客車として製作された車両が 気動車と混結され営業線にでたのは
「急行「利尻」におけるスハネフ14が最初だ」(1991年3月)
と思っておられる方が結構いらっしゃるのではないでしょうか。
しかし実際には このキサロ59-501の種車であるスハフ12-701のほうが早いのです。
--------------------------------------
2006年夏、久々にSLやまぐち号に乗車しました。
リニューアルされた12系700番台が元気に活躍していました。
さてこの編成には電源用エンジンを持つスハフ12-702が連結されています。
なぜか-701ではなく-702です。気になって調べてみると思わぬ車両にたどり着きました。
-702が改造された1988年当時、すでに-701が存在していたのです。
スハフ12-701は1985年に福知山鉄道管理局が スハフ12-5をイベント客車「いこい」として改造したものでした。
普通イベント列車というものは気動車でも2両編成以上なのに客車でなお1両だけという極めてユニークな存在です。
ユニークなのはそれだけではありません。
1両の中に和室と洋室の両方を併せ持ちそれらを仕切るアコーディオンドアを解放すると大広間としても使えるのです。加えてミニキッチンまで備えるという充実ぶりです。
うーむ…それでいてグリーン車ではなく普通車扱いというのも凄いですね。
しかし、外見はというと一転して地味です。
乗務員室と反対側の扉が撤去されたので注意してみれば改造車とわかりますが、
オリジナルの12系と外観は ほとんど一緒です。
ところで1982年には すでに静鉄局が同じく「いこい」という名のお座敷列車を登場させています。
これがまた12系オリジナルカラーのままなのです。
JR東海「いこい」① スロフ12_811
1982年3月名古屋工場改造 元スハフ12-19 1997年3月廃車 撮影:大阪
不肖、私は「「いこい」なら、もう撮影したもんね!」
と すっかり勘違いしてしまい福鉄局の「いこい」をとうとう撮影することが出来ませんでした。
さて そんな福鉄局の「いこい」は当初、定期の客車列車に連結されて運用していました。
しかしもともとイベント列車というものは利用者の要望にあわせてフレキシブルな運用をするのが望ましく 折から定期の客車列車が減少してゆく中 キハ58に連結されて運用するようになったのです。
国鉄民営分割化がなければこのような例は見られなかったのではないかと思われます。
そしてそのまま気動車と混結されて使用するスタイルを継承し1989年リニューアルしたのが、
キロ59 2両を従えたキサロ59-501「セイシェル」なのです。
JR西日本 「セイシェル」② キサロ59-501
1989年10月 後藤工場改造 2005年3月廃車 撮影場所:福知山
12系客車「いこい」からの改造 定員20 元スハフ12_701 福トカ
画像をご覧ください。12系客車とはとても思えないほどに改造されています。
新たに気動車として形式が付与されたのもうなずけます。
半室構造のもと和室だったところにはリクライニングシートを配置。
洋室だった部分はサロン「くつろぎコーナー」にしました。
ミニキッチンにあったカウンターも利用され スハフ12-701当時のイメージも残されています。
キサロ59の両端にはキハ58系としては新しい1000番台を改造し配置しました。
JR西日本「セイシェル」① キロ59-555 元キハ58-1111
JR西日本「セイシェル」③ キロ59-554 元キハ58-1119
2005年3月残念ながら廃止されてしまいました。
そうしょっちゅう走るわけではないのでもう少し活躍して欲しかったところです。
イベント列車は団体専用列車として用いられることが多いので 乗車することもかないませんでした。
--------------------------------------
彼女は当初 福鉄局の「いこい」として 定期の客車列車に連結されて運用していました。
たった1両の存在ですし 客車でしたから仕方がなかったといえばそれまでです。
しかし 定期列車にイベント列車を併結するという発想はJR九州の「いさぶろう しんぺい」や
JR西日本の「瀬戸内マリンビュー」などに引き継がれていったのではないでしょうか。
ローカル線活性化へのヒントを彼女は残してくれたように思えるのです。
*この記事は2006年9月に書いたものをベースにしています。
コメントを書く
コメントを投稿するにはログインしてください。