「先頭車改造された特急用気動車」JR北海道 キハ183形100番台 珍車ギャラリー#383

「先頭車改造された特急用気動車」JR北海道 キハ183形100番台 珍車ギャラリー#383

まず、画像をご覧下さい。

JR北海道 キハ183系 特急「オホーツク」 キハ183形100番台 キハ182-102

---なんでしょうね。この違和感。
「マスクにキハ181のようなスマートさが感じられないからだ」
と思われる方もあるでしょうが、私の場合は機械室の位置です。
普通、運転台側に設置するでしょう。キハ181だってキハ82だってそうです。
どうしてこんな所に設置したのでしょう。いやいや設置したのは運転台です。
キハ183形100番台は中間車であるキハ184形に運転台を設置、先頭車化したものなのです。

国鉄末期、列車を短編成化するために電車では中間車に運転台を取り付けることでこれに対応しました。
気動車の場合はどうでしょう。
単行でも運行できるように運転台を取り付け両運転台化した例は結構あります。
しかし、中間車となると、それ自体そんなに数も種類もありません。ですから、
キハ183形100番台のような例は極めて珍しいものです。
それにしてもなぜこのような珍車が登場したのでしょう。

1970年代前半のことです。早朝の函館駅は異様な熱気に包まれていました。
道内の特急列車は1961年以来キハ82系が使用されてきたわけですが、
そのキハ82系の特急列車が  それも長大編成が ずらりと並んでエンジンを唸らせ乗客を待っていたのです。
連絡船が到着すると、人々は各々お目当ての列車に乗り込みます。なんと当時、
4時40分発「特急 おおぞら」、
4時45分発「特急 北海」、
5時05分発「急行 ニセコ」が、次々と函館を後にしていたのです。
私がこの光景を今なお鮮明に覚えているのは北海道旅行の定番ルートだったからです。
すなわち、朝「特急 白鳥」で大阪を発ち、深夜 青森に到着。
日付が変わる頃に青森を出港、早朝の函館から札幌方面へ向かう というルートです。

当時「白鳥」のチケットはなかなか入手できませんでした。
しかし、函館からはなんとかなるのがこのルートでした。
ということは、とりもなおさず、道内の特急は比較的空いていたということです。
長大編成の列車を続行させることで乗客を捌いていたのですね。
ところがこの長大編成、分割運転をするわけでもないのに先頭車であるキハ82形が中間車としてやたら連結されていました。
その理由のひとつは、キシ80形 そう食堂車です。
彼女らは駆動用エンジンを搭載したがために調理には不可欠の電源を供給する
発電用エンジンを搭載できなかったのです。
よって先頭車のキハ82形に搭載された発電用エンジンから電源の供給を受けることになりました。
一編成に最低2両はある先頭車=キハ82形ですが食堂車は電気を食います。
食堂車が含まれる編成の場合7両編成が限界となりそれ以上の長さを組成する場合は電源車として先頭車キハ82形を中間に組み込まざるを得なくなってしまいました。
分割併合もしないのに中間にキハ82形が組み込まれていたのはそんな事情があったからです。

キハ183系はキハ82系の後継車両として1979年に開発されたものです。
基本編成を7両とし中間電源車を含む3両を挿入して最大10両編成とする運用方式が採用されました。
無駄な先頭車を作らず中間電源車であるキハ184形を用意したのは当然のように思えます。
しかし、キハ183系には食堂車がありません。
短編成では食堂車の採算がとれませんが、そのようなことを気にする必要もないわけです。
最大10両編成とする必要はあったのでしょうか。

JR化された1987年。深夜便である連絡船を函館で待っていたのは、北斗1号のみ。
時代は大きく変化していました。
あの長い廊下に、あれだけいた乗客の多くは飛行機を利用するようになっていたのです。
はっきりいって、もはや7両編成もあれば十分だったのではないでしょうか。
確かに連絡船は一時に多数の乗客を運んできます。
それならば、室蘭経由の「北斗」と山線経由の「北海」を併結運転するという手もあったはずです。
時代の流れは、特急列車のシャトル化を(短編成高頻度運行)推し進めていました。
結局、中間車であるキハ184は使いづらいものとなり案の定といっては何ですが、
1985年、つまり国鉄時代に先頭車改造されることになります。
これがキハ183形100番台なのです。

キハ183系は485系電車を思わせる高運転台の先頭車が長大編成の車両を従える堂々たる特急車両として登場しました。
2~3両編成が基本のキハ185系とは格が違うように見えます。
今にして思えば虚勢を張っていただけのようにもみえるでしょう。
しかし彼らは1980年の国鉄再建法成立以前に企画された車両です。
初めての北海道専用特急用気動車をしょぼいものにはしたくない。
インパクトのあるものとし乗客減に歯止めをかけたい
キハ183系の開発スタッフにはそんな思いがあったに違いないと思うのです。
それが、カタチとなって現れたのがあのスラントノーズの先頭車、キハ183形0番台であり、中間車キハ184形といえるのではないでしょうか。

でも結果として、キハ184形は失敗だった…と言わざるを得ません。
私にはそんな悔しさが100番台のあの表情に感じられるのです。
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キハ183-100番台は2008年から廃車が始まり 2016年に姿を消しました

この記事は2020年9月に書いたものがベースとなっています。

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