「依存体質?」JR西日本 キロ65形「ゆぅトピア」珍車ギャラリー#426

「依存体質?」JR西日本 キロ65形「ゆぅトピア」珍車ギャラリー#426

キハ65形はキハ58系?

キハ65形は国鉄が1969~72年に製造した急行形気動車です。
エンジンは500PSのハイパワーを誇るDML30HSD。
キハ58系のエンジンDMH17系の3倍近いパワーを叩き出します。
加えて3両分の冷房電源を供給できる発電セット(4VK)を搭載する高性能車です。
キハ65形をキハ58系の一族とする説があります。
キハ65形はキハ58系を冷房化するにあたり とりわけ急勾配線区におけるパワー不足を補い
かつ冷房電源用エンジンを確保することを目的に製造されたものだからです。
でもキハ58系はもともとDMH17系エンジンを搭載した急行形気動車の総称です。
1961~69年に製造された2エンジン車のキハ58形をメインに 1エンジン車のキハ28形やグリーン車であるキロ28形などが該当します。
(ほか酷寒地用のキハ56系、碓氷峠区間対策車のキハ57系など)

キハ65形はキハ58系と同じく20m級クロスシート車です。
しかし車体そのものは同時期に作られた12系客車に近く扉も折戸となっています。
そして台車は空気バネ式となりました。DT39(TR218)です。
キハ65形は車体も足回りも違うことからキハ58系のマイナーチェンジではなく次世代の後継車両ともいうべき高性能車両だと私は思っています。

ただキハ58系との混結が前提ですからトイレなしで済まされてしまいました。
片運転台車のみで両運転台車も中間車もグリーン車もありません。
新造された車両に限ってですが 派生形式はないのです。
番台区分も2つだけです。
その数は暖地向け0番台が86両、寒地向け500番台が18両で計108両。
キハ58系が1823両製造されたことを考えると比較の対象にもならない系列?
というところでしょうか。
またJR東日本には1両も承継されていないこともあって東日本の皆様には影の薄い存在となっているのではないでしょうか。
さてJR西日本に継承されたキハ58系が323両なのに対しキハ65形は19両。
この数には キロ65形「ゆぅトピア」を含んでいます。
キロ65?そうです。改造によって登場した新形式。今回のヒロインです。
「ジョイフルトレイン」と呼ばれる車両です。

「ジョイフルトレイン」

国鉄時代、各地の鉄道管理局単位でお座敷列車が運行されていました。
国鉄末期ともなりますと身をもてあましていた12系客車がこれを引き継ぎました。
そして14系客車も加わり豪華な座席とサロンを備えた欧風客車も登場します。
こうした列車に乗ること自体が楽しみとなる車両。
これらが「ジョイフルトレイン」と呼ばれるようになるのです。
客車だけではありません。
急行列車の削減で急行形電車、気動車もその多くが「ジョイフルトレイン」に改造されました。
さて「ジョイフルトレイン」はその前身であるお座敷気動車がグリーン車であったことからグリーン車として登場しています。
「ジョイフルトレイン」はもともと団体列車で運行されるものでした。
営業活動をするのは主に旅行社。国鉄は商品としての車両を用意しておくというスタンスです。
ですから高収益を望めるグリーン車としたということでしょう。
キハ65形にも声がかかりました。
それが「ゆぅトピア」キロ65-1+キロ65-1001です。

「ゆぅトピア和倉」

「ゆぅトピア」は1986年に金沢鉄道管理局が七尾線の活性化を図るべく登場させた車両です。
先頭車は非貫通形とし大型窓を設置、展望室を設置しました。
展望室以外の客室もハイデッカーとなっています。
2両固定編成になっており、ともに豪華な仕様のグリーン車となっているのは「ゆぅトピア」が「ジョイフルトレイン」として運行されることを意図して改造されているからです。
また「ゆぅトピア」は当時 非電化路線であった七尾線から直接大阪まで乗り入れるというプロジェクトのために用意された専用の気動車でもあります。
その際 電化区間では485系特急電車に「ゆぅトピア」を牽引させることにしました。
もともとキハ65形はキハ58系にあわせていたので最高速度は95km/hに設定されていました。
ですから今回 120km/h走行に対応させるべく台車は高速運転に耐えるように手直しされました。
また電車とブレーキシステムをあわせるため応荷重装置つき電磁直通ブレーキを追加装備しています。
(単独運転の場合は従来通り自動空気ブレーキを使用)
電車のシステムを備え、電車用の密着型連結器をもつ「ゆぅトピア」=キロ65形はキハ65系という範疇では括れない新形式です。

ゆうトピア キロ65形1000番台 キロ65-1001 撮影:京都

「雷鳥」電車に牽引される気動車特急「ゆぅトピア和倉」は 週末限定の定期列車として1986年12月にスタートしました。
なお「ゆぅトピア和倉」は特急雷鳥に併結されているとはいえ客扱い駅は異なります。
大阪、新大阪、京都以降は金沢までドアは開きません。
「おんぶされている」身ではあっても、あくまで和倉温泉への客に特化させたい国鉄の意図が感じられます。
さて「ゆぅトピア」には「ゆぅトピアライナー」という列車も設定されていました。

「ゆぅトピアライナー」

運行開始から1年あまりの間「ゆぅトピア和倉」は週1往復の運転でした。
土曜日に大阪を出発し和倉温泉に向かい 日曜日には和倉温泉発の大阪行きとなります。
しかし「ゆぅトピア」は金沢区の車両です。ジョイフルトレインの仕事もあるのです。
よって毎週送り込みが必要でした。金曜日の大阪行き、日曜日の金沢行きの回送です。
ここで国鉄はこれを客扱いにして増収につなげようとしました。これが「ゆぅトピアライナー」です。
ちなみに、この「ゆぅトピアライナー」も全車グリーンです。
当時はバブル全盛期とはいえ全席グリーンの特急ともなると結構高額な運賃です。
国鉄としては強気だなあと思うのですがニーズがあったということですよね。
どんな人たちが利用したのでしょう?

フルムーン夫婦グリーンパス。

国鉄の駅でよく目にしたポスターがありました。
モデルは俳優の上原謙さんと高峰三枝子さん(当時それぞれ70代と60代)。
1981年に誕生した「フルムーン夫婦グリーンパス」のポスターです。
年齢の合計が88歳以上の夫婦なら一定期間、国鉄のグリーン車が乗り放題というキップです。
(民営化後もJR各社が扱いましたが販売終了となっています)
ハネムーン(新婚旅行)にひっかけて もう一度と中高年に豪華な旅を勧める企画でバブル景気とともに大いに盛り上がっていました。
「ゆぅトピア」は そんなリッチな方々を顧客としていたのでしょう。
私はその時20歳代。ようやく定職にありつけた身分では指をくわえて眺めるしかありませんでした。

「ゆぅトピア和倉」その後

1988年3月「ゆぅトピア和倉」は 臨時列車となり その期間は毎日運行されることになりました。
となると1編成しかない「ゆぅトピア」には代走が必要です。
代走となるジョイフルトレイン「ゴールデンエクスプレス アストル」が増備されました。
「ゆぅトピア」が点検で運転できないときは「ゆぅトピア和倉」として運行。
「ゆぅトピア」稼働の日にも団体列車の需要に応えるために製造されました。
こちらも金沢区所属のジョイフルトレインです。
つまり「ゆぅトピア和倉」はうまくいったということです。
七尾線電化開業の1991年9月まで「ゆぅトピア和倉」は活躍を続けました。

七尾線電化開業後「ゆぅトピア和倉」は姿を消しますが、その後釜には パノラマグリーン車連結の「スーパー雷鳥」が和倉温泉へ直通運転しました。
それも3往復。「ゆぅトピア」は七尾線の活性化に見事な成果を残したといえるでしょう。
その後「ゆぅトピア」は団体専用として活躍し、1995年に引退しました。
そんな彼女たちの声に耳を傾けてみましょう。

「いつもお姉さんたち(キハ58系)と一緒なのね」
とよく言われたけど、私たち別に依存していたわけではないわ。
むしろお姉様からは
「あなたたちのおかげで私たちは急行列車としての体面を保っていられるの」
と感謝されてたくらい。
そんな中、私たちは選ばれて独立。特急としてのお仕事も始めたわけだけど。
「特急電車にぶら下がっていただけだろう」
とからかわれた。確かに自走していたわけではないけれど国鉄形で120km/h走行した気動車は私たちだけ。
強靱な足腰とエアサスの上質な乗り心地、そして豪華な内装は私たちの誇り。
遜色特急とはいわせないわ。

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