「運転台付きのサハ」 南海 サハ6601形 6610(珍車ギャラリー#372)

「運転台付きのサハ」 南海 サハ6601形 6610(珍車ギャラリー#372)

高野線用の通勤形電車として最初に登場した6000系がいよいよ姿を消します。
通勤形電車の片開きドアは、かつては当たり前の仕様でしたが、もはや大手私鉄では稀少な存在です。
おもえば6000系は、今まで1両の廃車も転属もなく50年以上もの間、同一線区を動かなかったことになります。
このこと自体、非常に珍しいことなのですが、その編成をひもといてゆくと、一筋縄ではいかない彼らの歴史が見えてきます。

南海6000系

1962年から69年までに72両製造されました。
南海本線で運用されていた7000系のほうが一足早く姿を消しており、
また普通鋼製車体であることからこちらのほうが旧型に見えます。
しかし、6000系のほうが古く、南海初の4扉通勤電車となる新性能車です。

6000系の製造が終了した69年の段階で6000系はそのすべてが4連で合計18本。その内訳は
モハ6001形Mc-36両
サハ6801形T-21両+
クハ6901形Tc-15両の計72両となります。

しかし彼らはもともと3連でデビューしています。
まず、ここに至るまでの編成の推移を見てゆくことにしましょう。
なお今回、便宜上 モハ6001形ならcM、Mc というふうに区別して記載します。
cで運転台の位置を示すためです。

62年のデビュー当初、6000系は3連 cM-T-Mc で4編成が登場しました。
←難波
6001-6801-6002 ~ 6007-6804-6008
それが64年製の3連では cM-cM-Tcになっています。
6009-6010-6901
これらは65年度中に増備された車両によって
6009-6901-6010Ⅱ
6011-6902-6012
6013-6903-6014 と整理され、
6010は6011に改番 09編成の6010は2代目となり cM-Tc-Mc の3連で統一されました。
ややこしいことになってはいますが、要は3連ではあっても、
64年製以降は、すべて運転台付き(cM-cM-Tc/cM-Tc-Mc)だということです。
こうなったのは、この時点で、将来4+2で編成を組むことが意識されていたからと思われます。
そして73年の昇圧がなったあかつきには1:1のMT比でも紀見峠を越えられるという計算があったに違いありません。
だから、先行してcM/Tcを増備し、あとから中間車を増結、4連化していくことになります。

3連→4連化

4連化は早くも66年10月から推し進められることになりました。
まず65年度に整理された3連にT車(05~07)が増結されました。
6009-6901–6805–6010Ⅱ
6011-6902–6806–6012
6013-6903–6807–6014
以下、すべて新造の4連も登場していますが、上記と同様
cM-Tc–T–McといずれもTc車が組み込まれています。
6015-6904-6808-6016
6017-6905-6809-6018……と
このようにして69年にすべて4連の18本=72両が完成しました。
なぜ②号車にTではなくTcを用意したのでしょう?
それは、1971年から高野線で6両運転をすることになったからです。
そこで、1970~73年にかけて6000系は4連と2連に組み替えられることになりました。
結果
cM+T+T+Mc×10本、cM+T+Tc+Mc×1本、
cM+Tc×7本、cT+Mc×7本
に再編されています。
クハ6901形はすべて下り方に運転台があったので、このうち奇数車は方向転換を行いました。
よってクハ6901形の奇数番号車は上り方、偶数番号車は下り方に運転台がある形となります。

すっきりしたようですが、奇数車は1両多いためcM+T+Tc+McというTc殺しの異端編成が1本混ざっています。
はじめから、cM+T+T+Mcの編成を4本、cM+Tc+T+Mcの編成を14本 としておけば、すっと
cM+T+T+Mc×11本、cM+Tc×7本、cT+Mc×7本でおさまり、
cM+T+Tc+Mcという異端編成を組まずにすんだはずです。
なぜこんなことになったのでしょうか。

こう書くと、当時急増する需要を読み切れず、3連でスタートしたことに問題がありそうですね。
でも6000系登場時、南海電鉄の架線電圧は600Vです。
当然6000系も600V対応の電装品を搭載して製作されたわけです。
これを見過ごしてはいけません。

6000系に求められた高性能

ここで6000系のスペックを見ていきましょう。
抵抗制御ではありますが、日立製 超多段制御器(VMC-HTB-20AN)に加え、WN駆動をを採用することで、スムーズな加速を実現しています。
主電動機は三菱製MB-3072-A(後にB)で、出力は600V時115kW/1600rpm(1500V時145kW/2000rpm)。
1962年当時の狭軌電車用電動機としては最強クラスのモーターです。
そして車体は東急車輛がアメリカ・バッド社のライセンス供与を受け開発したオールステンレス車体です。
6000系は同じ年に登場した東急7000系の兄弟車です。
東急7000系が18m級3扉車であったのに対し、6000系は20m級4扉車と違いはありますが、ともに
台車もバッド社のライセンスのもと東急車輛が改良した軸箱梁式のパイオニアIII(TS-702)台車をはきます。
外側に露出したディスクブレーキのローターが夕陽にギラリと輝く…。
その走りっぷりのカッコ良さは今も忘れられません。それはさておき、
軽量車体でありながら高出力のモーターで、ラッシュ時、高密度のダイヤを駆け抜け、後続の優等列車に道を譲り、かつまた4ドアの威力で大量の乗客を捌くという高性能が期待されていたのです。
高野線の各駅停車は、1960年代後半でさえ、1251形などの旧型車ばかりで、なかには元高野山鉄道の561形も頑張っていたのです。
6000系のスジを1本でも多く確保するために、まずは3連で就役させる必要があったのです

高野線の近代化にあわせて

1500V昇圧が決定した65年以降の新製車は600Vと1500Vの双方に対応する複電圧車となりました。
さらに66年以降の新製車は輸送需要に応えるべく4連とされました。
また3連のまま残された初期車も69年には4連化されます。
この経緯は前述の通りです。
加えて、72年には複電圧仕様に改造され、73年10月の昇圧を迎えています。
そんなわけで3連を維持しながら、一方で昇圧対応を行うという、複雑なスケジュールの果てに6000系は4連と2連にふり分けられていったのです。
cM+T+Tc+Mcが1本混ざってしまったのもやむを得なかったというべきでしょう。

6000系の進化はとどまることがありません。
76~82年にかけ、三日市町 – 橋本間は複線化され、あわせて長編成に対応させる工事が行われました。
これにあわせ6000系では、紀見峠を越える急勾配区間で抑速制動を使用するため、
M車に設置していた電動発電機 (MG) をTc車・T車に移し、その空いたスペースに
電動車の抵抗器を増設する工事が実施されました。

85年からは、車体更新にあわせ冷房改造することになりました。
冷房化による重量増加に対応できないパイオニアIII台車は、S型ミンデン台車(住金製FS-392C/092A)に換装されることになりました。
(ただしT車の一部)は、旧1000系の廃車発生品であるミンデンドイツ式台車(FS-355)に換装しています。)

サハ6601形登場

T車に関しては機器配置が変更されたため更新後はサハ6801形をサハ6601形に改めました。
01Fから09Fまでは、こうです。
6001-6601-6602-6002 ~ 6007-6607-6608-6008
6009-6609-6610-6010
さて、ここまで番号だけ見ると何の問題もない6610ですが、太字で強調しておきました。
これが、今回の珍車です。

南海 6000系 サハ6601形 6610

ハ6601形は サハ6801形を改番したものといいましたが、実はこれだけ クハ6901を改番したものなのです。
クハ6901形の奇数車が1両多いためcM+T+Tc+Mcが1本混ざっていましたね。このTc車です。

以下、
11Fは 6011-6902  cM-Tc
12Fは 6903-6012  cT-Mcの2連となる一方で、
13Fは 6013-6611-6612-6014 cM-T–T–Mcの4連。
と4連と2連が混ざってしまい、T車とM車の下二桁に法則性がなくなってしまいました。
よってモハ6001形の番号でもって、それが2連であるか4連であるか判別できるお方は、ほとんどビョーキレベルの南海マニアということになりますね。

とはいえ、その車番毎にその編成を確認していけば、6000系が、高野線がかつて抱えていた様々な事情に合わせて製造され、その後、路線の改良、昇圧、冷房化などがあれば改造し、その都度、増結、編成の固定化などを経て、現在に至っているという経過があるのがわかります。
そして、一筋縄ではいかなかったま高野線の歴史を目に見えるカタチで残してくれている。
それが「6610」なのです。

南海では6000系全車を2023年度までに順次新造車に代替する計画があるそうです。
代替用の新製車両は19年度に18両導入され、その営業運転開始は19年秋だということです。
1000系以来、高野線用、本線用という区別はなくなっていますし、特に新型車のニュースも聞かないので、おそらく8300系の増備車でしょうね---。

まあなんであれ、6000系の後継となる車両は、そんな高野線(橋本以北)が抱えてきた様々な課題を楽々クリアし、南海本線とも共通運用できる経済的にも優れた車両ということになるのでしょう。

初出:2019.11.16


案の定、2019年から、高野線に8300系が増備され、2022年1月現在34両を数えます。
6000系は全72両のうち30両が廃車。6610は2019年12月廃車となりました。

南海 6000系 4連 6001F

南海電気鉄道 6000系 4両編成 編成表
←難波①                    極楽橋→
モハ6001-サハ6601-サハ6601-モハ6001
Mc1-T1-T2-Mc2
6001F
6001-6601-6602-6002
撮影2010.6 撮影場所:新今宮

-鉄道車両写真集-  
高野線  6000系  8300系     へJUNP

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