105系のコンセプト 105系は地方の電化ローカル線に配置されていた40系や72系などいわゆる「旧形国電」の置き換えを進めるべく製造された車両です。 旧形国電の電動車は1両で走行するためのすべてを搭載しており、T車を加えて(MT比1対1)2両編成を自在に組むことも可能です。 これはローカル線の輸送需要にマッチするものでもありました。 対して既存の新性能車両はMMユニットがベースだったため最低でも2 […]
*営団東西線乗り入れ用車輛は国鉄初のアルミカー 301系 国鉄は1966年、営団東西線との相互乗り入れに際し301系を登場させました。 国鉄初のアルミカーであるのにもかかわらず900番台(試作車)が登場しなかったのはちょっと不思議なくらいです。 しかし考えてみれば301系は営団地下鉄5000系アルミカーと同時期に登場し使われる路線も同じです。そして終生三鷹電車区を離れることはありませんでした。 A […]
北陸新幹線には 速達タイプの「かがやき」と北陸新幹線内各停の「はくたか」が設定されています。 「はくたか」はさておき「かがやき」という列車名が過去にもあったことをご存じでしょうか。 1997年3月に北越急行ほくほく線が開通し上越新幹線に接続する駅が越後湯沢となるまで、つまり特急「はくたか」がデビューするまで上越新幹線に接続する北陸本線直通の特急列車は「かがやき」だったのです。 1988年3月 に金 […]
1963年に登場した103系は1983年(筑肥線用1500番台)まで、20年の長きにわたって量産された国鉄形通勤電車の顔ともいうべき存在です。 その後継車両である201系は1979年に試作され1985年に製造が打ち切られるまで1018両も量産されました。 ですがその割には使用線区が限られ、そして どういうわけか とりわけ関西では影が薄いのです。 もっとも関東の方々にとっては201系は中央線の顔 […]
883系は1995年4月より特急「ソニックにちりん」としてデビューしました。 大分自動車道の全線開通が間近だった事もあり、ライバルとなるのはズバリ自動車。 鉄道整備基金の認定を受け、高速化事業の一環として日豊本線の小倉 – 大分間の線路設備強化をおこないました。 しかし、もともとカーブの多い日豊本線です。 特急「にちりん」をスピードアップするために、新型車両にはカーブを高速で通過できる […]
私たちは1983年に試作車(900番台)として2連×4=8両が新製されました。 試作車は様々なテストを行い、この成果を基に量産車が作られるというのがおきまりの段取りです。 でも713系には量産車が作られることはありませんでした。 私たち713系が生まれた目的は数多く残っていた地方幹線の客車列車を電車化することでした。 でもその当時、急行形電車も数多く余っていました。廃車するにはもったいない新性能車 […]
103系という電車は国鉄を代表する通勤用電車です。製造両数は実に3447両。 製造期間は20年と10ヶ月(1963.3~1984.1)に及びます。 「最後の103系」と銘打ちましたが、実のところ最後の103系は赤羽線用に1983.10~1984.1に製造されたモハ103(-787~-793).モハ102(-2044~50)の7ユニットです。 しかしモハ102やモハ103は増結用の中間車です。対して […]
421系は1961年に電化開業した山陽本線小郡-下関間(直流)と鹿児島本線門司港-久留米間(交流)を繋ぐ交直流電車として4連×23本が製造されました。 同じく1960年に登場した交流50Hz版 常磐線401系とは直流区間は同一性能(775kW)です。 ただ対応周波数が異なるため交流区間出力は401系の715kWに対し421系は700kWです。 421系の車体は401系と同様でクハについては 低運転 […]
国鉄の新性能電車は10の桁でその使用目的を表示していました。 「0」は通勤形電車を「1」は近郊形電車という具合です。 車両を継承したJRはその使用目的に応じた車両でこれを取り替えていきます。 JR東日本の場合、103系、205系といった通勤形電車を継承したのが209系です。 そして113系、211系といった近郊形電車を継承したのが215系ということになるのですが、これは少し極端な車両でした。 なん […]
国鉄(JR)にあって[9]という数字には特別な意味があります。 モハ90形 EF94形 391系 901系 EF200形900番台…など 様々なテストをするために開発された車両にそれとわかるよう[9]を用いてきたのです。 9000番台 というとJR東海の300系9000番台があります。 300系新幹線を量産するにあたり 先行して製造し様々な問題点をあぶり出し その解決方法を試してきました。先行量産 […]