トロッコファミリーは飯田線の豊橋 – 中部天竜間で運転されていたJR東海のトロッコ列車です。
1987~2006年まで毎年春から秋にかけて走っていました。
運行開始当初はトラ90000形無蓋貨車3両(91388,91402,91818)をトロッコとして使用。
控車であるオハフ46形客車2両(2009,2027)でトロッコをはさむ編成でデビューしました。
あてがわれた牽引機は当初、DE10形ディーゼル機関車。
そして2年後の1989年からは、往年の急行用電気機関車、EF58形が牽引機に抜擢されることになりました。
静岡運転所に所属する157号機(青)と122号機(茶)です。
彼女たちのおかげで人気者になったのは言うまでもありません。
飯田線用 トロッコファミリー編成 車両区
←豊橋 中部天竜→
EF58-157+オハフ46-2027_トラ91388_トラ91402_トラ91818+12系客車(控車)
1992年に控車のオハフ46形が、12系2両(スハフ12 31、オハ12 178)に置き換えられることになりました。
その翌年の1993年に登場したのがオハフ17形です。
トロッコ車両の乗車定員増を図るためオハフ17形はパレット輸送用荷物車マニ44形を改造しました。
荷物客車とはいえマニ44形はちょっとくせ者なので語らせていただきます。
マニ44形は、パレット輸送用荷物車であるスニ40形・スニ41形をベースに、車体長を19500mmにストレッチしたものです。
鉄道小荷物輸送のパレット化を推進すべく、また老朽化したマニ60形・マニ36形などの旧型車取替えを目的として、
1983年までに161両 (2001~2161) が新潟鐵工所・富士重工業で製作されました。
車体の前後には業務用扉・業務用室・車掌室を設けていますが、先にお話ししたスニ40形同様、
荷物客車に分類されるとは思えない貨車スタイルです。
でも台車は50系客車のTR230形を改良したTR232形。
ブレーキ装置はCL方式(応荷重増圧装置付)自動ブレーキを搭載します。
主に幹線で使用することから、マニ44形においては高速化が図られたわけです。
また、全車に電気暖房取り付け、2000番台の車両番号を与えられました。
職員の作業環境を改善したわけですが、スニ40形よりは本来の「客車」に近づいたわけですね。
マニ44形は荷物列車で使用されたほか、旅客列車にも併結され、新聞・雑誌輸送などにも使用されました。
しかし、なんということでしょう。
製作が終了した3年後、1986年11月国鉄ダイヤ改正で小荷物輸送が全面廃止されることになったのです。
こうなることが予想できなかったのでしょうか。
1987年4月のJR移行直前に大部分の車両は廃車され、
JRに継承されたのは、161両中わずかに16両(2025 ~2030,2047,2050,2054,2151,2152,2154 – 2158)のみでした。
そんなマニ44形の再起を図ったのは国鉄時代 最末期の名古屋鉄道管理局。
「カートレイン名古屋」(熱田 – 東小倉)用の乗用車輸送車両として使用しました。
ワキ10000を使用したカートレイン九州などと違って、人気のユーロライナーと塗装を揃えたマニ44形を4両連結。
イメージアップして登場させたわけです。
カートレイン名古屋 マニ44-2028 撮影:名古屋
しかし1両あたりの自動車積載台数は3台、つまり編成あたりたったの12台。
仮に1台4名乗車として48名。お値段は大人1名で38000円、4名で74000円ですから、
満車でも100万円にはとうてい届かない運賃収入しか上げられません。
(ちなみに、東海道山陽新幹線ならば、東京-博多間 定員乗車で1列車あたり2000万円を超えます。)
加えて「カートレイン名古屋」に併結されたのは12系客車。
グリーン車をあてがってはいますが寝台車はありません。
乗客にしてもそんなに魅力があるとはいえないものでした。
自動車の積み込みのも制限がありました。
パレットに乗っけてフォークリフトで積み込むのですが、5ナンバーのセダンタイプの乗用車に限定されました。
当時の時刻表には次のように記載されていたそうです。
「クラウン、マークⅡハードトップ、クレスタ、セドリック、グロリア、ルーチェサルーン、コスモサルーン等は残念ながら積載できません」
実際、年末年始か、夏のお盆シーズンしか運行しなかったのも思うように集客できなかったからということになるでしょう。
90年代前半には運転を終了。あわれマニ44形は1996年に形式消滅することになります。
カートレイン用に転用したとはいえ車歴は16年。
まだまだ使えるマニ44形を何とかしようとJR東海はトロッコファミリー号のトロッコ車両に改造することにしました。
それがオハフ17形です。客車としてお客様をお迎えできることになろうとは夢にも思っていなかったことでしょう。
マニ44 2158 → オハフ17 1 (1993/1/29)
マニ44 2157 → オハフ17 11 (1996/2/21)
ちなみにオハフ17形の17は車両の性能を示すものではなく、伊那(イナ)地方を走っていることから付けられたものです。
地名に由来する形式を持つ鉄道車両は 国鉄、JRを問わず お目にかかったことはありません。
飯田線用 トロッコファミリー編成 車両区
←豊橋 中部天竜→
ED18-2+オハフ17-1_トラ91388_トラ91402_トラ91818_オハ12-178_スハフ12-31
撮影1996.8
1992年からはイギリス製のED18形電気機関車も牽引機に加わりました。
これは驚きでしたね。
妻の実家が浜松にあったものですから、早々に撮影に向かったのを憶えています。
ED18-2は佐久間レールパークの静態保存機を1992年に復活させたものです。
当初はトラ90000形とオハフ17形を併用しトロッコ列車の定員増に貢献しました。
そして1996年に老朽化したトラ90000形を置き換えるためにオハフ17形が追加改造されたのです。
これが オハフ17 11 です。
なぜ、2号機ではないのでしょう?編成を見ればその理由がわかります。
飯田線用 トロッコファミリー編成 車両区
←豊橋 中部天竜→
オハフ17-1_オハフ17-11_スハフ12-31_スハフ12-104+EF58-122
撮影2002.8?
この時、増備されたオハフ17 11は、中間車です。
乗客が通り抜けできるよう車端部を両方とも貫通構造にする必要があったわけですね。
形式を変えるほどではないにしても、きっちり区別できるように番台区分したわけです。
それにしても10番台などという番台区分は後にも先にももう出現することはないでしょう。
トロッコファミリー号は、牽引機(ED18 2)に致命的な故障がみつかり運用を離脱、
さらにEF58も老朽化により運用を離脱することになりました。
やむなくトロッコファミリー号は2006年5月をもって運転終了となり、
オハフ17たちも姿を消すことになりました。
*この記事は2014年8月に記したものがベースとなっています。
-鉄道車両写真集- |
トロッコファミリー EF58+トラ90000 / ED18+オハフ17+トラ90000 / EF58+オハフ17 へJUMP |
参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1993年版 1987年版 No582、480 ポケット全国時刻表1986年12月号
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