「阪急のまんまではありません」能勢電鉄 1500系 2連 1510F(珍車ギャラリー#302)

「阪急のまんまではありません」能勢電鉄 1500系 2連 1510F(珍車ギャラリー#302)

能勢電鉄は阪急電車の子会社もであるせいか。ここ数十年、在籍する車両のすべてが阪急のお古です。
そんなわけで、能勢電鉄の車両への注目度は低く、関係する鉄道図書、文献も少ないのです。
しかしそのままで走らせているワケではありません。

今回は、そんな能勢電のおもいを1500系に語らせたいと思います。

例に漏れず1500系も阪急2100系を種車とするグループです。
1983~85年にかけ これを改造 デビューしました。

まず種車となる阪急2100系とは、どのような電車なのか。
そこからお話ししてゆきます。

阪急2100系は、2000系の宝塚線仕様車です。600V車としてデビューしました。
1962年より2100形と2150形が各15両ずつ、合計で30両(2100~14・2150~64)が製造されました。
宝塚線では神戸線ほどの高速性能が必要ではなかったことから電動機出力を100kWと低く抑えました。
このことから見劣りするように見えますが、2000系同様、回生制動と定速運転制御を装備しています。
「人工頭脳電車(オートカー)」と呼ばれた当時の最新鋭高性能車両です。

編成表を見ればおわかりいただけることと思いますが、2100系では中間車を車番で区別していません。

2150形2100形2150形2100形+2150形2100形
Tc-M-T-Mc + Tc-Mc  (4連+2連×5=30両)

2152-2102-2153-2103+2150-2100
2154-2104-2155-2105 +2151-2101
2156-2106-2157-2107 +2159-2110
2158-2109-2160-2108 +2161-2111
2162-2112-2163-2113 +2164-2114

1500V昇圧後は2000系と同様、2100系も定速運転機能と回生ブレーキ機能を撤去しました。
ちょっと残念ですが、運転手さんは定速運転機能などなくても問題ないのです。

また最終グループとなる2162Fについては
1979年の昇圧時、150kw×4にパワーアップ
2162-2112-2163-2113 +2164-2114→2092-2042-2093-2043 +2094-2044
に改番しています。
2000系に統合されたと言っていいでしょう。

加えて、2153は3005Fに、2155は3015Fに編入
代わりに2103Fには2055が、2105Fには2059が編入するなど、
2000系車両との入れ替えも見られます。
(2160については1979年5月の事故に遭遇した2050がらみの移動なので複雑→調査中)
とはいえ電動車は入れ替えられていないので、2162F以外は、性能的に2100系と見ていいでしょう。

阪急電鉄は、これらの(4連+2連)×4=24両、つまり前述のパワーアップした2162F(4+2連)を抜いた2100系のすべてを譲渡しました。
能勢電鉄では、これらを1500系とし、4連×6=24両に編成替えしました。

2015年現在、2100系はもちろん2000系も阪急から姿を消しています。
デビュー当時の性能を有しているわけではありませんが、
車両史に残る名車が、能勢電に永く在籍していたということはもっと注目されてもよかったのではないでしょうか。

1983~85年にかけ移籍した1500系でしたが、
当時、能勢電は架線電圧が600Vだったことから降圧化工事が行われました。
1995年には1500Vに昇圧することになるわけですから、導入を機に昇圧しても良さそうなものです。
しかし、能勢電には阪急の旧型車610形などがたくさん残っていました。致し方ありません。
結果、使用電圧を3回も変更することになってしまいました。
使用電圧を5回も変更した珍車として、松本電鉄のED223電気機関車をかつて取り上げました。
彼には及びませんが、珍車と申し上げてもいいでしょう。

移籍に際し冷房改造が行われたことも注目です。
阪急2000系を種車とする後継車両1700系は、全車とも阪急在籍中に冷房改造を受けていますが、
1500系は能勢電が冷房改造をしました。勿論、能勢電初の冷房車です。
導入にあたって、新時代の能勢電をアピールするためには欠かせないことだったと思われます。
1700系と較べるとクーラーの搭載位置が違います。ここがチェックポイントです。

チェックポイントといえば連結部分もそうです。
1996年、川西能勢口駅は高架駅になりましたが、それ以前の地上時代。
駅を出てすぐに強烈な半径40mというカーブがありました。
このせいで阪急の車両は610系以後、導入できなかったのです。
車体を一部カットするという手もあるにはあるのですが、大変な工事になります。
ここで能勢電が考えたのは、連結器を80mm伸ばすということです。
連結部分を拡げてぶつからないようにするというワザでした。

高架工事の落成以後は元に戻していますが、すごいことをやってますね。

また1500系は、導入当初オリジナル塗装(阪急マルーンにアイボリーの窓帯)を施しました。
1990年には1700系導入色(オレンジを基調に青みがかった緑の窓帯)
1994年にはフルーツ牛乳と呼ばれた新塗装。
と3通り(試験塗装を含めず)のオリジナル塗装が存在しました。
どれもこれも阪急ではない独自性をアピールするために行われたものです。
ただ残念なことながら、2003年以降、合理化の一貫で阪急色に戻されてしまいました。

以下に編成表を示しています。
導入時はTc-M-T-Mcの4連が6本。形式もきれいに整理されています。

← 日生中央・妙見口    川西能勢口 →
1550形 1530形 1580形 1500形   2150形 2100形 2150形 2100形

1550 1530   1580   1500    2150-21002151-2101
1551  1531   1581  1501    2152-2102-2055-2103
1552  1532   1582  1502    2158-2109-2160-2108
1553  1533   1583  1503    2156-2106-2157-2107
1554 1534   1584  1504    2159-21112059-2110   2015年4月廃車
1555  1535   1585  1505    2161-2104-2030-2105   2015年3月廃車

しかし、種車である2100系の編成と並べてみると、
異色な車両が混じっていることがわかると思います。
太字はもと2000系/2021系です。そして斜字が運転台付きだった車両です。

さて今回、取り上げたのは、能勢電鉄1500系2連。
デビュー時は1550(Tc)-1530(Mo)-1580(To)-1500(Mc)の4連で、運転台撤去車を中間車に含んだ編成でした。
これを2分割することになります。

登場の経緯はこうです。
1997年、能勢電では妙見口行きと日生中央行きを交互に運転することになり、
分岐点である山下では、双方折り返し運転をする列車に連絡するというダイヤを編成しました。
末端区間では2連を充当することになったのですが、その際
このMo、To車の運転台機能を復活させ1560-1510編成とし、残った1550-1500で2連を組み直したわけです。
運転台復活編成についてはステンレス帯を付け、標識灯も角形にして移設するなど能勢電独自のデザインとなっています。
ここにもこだわりを感じますね。このデザインが3100系にも引き継がれてゆきます。

前述したように、2003年以降、1500系2連も阪急色に戻されてしまいました。

しかし、2008年、能勢電鉄創立100周年記念事業の一環として、この2連にオリジナル塗装を復活させました。
1500Fに導入当初のオリジナル塗装(阪急マルーンにアイボリーの窓帯)。
そして、1510Fにはあの“フルーツ牛乳”色。

加えて2013年には、能勢電鉄開業100周年記念として、
開業当時の1型車両をイメージした復刻塗装(緑の車体に唐草模様や旧社章も再現)を1500Fに。
1510Fにはこれまた能勢電鉄オリジナルの50形車両をイメージした復刻塗装(クリームとブルーの塗り分け)が施されました。

2連であることから、復刻塗装車に選ばれたことは間違いないのですが、
能勢電のこだわりと歴史が最も色濃く残る1500系(2連)だからこその企画だったのでしょう。

「変われたから、生き残れたの。」
そんな彼女たちの思いは今、7200系に引き継がれています。

初出:2015/11/16
参考文献:鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1984年版  #438 1984.10

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