夢が現実に-阪神なんば線-
2009年3月。一つの夢が現実となりました。阪神なんば線の開業です。
神戸、芦屋、西宮そして尼崎といった街が、大阪ミナミへ、そして奈良へと乗り換えることなく一つに結ばれたのです。
3801系
阪神電鉄は、この阪神なんば線の開業に向けて1000系をデビューさせました。
ところが、今から30年以上も昔、阪神なんば線が、西大阪延伸線といわれていた時代に、この新線用に開発した電車があったということをご存じでしょうか。
8000系赤胴車の中で、番号の取り合わせが、なんかちょっと違う8901F(=8701.8801.8901形)という電車がそうです。
実はこの電車。西大阪線の難波延伸を視野に入れて製造された車輌である3801系を組み替えて誕生した形式なのです。
以下まとめて8701系として取り上げます。正式な呼び名ではありません。でも8000系とは一緒にして欲しくないのです。
阪神なんば線は、西九条を出た後、安治川鉄橋を渡ると一気に地下線内に潜り込み、九条から大阪ドーム前までは急勾配で駆け下ります。
阪神8701系となる3801系は、この九条へと向かう連続急勾配に対応した抑速ブレーキ(発電ブレーキ)を備えていました。
発電ブレーキなど珍しくもないと思われるかもしれませんが、74年当時国鉄においては、103系にも113系にも発電ブレーキはなく、
山岳路線を含む中央線用等に製造された115系には発電ブレーキが付いていたという時代です。
阪神にあっても、主力車両の7000系や7600系は電機子チョッパ付きではあっても力行専用で、実際に運行される阪神本線において、発電ブレーキは、特に必要とされるものではありませんでした。
また、急勾配を駆け上がるため、3801形は130kwモーターを搭載しているのが、特徴といえるわけですが、他の赤胴車(8000系も)は、110kwモーター車です。
これもまた実際に運行される阪神本線において、特に必要とされるものではなかったのです。
ご存じの通り、西大阪線は、長く延伸されることはなく、3801系は、阪神本線で使用されることになります。
3801系は4連です。パワーを揃えるために、6連で運行される際には60kwモーター車である3501形2連を引き連れて走っていました。
3501形はMMユニットですから編成あたりの出力では、こんなものかなとも思うのですが、3501形の引退以後、相方として考えられる78-79系は110kwモーター車ですから、バランスはいっそう悪くなったと考えられます。
理由は他にもあるとは思うのですが、3編成あった4連の3801系は、出力をあわせて6連に組み替えられることになりました。
8700系の誕生
3801系は12両ですから数的には6連×2編成 8700系を組めるはずですよね。
しかし第1編成は廃車となり、残った2編成8両を6連(8700系)と2連(7890系)に組み替えました。
8700系に改造する際に内装は8000系並に更新されました。
このときモーターの出力も合わせることも出来たように思うのですが、機器類については特に改造、更新工事などは受けていません。
そのため他の赤胴車(110kwモーター車)と性能的に違う部分が多く、予備車的な扱いとなってしまうのです。
本線を走るのは、朝夕のラッシュ時の運用か、甲子園球場で野球開催時に運行される臨時列車などがほとんどだったように思います。
実際に走るかどうかもわからない路線(西大阪延伸線)用に作られたために、不遇を託つことになったと申せましょう。
製造後、わずか14年で廃止された第1編成については、哀れというほかありません。
さて、阪神なんば線(=西大阪延伸線)は、阪神西九条駅と近鉄難波駅(大阪難波に改名)とを結ぶ建設延長3.4km(営業キロ3.8km)の路線です。
総事業費 は、約1,071億円(建設期間中利息を含む。) で、工事は 2003年から始まり、2009年3月開業にこぎ着けました。
阪神と近鉄が、大阪難波駅を介して阪神三宮駅~近鉄奈良駅間(約65.2km)を最長とする相互直通運転を行います。
このことで、神戸、芦屋、西宮そして尼崎といった街が、大阪ミナミへ、そして奈良へと乗り換えることなく一つに結ばれ、広域的な移動の利便性が向上しました。また、各駅で大阪市営地下鉄・JR又は私鉄などの路線へアクセスも便利になりました。
こういっては何ですが、昨年開業した、京阪中之島線とは比べものにならないくらい、大きな影響力を持つ、まさに”新線力”を秘めているような気がします。
事業および 建設主体は、西大阪高速鉄道株式会社ですが、運営主体は 阪神電気鉄道株式会社です。
歴史的に見ても、かなり阪神側が入れ込んでいる路線といえます。
でも、開業にこぎ着けるまで、なんと長い歳月を費やしたことでしょう。
歴史を紐解いてみると 1965年9月から1974年11月まで西九条~元町間(神戸高速鉄道開業の1968年以降は三宮間)に西大阪線・本線直通で運行されていた「西大阪特急」(「N特」)というのがありました。
大阪市西南部から神戸への短絡ルートというわけですが、西九条駅が都心でない不便な位置にあったことなどから利用者は少なく、わずか9年で廃止されました。
「難波まで繋がっていれば…。」という思いは、少なからずあったでしょう。
しかし、当時その夢は、遠く…手の届かぬ先にあったのです。
奇しくもこの年3801系は作られました。
「このままで、あきらめたわけではない。いずれ難波まで繋げる。」
という夢をつなぐ、そんな目的を持って、3801系は作られたような…私にはそんな気がしてならないのです。
1967年に住民の方々の反対でもって工事が中断した西大阪延伸線です。
また工事が再開されるにあたっても、住民の方々の不安は決してぬぐい去られたわけではなったようです。
また採算面でも疑問視する向きがあります。そういう現実を乗り越えて、開業にこぎ着けたのが阪神なんば線です。
人間は何か大きなことを成し遂げようとするとき、夢を持ち続けることがその原動力となるということを聞いたことがあります。
8700系は、そんな阪神電鉄の夢を象徴する存在と申せましょう。
でも、夢が現実から遠くかけ離れたものであればあるほど、それを追い求める姿は、滑稽であるかのように見えます。
8700系は、いわば夢を追い続けることを託されたものの、現場では扱いにくい異端者としてとりあつかわれ、、
不遇を託つことになった--そんなそんな夢追い人の姿ともダブって見えます。
夢は現実のものとなりました。しかし、夢にまで見た舞台に立つことができるのは、9000系や1000系といった新型車両です。
もはや、1974年生まれの8700系にお声がかかることはないでしょう。
でも、夢を追い続けて走り抜いてきた8700系(←3801系)を私は、難波行きの一番列車に起用してやって欲しいと思っていました。
なんば線開業の一月前
そんなある日、交通新聞社刊の「鉄道ダイヤ情報」をみたところ
8901F(6連)は2月16日に廃車になっていました。
「このところ姿を見かけないな。」と思っていたのですが、まさかこんなことになっていようとは…、
あと一ヵ月ほどすれば、開業だっただけに、むごいとも言えるタイミングです。なんとざんねんな。
でも彼女は、「いいの。夢は叶えられたら現実だもの。」と思っていたような気がします。
そう…仮に生き延びたとしても、夢の舞台には、立てなかったわけですから、潔い引き際だったとも言えるかもしれません。
[…] 珍車ギャラリーでも取り上げていますので、こちらも是非ご覧ください。→阪神 8701系 珍車ギャラリー#080 […]