「なぜ 1両しか継承しなかったのか」JR九州 EF30形3号機(珍車ギャラリー#092)

「なぜ 1両しか継承しなかったのか」JR九州 EF30形3号機(珍車ギャラリー#092)

たった1両しかJR九州に継承されなかったEF30形

EF30 3(国鉄時代の写真)

JR発足時、関門トンネル用の機関車としてJR貨物に在籍したのは、ステンレス車体のEF81 300番台4両(1973~75年製)と、普通鋼製のEF81 400番台(1985~6年に一般型のEF81を関門向けに改造)8両で合計12両です。
私にとって関門トンネルの主といえば、あのステンレス車体のEF30形です。
山陽本線区間とはいえ下関-門司間を継承したのはJR九州ですから、EF30はJR九州に継承されました。
と言いたいところですが、EF30 はわずかに1両しか継承されていません。
ブルートレインの先頭に立ったのはJR九州に6両継承された EF81 400番台(409~414)です。

EF30はどこへいったのか。
1986年国鉄最後の機関車配置表によると、EF30形は門司区に16両配置されています。
前述のEF81 400番台(409~414)はその姿すら見当たりません。ということは、EF81を駆け込みで改造したということです。
JR九州に継承されたEF30はというとどういうかけか当時最古参の3号機。それもたいした活躍はしていません。
EF30形はJR九州の構想からも外れてしまったとしかいいようがありません。
EF30形のラストナンバー22号機が落成したのは1968年ですから、EF66のデビューと同じです。
わずか18年で廃車されてしまったのは、いったいどうしてなのでしょう。

「関門トンネルは海底トンネルである。という その特殊性ゆえのことでしょうか。
2006年夏、関門国道トンネル(人道)を歩いてみました。
国道とは2層構造になっており入り口は別です。
海岸縁にあるビルからエレベーターに乗って人道階まで降り、そこから緩やかに県境へ向かって下ってゆきました。
気のせいかもしれませんが、塩っぽい空気が感じられ、塩害防止のためEF30にステンレス車体が導入されたというのも納得出来るところです。
しかし、世界初の鉄道海底トンネルである関門トンネルが開通したのは1942年。
開通時、直流1,500Vで電化されEF10形直流電気機関車が専用機関車として用いられてきました。
EF10形は言うまでもなく普通鋼製です。EF30形にするまでバトンタッチするまで20年近く経っているのです。
対してEF30形はステンレス車体です。加えてそれだけではない十分な対策が施されているはずです。
短命に終わった理由は、どうやら別の所にありそうです。

初の交直流機関車としてデビューしたEF30形

1961年6月、鹿児島本線門司港 – 久留米間が交流電化される際に門司駅構内は交流20,000V、周波数60Hzで電化されることになりました。
そこで門司駅の下関寄りにある関門トンネル入り口付近にデッドセクションを設置、電気的に分離することにしました。
ですから下関 – 門司間を直通する客車列車・貨物列車の牽引には、双方の電化方式に対応する交直流電気機関車が必要となります。
直流電化区間である関門トンネルには22‰の長い勾配区間があります。
ここで1,200tの貨物列車を牽引する性能を備えることが必須の条件です。(EF30形はこれを重連で対応)
一方、交流電化区間は、門司駅構内のみです。平坦線ですし、高速運転する必要もありません。
デッドセクションを通過できる速度を引き出せれば十分です。

そこでEF30形に与えられたスペックはこうです。
最高速度 直流区間 85 km/h  交流区間 35 km/h
定格出力 直流区間 1,800 kW  交流区間 450 kW
定格引張力 直流区間 13,900 kgf  交流区間 4,700 kgf

交直流電気機関車ではあっても実際にはほとんどの区間を直流で運用することから、主回路構成は直流用電気機関車としこれに交流用機器を付加した構成となっています。
交流区間での性能は,駅構内限定なのでこれでOKなのです。

関門トンネル専用機

EF30こそは、まさにその必要条件を満たした機関車でした。
つまり、EF30は交直流機関車といいながら、交流区間での出力は、直流区間のそれに較べて全くもって非力で、門司駅へ列車を運んできた後の交流区間では使い物にならず、EF81のようにそのまま足を伸ばして活躍することはできない--つまり 門司-下関間限定の機関車だったのです。

JR貨物はJR化を機に貨物輸送の体系を、ヤード形から直行形へ大転換しました。
よって、門司駅での機関車交換が絶対条件となるEF30を速達性重視のJR貨物は使いたくはありません。
それをいえばJR九州だって同じことです。それでもJR九州はEF30 3を継承しました。
重連で使うのが定番の関門トンネルで1両だけ継承したというのも不思議なら、なぜ車体の古い3号機を選んだのかもわかりません。

強いて申し上げるなら、1964年10月から1年間、151系電車特急である「つばめ」・「はと」を下関 – 門司間で牽引したことからかもしれません。
151系は直流電車です。これを交流電化区間内で走行させるため、下関以西では電気機関車で牽引させたのです。
EF30形のうち2 – 8号機がその任に当たりました。
ジャンパ線に改造を施して電車制御用の各種回路が装備され、ナンバープレートは赤色とし非対応機と区別したそうです。
そういえば、JR九州の新車に交直流電車はありませんよね。
EF30形を使えば下関発の781系「ソニック」や「かもめ」も夢ではなかった…。
でも1両ではどうしようもありません。---結局EF30は中途ハンパな存在となり、活躍の機会はあまりなかったようです。
そういうわけで、私は赤字のJRロゴ入りのEF30に、とうとうお目にかかれませんでした。
EF30 3は、1995年3月。客車列車の廃止に伴って廃車されたED76 8両とともに姿を消してしまいました。

初出:2007.5.06

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