「七福神になり損ねた1000番台」JR東日本 キハ40-1006 珍車ギャラリー#242

「七福神になり損ねた1000番台」JR東日本 キハ40-1006 珍車ギャラリー#242

小湊鐵道ではキハ20形タイプのキハ200形が14両在籍し 永く彼女たちの独壇場といったところでした。
しかしキハ200形は1961~77年に新製導入されたものです。
さすがに寄る年波には抗せず休車状態にまた運用を離脱するものも現れてきました。
そこで後を引き継ぐことになったのがキハ40形です。
2020年に2021・2026が、2021年に 2018・2019・1006がJR東日本から譲渡されました。
キハ40 1~5に改番され区別もつかなくなってしまうようですが、5号機(1006)は珍車ギャラリーでも取り上げている車両なんです。
ぜひ続きをお読みください。

烏山線

烏山線は、東北本線宝積寺駅から烏山駅を結ぶ全線20.4kmのローカル線です。
路線長が短く加えて県都 宇都宮に向けて需要が増加する路線なので全線通しの旅客は少なく短距離での利用が中心です。
このことから当線で使用する車両は座席数を確保することより定員数を増やすことが望ましくクロスシート車よりロングシート車が向いていることになります。
また、トイレもその必要はないでしょう。

そして、烏山線には非電化区間が周りになく気動車が走る区間としては孤立しているという点が特色としてあげられます。
電化区間である東北本線(宝積寺から宇都宮まで)に乗り入れることはあります。
でも ここで使用される気動車が他の区間で使用されることは基本的にないのです。

よって、烏山線のスペシャル車両が誕生することになります。キハ40形1000番台です。
見た目は他のキハ40形と特に違いはありませんが 車内に目をやるとながーいロングシートがありなんか広々しています。
しかし残念ながらこれはオリジナルではありません。
暖地向け両運転台付きであるキハ40形2000番台を改造したものです。

キハ40形1000番台と七福神

キハ40形1000番台は国鉄時代末期の1986年~87年にかけて、2011~17の7両が改造されました。
1000番台の増備によって烏山線の気動車列車は12往復から18往復へ増発。
データイムも1時間ヘッドのダイヤが確保されました。
烏山線は1968年には「赤字83線」に選定され廃止対象とされた路線でしたが キハ40形1000番台は起死回生の大役を果たしたのです。
なお1000番台に改番されたのはキハ47がそうであるようにトイレなしの気動車には1000番台を付ける前例に倣ったものです。

そして、それら1001~1007の7両がJR東日本に継承されるのです。

ただ、この時点ではクロスシートのままです。
トイレ部分についても、これを撤去しただけで、屋上の水タンクはそのまま残されました。
烏山線スペシャルというほどのものではないような気もします。
しかし、JR東日本はキハ40形1000番台をより烏山線に適応させるべく
ロングシート車に改造、90年にはワンマン化、95年には冷房改造もなされました。

さて、烏山線は前述したように廃止対象とされたこともあるお寒い路線ですが、
沿線に「宝積寺(ほうしゃくじ)」「大金(おおがね)」という縁起の良い名前の駅があります。
そこで烏山線の駅 七つ に、七福神をキャラクターとして割り当て、在籍する車両にも七福神をキャラクターとして割り当てることになりました。
日本 広し といえど、一台一台に神様のキャラクターをあしらわれている車両は他ではお目にかかれません。
(ちなみに、かつて高千穂鉄道のトロッコ列車用気動車TR400形には、高千穂神楽のキャラクターがあしらわれていました。
しかし、これも今は存在しません。)

先日、JR東日本のキハ40形を整理したときのことです。キハ40-1009 を見つけました。
「あれ、キハ40形1000番台は9両もいるってことじゃないか?おかしいな。」
と思って画像をチェックすると1009には七福神が勢揃いしているイラストが描いてありました。
「あっ…納得。」
それでもまだ8両いるぞ?そのほかは?と探していくと…あっ。1006がいません。
そこで配置表を見てびっくり!1006は、なんと秋田にいたのです。
それにというのもキハ40形1000番台は前述のように暖地向けバージョンである2000番台が種車です。
東北地方にもキハ40形は大量に配置されていますが寒冷地向けの500番台ばかりです。

七福神になり損ねた1006号機

いったいなぜ?
烏山線の需要が減少し7両もいらないという状態になった。
というのなら転属も納得できますが  1008,1009が他ならぬ烏山線用に改造、当線に配置されているのです。

突っ込んで調べてみると、当時の1006の行き先は秋田ではなく、新庄でした。
そしてその当時、奥羽本線に何があったのかというと…そう山形新幹線の開業です。
山形新幹線の開業以前、山形運転所には大量の50系客車が配置されていました。
ところが新幹線の開業後 これらはすべて姿を消し山形運転所は新幹線400系と標準軌の在来線車両の配置区に姿を変えていました。
そして客車はその多くが南秋田運転所へ気動車は左沢線用も含めてこぞって新庄運転区に移転していたのです。
いやこぞってと言いましたが、その数は大幅に減らされています。
(88年時、山形運転所の気動車は68両、93年時、新庄運転区の気動車は42両。なお88年時には配属車はなし)
新庄運転区にそれだけのキャパがなかったのかもしれません。
いずれにせよ、ここで考えられることは 輸送力が大幅に削減されるその一方で列車本数は確保しなければならない。ということです。
その際単行で列車を組める。あるいは増結運転する際にも機動力を発揮できるのは両運転台付きのキハ40形です。
それを裏付けるかのように新庄区には山形区の倍以上、キハ40形が集められています。そのなかに1006が含まれるのです。
前述したようにキハ40形1000番台は暖地向け仕様です。
しかし、暖地向け仕様の片運車キハ47形が両開きの大型ドアとなっているのとは違いキハ40形1000番台は片開きです。
デッキこそ付いていませんがこれなら寒い冬でも何とかしのげると判断されたのではないでしょうか?

新庄運転区はその後 山形新幹線の新庄延伸に伴ってまたもや車両の配置はなくなりました。
1006は移動を余儀なくされます。
しかしこの地でも充分使えたからこそ、新天地が与えられました。
1006は新たに冷房改造され、秋田で今も活躍中です。

七福神になり損ねたキハ40-1006ですが、案外、七福神達より長生きできるのではないでしょうか。


JR東日本は、2014年春。烏山線に新型車両(EV-E301系)を導入する予定です。
気動車ではありません。非電化区間を走る電車です。
すなわち車両に大容量の蓄電池を搭載し、蓄電池の電力で車両を走らせるという新発想の車両です。
電化区間である東北本線内では走行しながら充電し非電化区間の烏山線では蓄電池で走行します。
また、烏山駅に設けた専用の充電設備からも必要な充電を行うというものです。
当面は1編成(2連)の予定ですが、遠からず全ての車両をこの新型車両に置き換えるとしています。

七福神たちの運命やいかに…?

この記事は2013年4月に書いたものです。
なお 1006は耐寒耐雪改造を受けクロスシートのまま1990年に秋田区に転出していました。
2004年にリニューアル工事が行われエンジンをDMF14HZに換装しています。
前述したように1006は2021年3月まで秋田地区で活躍し7月に小湊鉄道に譲渡されました。

参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 キハ40.47.48 1993.2 No571
JR全車両ハンドブック 1995年版
鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1987年版 No480

参考:JR東日本 キハ40形1000番台

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