四国地方の国鉄路線はなかなか電化されませんでした。
最初に電化されたのは「高松-琴平、観音寺」間で1987年3月。
つまり国鉄の最末期のことでエリアも香川県を越えることはありませんでした。
この距離で特急電車を走らせる意味はないので国鉄は普通列車用に121系を38両投入しただけです。
121系は2両固定の小単位輸送用でしたので ささやかなスタートであったと申せましょう。
その年の4月にはJR化されその翌年1988年4月に瀬戸大橋線が開通します。
これを機に四国の鉄道も大きな変革期を迎えることになります。
JR四国は島内直通のディーゼル特急をずらりと揃え新時代の四国を演出しました。
対してJR西日本では213系電車 快速「マリンライナー」を投入、華々しいスタートを切りました。
ですが JR四国の電車(=普通列車)はというと中古車である111系が導入されることになりました。
121系は新車ではあってもその構造上(上昇窓であったため)瀬戸大橋線で使用することはできなかったためです。
瀬戸大橋線の開業を目前に控えてなぜ同路線で使えない電車を新製したのか。
理解に苦しむところですが 瀬戸大橋線用電車として白羽の矢が当たったのは1962年製の111系でした。
111系 B2編成① クハ111-6 撮影場所:高松
さて彼女たち111系は 他のJR各社から転属してきたわけではありません。
まず1987年3月に4連×3本がほぼ駆け込み状態で国鉄からJR四国に承継されました。
(モハ111/110-13・24・36、クハ111-6・11・28、303・317・323)
JR四国では これらを87年9月から10月にかけて改造しています。
続い1988年に 日本国有鉄道清算事業団が保有していた8両の111系について車籍を復活させました。
(モハ111/110-3・4、クハ111-2・10・27・29)
これらもJR四国で同様の改造を施され再デビューを果たすことになります。
111系は クハが113系と同じクハ111形でもありますし見た目113系とほとんど変わりがありません。
同じように思われている向きがあるかもしれません。
しかしいうまでもありませんが、113系と111系は別のものです。
その違いは搭載されているモーターです。
そんなわけで111系のモーターMT-46は113系のMT-54より1世代前のモーターです。
出力は100kwで当然MT-54(120kw)より小さく今から思えば非力なモーターです。
111系は113系同様4連ユニットでデビューし64ユニットが製作されました。
113系(モハ112.113ユニット)は779ユニットも製造されたわけです。
111系は その10分の1にも満たない少数派ということになります。
また 111系は1962年にデビューしたのですが、翌1963年には113系に取って代わられてしまいます。
対して 113系は1982年にかけて20年近く製作されました。
製作時期の面からみても111系がいかに少数派であったかがわかります。
国鉄末期、111系は静岡運転所と下関運転所のみに配置されていました。(編成表 83年)
同路線の113系と共通運用するには、足手まといということになったのでしょう。
113系においてはそのほとんどがJR本州各社に承継されたのに対し。
111系はJR四国で活躍することになる4連ユニットが5本だけしか生き残ることができませんでした。
ところで、国鉄清算事業団から車籍復活した8両の111系のうちクハ111にご注目ください。
(2・10・27・29)の4両です。気がつかれたでしょうか?
300番台がありません。111系は 両端にクハ111形を配置します。
うち一両は床下に電動空気圧縮機 (CP)を搭載する必要があり これを300番台として区分します。
CPなし というわけにはいかないので、他の111系と同様に改造しました。
クハ111-10・11の2両を下り向きに方向転換しCPを搭載。3000番台を付与しました。
これでようやく5ユニットが勢揃い。1988年8月。瀬戸大橋線開業の直前です。
言葉はよくありませんが 「残り物を寄せ集めて何とかした」のがJR四国の111系といえそうです。
もはやクハ111が2750番台まで製造されていたというのもありますが、一世代前の111系で それも最も古いタイプのクハ111に3000番台を付けたあたりに私はJR四国の意気込みを感じます。
なんだかんだいっても111系はJR四国にとっては大事な車両なのです。
JR四国において改められたのは車体の塗装だけではありません。
かなり傷みが進んだ窓周りをはじめ電装品に至るまで本格的な補修が行われています。
電車の取扱になれていないJR四国のスタッフは苦労されたことと思います。
アコモデーションは121系にあわせて改良しました。トイレは撤去し自動販売機を設置しました。
また2両編成分しかないホームに対応するためモハ110形には車掌用の業務スペースを追加するなどの改造工事も行っています。
111系 B3編成③ モハ110-13 冷房改造車 撮影場所:高松
そして翌1989年の夏には20両すべてに冷房改造工事を終え面目を一新するのです。
搭載されたクーラーユニットはAU101。
国鉄の分散型クーラーユニットAU13形と同じ重量でありながら能力は2倍という優れものです。
電源についても従来のMGを撤去し最新の静止形インバータ(SIV)を導入しました。
そして あのクハ111-3001の前面行先表示板には最新のLEDが採用されました。
111系 B5編成④ クハ111-3001 冷房改造車 撮影場所:坂出
岡山駅の隅っこの方から申し訳なさそうに出発していた111系。
でも振り返ってみると111系は日本全国探してもここにしかおらず貴重な存在となっていたのです。
(一部クハ111として、113系に編入されたものを除く)
瀬戸大橋線は開業したものの財政上そうそう新車を投入できない事情をもつJR四国からの要望がなければ おそらくその時点で111系はそのすべてが廃車されていたでしょう。
残り物であったにせよ。寄せ集めであったにせよ。
四国の地において磨き上げられ愛された彼女たちは幸運だったと申し上げるべきでしょう。
早世した仲間達の分まで 彼女たちは瀬戸内海の海上をさわやかに駆け抜けてきたような気がします。
JR四国の111系がその姿を消したのは2001年3月のこと。
1962年の誕生以来、40年近く活躍し続けたことになります。
*この記事は2010年1月に書いたものがベースとなっています。
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