「船頭多くして船舶用エンジン山に登る」JR西日本 キハ37 珍車ギャラリー#062

「船頭多くして船舶用エンジン山に登る」JR西日本  キハ37 珍車ギャラリー#062

 国鉄の一般型気動車は使用線区の実情にあわせ ①両運転台あるいは片運転台、②寒冷地向けあるいは暖地向け、③トイレの有無などとバリエーションを広げ 形式または番台区分で区別してきました。
たとえば キハ47-1001は 40系気動車で…
①片運転台の②暖地向け(47-)で ③トイレなし(-1000)という具合です。

JR西日本 キハ37 1000番台 キハ37-1001  撮影場所:加古川

今やJR各社が、各々の使用線区にあわせた新形式を登場させています。
一般型気動車は とりわけ乗客減の著しいローカル線で使用されることが多いので JR東日本以外はその多くが両運転台付きのワンマンカー仕様です。
キハ40系は 旧型の気動車を取り替えるという目的で開発されました。
10系気動車の反省からか頑丈なボディを持つがゆえに車体重量は重くローカル線に向いているとは思えません。
しかし両運転台付きのキハ40は まだまだローカル線でワンマンカーとして元気に働いている姿を見ることが出来ます。
第3セクターのローカル私鉄などでも両運転台付きのワンマンカーはおきまりの必須条件です。

さてキハ37です。昭和57年に地方交通線での使用を主な目的として造られた国鉄の一般型気動車です。
当時、もはやローカル線の客離れは深刻な状況で両運転台付きのワンマンカーこそがニーズに合う車種だと思われるのですが、
キハ37には なんと片運転台車しか存在しません。
加えて 客室とは30cmの段差がある高運転台となっていますのでワンマン運転にも不向きなスタイルで登場します。

キハ37は車両の調達コストを抑えるという試作的要素が強い系列だといわれています。
標準タイプをベースにして採用可能なメニューを使用地域で選べるオプション制を採用しているとのことです。
ですから多くの派生形式(車種)が合ってもおかしくないのです。
ところが使用線区は 登場と同時に配属された加古川線と久留里線のみ。
オーダーがないままにJR化が迫り より地域(=現場の声)に密着した新形式が駆け込みで開発され、
(=九州地区のキハ31,四国地区のキハ32、北海道地区のキハ54などで…全て両運転台付きのワンマンカー仕様)
汎用の地方交通線車両であるはずの キハ37は宙に浮いた存在となってしまったのです。

それでは、キハ37とはどんな車両だったのでしょう。
開発当時、赤字を垂れ流すとローカル線が批判の対象となっていたからでしょうか。
キハ37の設計コンセプトにはかなりの無理があります。列挙すると
①ラッシュ時輸送にも対応するために乗車定員は140名を確保。
②本線へ乗り入れることを想定し、最高速度を95km/hとする。
③重量の軽減を図るためダウンサイジングする。
④調達コストを抑えるため、台車、変速機など中古再生品を使用する。
⑤在来の車両とも連結が可能。
⑥キハ37 1ではトイレ付きとする。というところです。

③ダウンサイジングしながら、①キャパを確保するのは明らかな矛盾です。
結果、片運転台となり座席もロングシートでサービスダウン。
④コストを抑えるために冷房機も搭載できませんでした。
キハ37の重量31.5tは キハ40に較べれば軽いのですが驚くほどではありません。
①はもちろん、②、⑤、⑥の条件も重量がかさむ原因となります。
また④コストを抑えるために用いた古い台車なども軽量化への足かせとなりました。

廻りからあれもこれもと過酷な要求を突きつけられ 設計者は大変な苦労をされたと思われます。
それでも無茶な条件を満たしたときに 現場のニーズから遠いものとなってしまった。
それがキハ37なのではないでしょうか。

「船頭多くして  船 山に上る」この言葉がふと頭に浮かんだことがあります。
実はキハ37のエンジンは船舶用のエンジンを国鉄と新潟鉄工が共同で鉄道車両用に改良したものです。
システムとしてのキハ37はうまくゆきませんでしたが エンジンは同タイプのものが三陸鉄道などでも使われ高い評価を得ています。
以後国鉄のみならず JR各社そして3セクターのローカル私鉄でもキハ37で用いられた効率のよい直噴のディーゼルエンジンが主流となってゆくのです。
また中古再生品の利用ということについてもそのノウハウを残しました。

キハ37が残した功績は忘れてはならないと思います。

 

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