているのですよ」
とのことでした。しかし、ホームに入線してからでは、客車の足回りが撮影できません。
「珍しい三軸ボギー台車であるTR-73の撮影がしたいのです」と理由を説明すると、
「では、撮影を終えたら、また戻ってきてください」と撮影を許していただきました。
さて撮影を終え、再び改札口に戻ってみると、もはや数人の乗客が並び始めています。
「ふーん、誰もが同じようなことを考えていたんだなあ」
と感心しながらもはやる心を抑える私でした。
改札が始まると、誰もがいっせいにマイテをめざして駆け出します。
でも列車はまだ入線していません。
乗車位置を示すものがないのでどこで並べばいいのかわからず、皆さん右往左往されています。
出遅れた私は 長年のカン でここと決めて並びました。
幸いドンぴしゃだったおかげで憧れの展望室に座れることが出来ました。
(すぐに満室になったのはいうまでもありません。)
高嶺の花 マイテ49
開放式のバルコニーから手を振る特急列車の乗客の晴れがましい表情。
そんな選ばれた人々の晴れ舞台である展望車バルコニーへの入り口は施錠されていて中に入ることは出来ませんでした。
しかしこの車自体、誰もが気安く乗れるというものではありませんでした。
かつてこの車に乗るために、いったいどれくらいの費用がかかったのでしょう。
調べてみると、まだ一等車が存在していた昭和33年当時、マイテ49「特急つばめ・はと」に乗って東京から大阪に行くには、特別急行料金2,880円と旅客運賃(一等)4,760円、合計7,640円が必要でした。
普通列車(三等)だけで行けば990円でしたから、実に7.7倍です。
ちなみに現在、東京-新大阪間を「のぞみ」のグリーン車で行けば、運賃・料金は19,870円。
これは、普通料金の約2.3倍ということになります。
マイテ49に乗ることが、いかに高嶺の花であったかがおわかり頂けましたでしょうか。
しかしそんな車両に特別な料金もなく乗ることが出来たのです。
マイテ49-2の値打ち
いやいやお金のこともさることながら、このマイテ49-2に乗ることの値打ちは、その歴史にあります。
昭和13年9月。鉄道省大井工場でスイテ37041として生まれたこの車は 東京-下関間の「特急富士」の最後部に連結され、その顔として活躍を始めました。
しかし戦争が激化する中、昭和19年 特急「富士」は廃止。
マイテ49は疎開させられていたことで戦災に会うことは免れましたが、戦後、GHQに4年間接収され連合軍が仕立てた特別列車に使用されるのです。
劣悪な環境のもと買い出し列車に乗っていた人々はどんな思いでこの列車を見ていたことでしょうか。
しかしマイテは、新生国鉄の看板列車特急「はと」として復活。
国民に「旅への夢と憧れ」を与え続けました。
そして「特急つばめ」が電車化されるまで国鉄客車の花形、フラッグシップとして君臨したのです。
交通科学館に保存されていたのは伊達ではありません。
今、私はそんな凄い車両の乗っているのだと思うと、感動もひとしおでした。
三軸ボギー台車の「タンタンタン…タンタンタン…」という軽快なリズムに身をゆだねながら至福の1時間44分。
この日、私は「SLやまぐち号」の旅を満喫することが出来ました。
マイテ49_2 車歴表
スイテ37041 | スイテ49 2 | スイテ49 2 | マイテ49_2 | マロテ49 2 | マイテ49_2 | |||||||
鉄道省大井工 | 米軍 | 特別車 | 大井工 | 冷房化 | 2等級制に移行 | 鷹取工 | 現役 | |||||
1938.9 | 新製 | 1941 | 改称 | 1945.11 |
徴用 | 1953.4 | 改造 | 1960. | 改番 | 1987.2 | 復元 | 大ミハ |
軍番号 | #2103 | 1961. | 廃止 | JR西日本継承 |
*米軍名称 LITTLE LOCK 特別列車AMBASSADOR号などで4年間使用された。
初出 2006年12月3日、以下 2021年5月30日追加。
「SLやまぐち号」は、昭和54年8月1日に山口線の小郡駅(現:新山口駅)~津和野駅間においてSLを復活、運転を始めました。
以来、26年間、167万人を超える乗客を集めましたが、これは12系を改良した専用車両、SLの重連運転、そしてマイテ49の増結など集客への不断の努力が実を結んだものです。
2018年現在、網干総合車両所宮原支所に所属するマイテ49 2ですが、もはや営業線に出ることはないと思われます。
そうそう 2017年には「SLやまぐち号」用12系客車の置き換え用としてJR西日本35系客車が新製されました。
5両編成の両端にはオロテ35形とスハテ35形が編成されますが開放式展望デッキを設けておりマイテ49のイメージを引き継いでいます。
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