「プレッシャー」JR東日本 E351系 珍車ギャラリー#418

「プレッシャー」JR東日本 E351系 珍車ギャラリー#418

JR各社は民営化当時 国鉄との違いをアピールするため こぞって より高速で快適な特急用車両をデビューさせました。
中でも気合いが入っているのはJR四国の2000系気動車です。
JR四国では国鉄時代からキハ181系が活躍していました。
ハイパワーのターボエンジンが自慢の高性能気動車です。
しかし いかに高出力でも谷に沿って また海岸沿いをくねくねと曲がる古い線形では高速走行はできません。
長大トンネルと高架橋で四国山地をぶち抜く高速道路に対抗するためには制限付の曲線をいかに高速で走行するかが問題になってきます。
2000系はこの問題を振り子技術でクリアしようとしたのです。

振り子装置を実用化したのは国鉄381系電車です。
振り子装置といっても車内に振り子がぶら下がっているわけではありません。
高速でカーブにつっこむバイクなどを見ていたらよくわかりますが、ドライバーは車体を大きく内側に傾けバランスをとります。
このように車体を左右に振り込んで高速化しようというのが振り子技術です。
鉄道の軌道ではカーブの外側を高くするカントという処置がなされています。
しかしカーブで停車することを考慮して内側に倒れてしまうほどのカントを付けることは出来ません。
バイクと同じように、走行する速度に合わせて車体を傾ける必要があるのです。
ではどのようにして車体を傾けるかですが、台車上に「ころ」などを設置、その上に乗せた カーブ付きの振り子梁が曲線(遠心力)に応じてゴローンゴローンと円弧状に動くというものです。
これが自然振り子方式です。曲線にはいると当然発生する遠心力を利用して車体を傾ける方式です。
シンプルで誤動作がないことから381系ではこれが採用されました。
しかし、遠心力がかかってから動作するため、振り遅れが生じます。
曲線を抜け出してもしばらく車体は傾むいたままです。
駅構内のポイントでも小刻みな遠心力の発生によりまた無用の揺れが生じます。
そんなわけで気持ち悪いのです。乗ったらわかります。

対してJR四国が2000系で導入したのは制御付振り子方式です。
これはあらかじめ走行する線形をコンピュータに記憶させ、ATSの地上子などから得た位置データをもとに寸分違わず、強制的に傾斜を開始させるアシスト機能を持たせたものです。
その乗り心地は カーブの直前でスッ…と片側を立ち上げて そのままカーブに切り込んでゆく感覚です。
傾いているのはわかるのですが安定しているのです。乗ったらわかります。
曲線半径600m以上なら+30km/h運転できる制御付振り子装置はホントに凄いですね。
2000系はJR四国の救世主ともいえそうです。
以後JR各社は、このシステムの振り子車両を次々発表してゆくことになります。

1993年に開発されたE351系も この「制御付振り子方式」を採用しました。
車体を傾斜させた際に車両限界を超えないよう車体断面形状を卵形にしているのがチャーミングです。

ではここで、彼女たちの活躍の場である中央東線についてみてゆきます。
東京駅から長野県の塩尻駅を経由して名古屋駅までを結ぶ中央本線。
このうち東京-塩尻間が「中央東線」と呼ばれる区間でJR東日本の管轄となっています。
国鉄時代に181系による「あずさ」の運転が開始された1966年。
新宿-松本間の所要時間は4時間近くかかったそうです。
本線とはいいながら当時の中央東線は急勾配の単線区間が長く存在しました。
急勾配の路線が単線だった場合、道を譲る列車は一旦平坦線で停車、出発時にはこれまた平坦線である折り返し線にバックして本線に進入、一気呵成に急坂に挑むことになります。スイッチバックです。
山岳路線である中央東線には7つものスイッチバックがありました。
これを解消するために複線化がすすめられました。
1968年に初狩、笹子、勝沼、1973年には韮崎、新府、穴山、長坂、そして1983年に東塩尻信号所のスイッチバックが解消されました。
1982年に塩尻駅も移転を済ませ1983年には塩嶺トンネルも開通しました。
新線への切り替えにより国鉄時代末期には所要時間を最短で2時間40分にまで短縮していました。

E351系は特急「あずさ」を高速化した「スーパーあずさ」用として投入されました。
中央東線の新時代をアピールする使命を背負っていたことがわかります。
しかしこれ以上 高速化するのは容易ではありません。

その理由のひとつは、東京~高尾間の運行本数の多さです。
これは まあどうしようもありません。
スピードアップが難しいもうひとつの理由は、わずかに存在する単線区間。
長野県内の茅野~岡谷間です。
(正確には茅野~上諏訪間にある普門寺信号場と岡谷との間)
急勾配の路線ではありませんのでスイッチバックの必要はありません。
しかし、すれ違うためだけの運転停車は時間の無駄以外の何者でもありません。
特急はなるべくこれを回避しようとしますが、通過できたとしても駅構内(単線と複線の境目のポイント)で、最高速度75km/hの制限を受けるのです。
塩嶺トンネル開通時にあわせて複線高架化できていたらとも思いますが、市街地区間なので用地買収もままならなかったのだと思います。
あと残された手は速度制限のかかる曲線を高速で走行することです。
「制御付振り子方式」を採用したのは当然というべきでしょう。

ところで中央西線では1973年に塩尻-中津川間が電化され前述の自然振り子方式を実用化した381系が特急「しなの」として運行を始めました。
また 曲線が多くスピードアップが難しい伯備線「やくも」用にも投入されています。
さて中央東線には同時期に183系189系が増備されています。
381系を投入する手はなかったのでしょうか。
じつはパンタグラフに問題があったのです。車体が傾くということはパンタグラフも同様です。
すなわち架線との接触ポイントが違ってきます。逸脱する可能性もあります。
381系が投入された区間は新たに電化された区間です。
あらかじめ振り子動作に対応するように架線を張ってこの問題を回避しました。
(従来の電化区間走行時は振り子を停止)
しかし中央東線には狭小トンネルも存在します。一筋縄にはいきません。
中央東線ではパンタグラフ側で位置補正をしなければならなくなったのです。

解決策はシンプルです。
車体の傾きとは無関係の台車に直接パンタグラフを取り付ければいいのです。
E351系では台車にパンタグラフ支持枠を直結する方法をとりました。
JR四国の8000系電車では支持枠の代わりにワイヤーでこれを直結する方法をとります。
これと違いE351系では車体内に支持枠が貫通するスペースを設けなければなりません。
無駄なスペースといえばそうですし、重量もかさみます。
しかしJR東日本はよりシンプルで確実な方法を選択したということになるでしょう。

日本の鉄道技術をリードしていく立場にあるJR東日本では通勤電車の未来を切り拓くべく901系を開発しました。
試作車編成として導入された3編成には、様々な新機軸が盛り込まれ比較検討が繰り返されました。
E351系は量産先行車という位置づけで2編成投入され 速度向上に向け確認運行が繰り返されました。
その結果 回生ブレーキだけでは十分な力を得られなかったということで E351系量産車では発電ブレーキも搭載されるようになりました。また パンタグラフもシングルアームに変更されました。
しかし満を持して登場したはずのE351系量産車は2年後に投入された3編成だけです。
そして2001年以降は振り子装置を持たないE257系が投入されることになるのです。
E351系が期待されたほどの成果をあげられなかったということなのでしょう。

2014年には 置き換え用の後継車両E353が投入されるという発表がありました。
台車の空気ばねを制御することで車体傾斜をする新車です。
傾斜角度を2度に抑えてはいますがE351系に匹敵するパフォーマンスを発揮します。
E353系の導入により彼女たちは2018年に姿を消しました。25年は姿を消すには早すぎます。
風前の灯火とはいえ1980年製の185系がまだ生き延びているのです。

「JR東日本の車両形式の前には「E」がついているでしょ。あれは私たちが最初なの」
「あずさについた「スーパー」もそうだけど、私たちには期待が大きすぎた気がするわ。
四国とは違って中央東線のインフラの改善はあらかた終了していたの。
最新のテクノロジーをもってしても劇的なスピードアップは無理…」
とつぶやく彼女ですが期待が大きかった一方で
「何かあったら首都圏が大混乱に陥る」というプレッシャーが常にありました。
  そのプレッシャーが寿命を縮めた様な気がしてなりません。
1997年の大月駅列車追突事故に巻き込まれた経験のある彼女たちです。
日々のストレスは半端ではなかったように思われるのです。

大月駅列車追突事故で相方を失ったS23編成

撮影場所:松本

参考文献:鉄道ファン 2019年3月号「特集:車体傾斜」
鉄道ピクトリアル 「新車年鑑 94.10 96.10 」
図説 日本の鉄道「中部ライン 第3巻 八王子-松本エリア」
JR電車編成表

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