「昔の名前で出ています」JR西日本 クモハ103-48 珍車ギャラリー#230

「昔の名前で出ています」JR西日本 クモハ103-48 珍車ギャラリー#230

片町線では、クモハ103-5001と呼ばれていました。

片町線は現在、学研都市線と呼ばれていますが 正式な路線名は片町線です。
片町線の由来は 浪速鉄道が当路線を開業した際 片町駅が終点(ターミナル)だったことに由来します。
思えば なんともローカルな線名です。ちなみに
沿線(鴫野)に親類がいる私にとって片町線は旧型国電が走っている頃からのなじみの路線です。
その昔から京橋駅片町線ホームは大変な混雑でした。
片町線が関西の国鉄線では初の電化区間(1932年)だったというのも頷けます。
片町線と呼ばれていた時、98パーセント以上の乗客がここで下車し大阪環状線や京阪線に乗り換えていった用に感じられました。
片町駅はJR東西線開業と同時に廃止されたため 京橋駅が終点となっています。
もっとも電車はそのまま市内へ乗り入れていくのですが、JR東西線となっても事実上のターミナルは京橋駅といっていいような気がします。

ところで国鉄時代の片町線にはもう一つ、全く別の顔がありました。
木津駅 – 長尾駅間です。
1989年3月に電化されるまでは長尾駅で運転系統が分かれ木津 – 長尾間は気動車が運転されていました。
編成も単行か2連。列車本数も極端に少なく時刻表がなければえらい目に遭うローカル線でした。
長尾以東が県境(府境)越えになることもあったかもしれませんが 通勤圏が長尾までだったということでしょう。
しかし、京橋=長尾間は約26kmに過ぎません。
長尾以東が通勤圏になり得なかった理由は直通列車がなかったということにつきます。
加えて片町線の列車がすべて普通列車で快速列車などが設定されていなかったことにも原因があったように思われます。

JR西日本の路線となり片町線は大きく変貌してゆきました。
快速が1988年3月に設定されました。
当初は平日ラッシュ時のみでしたが 木津 – 長尾間が電化された翌89年3月には日中にも設定されました。
そして直通列車となる快速は同志社前駅そして木津駅まで運転区間を拡大することになったのです。
なおこの時 あわせて松井山手駅を開業しています。

電化され直通列車が快速運転されることになり ぐっと便利になりました。
とはいえ 一気に輸送需要がUPするはずもありません。
まして 木津-松井山手間は7両編成に対応していません。
そこで103系を分割併合仕様に改めることにしたのです。

片町線がJR西日本に移管された当時、101系と103系が淀川電車区に配属されていました。
淀川区の7連のみならず、明石区の7連も改造対象になりました。
④号車(サハ103)と⑤号車(モハ103)の双方に自動解結装置が取り付けられ 付属編成4連+基本編成3連に分割されました。
ただサハ103については、床下機器の位置に問題があり方転改造をしたことから新形式のサハ102(5001~13)が付与されました。
モハ103についても運転台も新たに取り付けられたことからクモハ103(5002~16)となっています。

さてクモハ103に5001が欠けているのにお気づきになったでしょうか。
実は5001のみ、クモハ103形オリジナル車からの改造車なのです。
これが今回のヒロイン、クモハ103-48です。

国鉄末期には明石区に配属され東海道山陽緩行線で活躍していました。
奈良区からの転属、改造となっていますが、関西線色にはならず青22号のままでした。


奈良区に転属された当時の クモハ103-48

 

103系 淀川電車区 C8基本編成① クモハ103形5000番台 クモハ103-5001 もとクモハ103-48 

撮影場所:鴫野

しかし、うれしい誤算と申しましょうか。利用者はうなぎ登り。
3連では混雑が非常に激しいことから翌1990年3月には基本編成を4連に増強されることになります。
付属編成④号車のサハ102形を基本編成⑥号車に移動しました。(編成表の赤字部分)

Tc=M=M’=T= M=M’=Tc
↓ 付属編成4連+基本編成3連
Tc=M=M’=T +Mc=M’=Tc
↓ 付属編成3連+基本編成4連
Tc=M=M’ +Mc=M’=T=Tc

この時 新形式のサハ102(5001~13)は自動解結装置を撤去、0番台(1~13)に改められます。
そしてその自動解結装置は付属編成③号車のモハ102に取り付けられました。
モハ102-5000番台(5001~13)の登場です。これが クモハ103形5000番台の新しいお相手です。

しかし、それもつかの間のことでした。
JR西日本は学研都市線とその名を改め、片町線をイメージアップする作戦に出ました。
東西線の開通にともない直通運転するための新車を一足早く 学研都市線に導入したのです。
1991年から投入された207系です。
1992年には 松井山手以東の区間には207系4連(B1 ~16編成)が充当されることになりました。

結果、103系は7連固定で使用され快速として使用されることはなくなってしまいました。

しかし短編成化されていたことで関西線用にまた山陽本線広島以西用にその活躍の場が拡がってゆくのです。
冷房車であったことも幸いしました。


流れ流れて、広島へ

このような経緯を経てきているのが広島運転所の103系D編成(D1~3)です。
彼女たちは1993年に瀬戸内色に装いを改めB16 ~18編成として4連で広島入りしました。
さて その際5000番台に取り付けられていた自動解結装置は取り外されました。
モハから先頭車改造されたクモハ103形5000番台は 2500番台に改められます。

103系  広島運転所 D3編成③ クモハ103形2500番台 クモハ103-2502

撮影場所:広島

そして、もともとクモハ103形だった48号は元の番号に復帰することになったのです。

その後、サハ102を引き抜かれ3連となったD編成は2002年にワンマン改造されました。
現在も呉線をメインに快速列車として活躍中です。

片町線の近代化に振り回されたのが彼女たちでした。
でも、振り返ってみるとクモハ103形にいたってはオリジナル車で生き残っているのは48号のみです。
103系もいよいよその数を減らしてきています。
昔の名前でがんばっている48号に出会ったら 一筋縄ではなかったその遍歴に思いを馳せてやっていただけたら…と思います。

注:この記事は2011年1月に書いたものです。48号機は2015年3月廃車されました。

参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1989年版 No512
鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1990年版 No534

103系 広島運転所 D1編成③ クモハ103形0番台 クモハ103-48

撮影場所:向洋

JR西日本 103系(瀬戸内色)D1編成 山陽本線 呉線 用
←糸崎、広島③         ①岩国 由宇 可部→
クモハ103_48-モハ102_145-クハ103_86
*クモハ103_48は もとクモハ103_5001 89.2改造、93.4旧車番に復帰
所属 広島運転所   参照:JR編成表2008年夏版 撮影2012.8

 J-tetsu.com    -鉄道車両写真集-
JR西日本 103系 D編成(広島区) 103系5000番台 C編成(淀川区) へJUMP

 

 

珍車ギャラリーカテゴリの最新記事