2007年7月、国土交通省航空鉄道事故調査委員会は、JR宝塚線脱線事故に関する最終報告書を提出しました。 2005年4月の事故から、2年あまりの歳月が過ぎていました。 ここであらためて、犠牲者となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族の方は、もちろんのこと、この事故により心身の傷を負われた全ての方々のためにも、この事故から得られた教訓を決して風化させてはならないと思います。 JR宝塚線の事 […]
207系といえば… 1991年にデビューしたJR西日本初のVVVFインバータ制御となる通勤形電車で、484両を数えるまでに量産されています。 2005年4月尼崎-塚口間でおきた痛ましい事故のイメージを払拭するため新鋭321系と同様のカラーリングが施され、すっかり影が薄くなってしまいましたが、今でもJR西日本の顔とも言うべき車両の一つです。 さて、207系 のトップナンバー編成であるC […]
伊予鉄道610系は、1995年にアルナ工機で製造されました。(2連×2本=4両) 市内線とは違い鉄道線では かねてから西武や小田急、そして長電など中古車の転入が多く、 導入された1995年頃はというと京王からの転入車である700系が主力となっていました。 そんな中で久々の自社発注車となった610系はステンレス車体でもあり大変目立った存在です。 しかし車体以外はというと、実は700系とほぼ同じです。 […]
今日、朝日新聞に近鉄 西信貴鋼索線が紹介されていました。 車両の塗装を改めイメージチェンジしたようです。 さてこの機に姿を消すのでは、と心配していた車両があります。コニ7形です。 -最小最軽量の鉄道車両 - かつて珍車ギャラリーで生駒鋼索線(宝山寺1号線)のコ11形をご紹介しました。 見るからに強烈なインパクトの車体をもつ「ブル」と「ミケ」は、一度見たら忘れられないくらいの存在感です。 対して今回 […]
幼なじみでそのまま恋人になってしまった二人。 何らかの理由でともに故郷を追われ、別々に暮らすことになりました。 別れの悲しみは距離と時間が解決してくれるのでしょうか。 都会でいいようにこき使われた彼女は、似たもの同士の男と出逢い、小さな幸せを手にしました。 ところが何という運命のいたずらでしょう。 彼女は苦労人の亭主とある地方へ転職することになるのですが、なんとそこではかつての恋人が働いていたので […]
伊豆急行 ロイヤルボックス誕生の背景 静岡県伊東市より下田市まで45.7km。伊豆急行が開業したのは、1961年です。 比較的遅かったとも思えますが、開業後順調に業績を伸ばし、65年には黒字経営に転じました。 伊豆半島は多くの温泉地に恵まれたリゾート地です。でも、ウラを返せば火山活動が活発なところで、 74年頃から群発地震に見舞われ、78年には伊豆稲取-河津間が休止されたこともあるのです。 73年 […]
伊豆急200系は2000~03年に伊豆急100系1000系を置き換えるためJR東日本の113系・115系を改造し導入したものです。 113系・115系自体 何も珍しいことはないのですけれど、 1961年から10年以上の長きにわたって製造された100系と1983年に更新されたばかりの1000系まで、 わずか3年で一気に駆逐してしまったのが200系です。 そしてまた不思議なことにその最終導入のわずか2 […]
生駒ケーブルの歴史。 8月29日はケーブルカーの日となっております。 大正7年8月29日に日本初のケーブルカー宝山寺1号線(930m)を生駒鋼索鉄道が開業した日に由来します。 その名が示すの通り、もともと 宝山寺「生駒の聖天さん」への参拝客を輸送する目的で作られたものです。 なんと軽便鉄道法で開業しているのは意外ですが、開業初年度の乗降客数は144万人。 2年後には300万人を突破。と好調の波に乗 […]
日本車輛は 中京圏に本拠地を置く鉄道車両メーカーです。 そんなわけで地元の鉄道会社である名鉄や名古屋市交通局のほぼ全ての車両が日本車輛製なのは とても納得できることです。 ところが 名鉄も 名古屋地下鉄もアルミカーの導入には消極的でした。 名古屋市が1960年に5000系をようやくアルミカーで登場させたものの 名鉄にいたっては とんとその姿を見ることはありませんでした。 しかし、地元の供給先がどう […]
1000系はもと国鉄101系 100形や800系などの旧型車両を置き換えるため 1986年~1989年にかけて、国鉄(→JR)101系電車を譲り受 けたものです。 デハ1000形+デハ1100形+クハ1200形からなる3連で、×12本=36両が在籍します。 (国鉄時代はクモハ100形+モハ101形+クハ101形) 国鉄(→JR)の新性能通勤電車が、このように編成単位で,私鉄に譲渡された事例は珍しく […]