「急行 礼文」JR北海道 キハ54形500番 珍車ギャラリー#381

「急行 礼文」JR北海道 キハ54形500番 珍車ギャラリー#381

国鉄時代  宗谷本線には特急がありませんでした。
札幌~稚内を昼行で結ぶのは急行「宗谷」と「天北」(天北線経由)夜行は「利尻」でした。
そしてこれらを補完すべく旭川~稚内間で設定されたのが急行「礼文」です。
稚内を夕刻に出発し夜遅くに旭川に着く上り「礼文」は学生時代によく利用しました。
旭川から  夜行「大雪」「利尻」にリレーしこれらを宿代わりにするためです。
超格安な北海道周遊券あればこそでした。
下り「礼文」は利用したことはありません。
しかし 札幌発の始発特急列車と接続した便利な列車だったと聞いています。

民営化直前、85年のダイヤ改正で「宗谷」「天北」は夜行「利尻」の編成と共用となりました。
すなわち14系客車の昼行となったのです。
国鉄時代、私の記憶にある北海道の夜行列車は「利尻」をはじめ尽く旧型客車でしたがこれらを刷新するために本州でだぶついていた14系客車(72~74年製)を 81年に改造しこれらを置き換えたのです。
(→14系500番台)
「宗谷」「天北」についてはそこそこの需要があったのでこれでもよかったのですが、
旭川~稚内間で区間運転をする「礼文」は従来通りキハ56+キハ27で運行されることになりました。
利用者数は少なくとも 廃止したり快速に格下げというということは考えられませんでした。
道北の人々にとって「礼文」はいざという時なくてはならない存在だったのです。

しかし簡易型とはいえリクライニングシートの14系に対しボックスシートのキハ56系では見劣りするのは明らかです。
翌86年、新型車両を導入することになります。

それがキハ54形500番台です。

キハ54形500番台 キハ54-527 急行「 礼文」

21m級のステンレス車体でエンジンは新型の直噴式DMF13HS(250ps/1900rpm)を2基搭載しました。
これは当時最新鋭の特急用気動車 キハ183系のDML30HSIの440 PSを凌ぐ出力です。
一方で製作コストをダウンさせるため変速機は神鋼造機製TC-2A/新潟コンバータ製DF115A、台車はDT22Gと廃車発生品を使用していました。フルパワーで高速運転させようと思ったわけではありません。
そのほとんどの区間が北海道指定の特別豪雪地帯を走行することへの配慮から2エンジンとされたのです。

なかでも注目すべきは急行「礼文」用に充当された  527~529。
新幹線0系の転換座席を取り付けました。
でも 0系転換座席は一般仕様車と異なるため窓と座席が合っていないのです。
そのため窓側でありながら景色を見ることができない席もあります。
もっとも座席指定はないので そこをはずして座ればいいわけです。
しかし冷房装置は設置されていないのはなんとしたことでしょう。
翌年JR四国に導入されたキハ54形0番台にはついています。
バス用クーラーを転用したものですから効きはイマイチです。
でも500番台は0番台より気密性が高いのですから問題はないはずです。
急行料金をとるのです。ここは何とかして欲しかった。
結果「遜色急行」と呼ばれることになります。

1988年11月 JR北海道は「宗谷」「天北」にキハ40形を改造したキハ400形・480形を導入します。
キハ183系550番台・1550番台でも採用されたDMF13HZ (330 PS / 2,000 rpm)を採用 、
併せて多段式のN-DW14B変速機に交換することで特急並の加速力を得、14系客車時代より格段のスピードアップがなされました。
座席もキハ183系500番台と同等のリクライニングシートへ交換されています。

キハ400形 キハ400-147 急行「 宗谷」

今回は冷房改造もなされ屋根上にインバーター式冷房装置を搭載しました。
(N-AU400:キハ400形の室内に設置した発電用電源エンジンにより給電)
このことで「宗谷」「天北」は「利尻」との編成共用を終了。「利尻」も気動車化されます。
短編成も可能なキハ400形・480形ですから「礼文」と共通運用とすればより効率的と思われるのですが 両運転台車であるキハ400形は機関室・便所・洗面所付きとなるため座席定員が48名(キハ54形500番台 :70席)と少ないため「礼文」用に増備されることはありませんでした。
「礼文」は遜色急行のままです。

この結果からすればキハ54形500番台を最初から急行用車両として位置づけ、冷房車として増強しデビューさせれば宗谷本線の客離れを多少なりとも抑えられたような気がします。

しかしそれはできなかったのです。
国鉄時代末期、北海道では貨物列車も激減し大量の機関車がお役御免となりました。
それは同時に機関士の仕事もなくなるということです。
若手の機関士なら気動車運転手に転換することにもなるでしょうが、
とりわけ厳しい冬の北海道…。その大自然を相手にするわけです。
一朝一夕というわけにはいきません。習熟運転にかなりの期間を費やす必要があります。
対して、ベテラン機関士の経験と技術は 北海道の財産というべきものでした。
彼らの能力を活かすためにも14系座席車を昼行急行にまわす必要があったのです。

スハフ14形500番台 スハフ14-561

キハ54形500番台527~529は「礼文」を維持していくためのギリギリの数しかなかったため冷房化工事をされる余裕もありませんでした。
でも言い方を変えると非冷房ではありながらも その使命を全うした意味を知るべきです。
「冷房もついていないのか」と馬鹿にされようが「礼文」を必要とされるお客様のために14年間 宗谷本線を走りぬいてきました。
527~529の3両には赤い帯が2本あります。
私には赤いはちまきをキリリと締めて「行くわよ。「礼文」は私たちが守り抜くんだから」
と冬将軍に挑む 痛ましいまでに勇ましい そんな姿が脳裏に浮かんできます。

2000年3月。宗谷本線では旭川-名寄間の高速化工事が完成。
名寄以南の最高速度は130 km/hに変更、急行列車はすべて特急に格上げされました。
「礼文」は札幌-旭川駅間を延長し 特急「スーパー宗谷」(1・4号)に変更。
キハ400形・480形とともにキハ54形500番台もキハ261系に主役の座を明け渡しました。

キハ54形500番台527~529にしてみればほっとしたところではないかと思われます。
今もなお 最果ての地で活躍している姿ををお見かけになったら
鉄路を守り続けてきた彼女たちに ねぎらいの言葉をかけてやっていただけたらと思います。

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