「あえて130km/h運転はしません」 JR西日本 223系7000番台 珍車ギャラリー#384

「あえて130km/h運転はしません」 JR西日本 223系7000番台 珍車ギャラリー#384

2020年10月 新快速は50周年を迎えました。
東は北陸本線の敦賀から西は赤穂線の播州赤穂まで275kmの幅広いエリアをカバーします。
JR北海道の長距離普通列車がなくなって以来 なんと新快速は最長距離を走行する普通列車です。
距離だけではありません。
東海道・山陽本線/湖西線では最高時速130kmで快走。
京都―大阪間(42.8km)を28分、大阪―三ノ宮間(30.6km)を21分で結びます。
日中は15分ごとの運行で特に大阪駅と京都駅では上り・下りとも
毎時0分、15分、30分、45分発
という設定ですので、便利なことこの上ありません。
新快速の英語表記は「Special Rapid Service」。名実ともにJR西日本を代表する看板列車です。

新快速は1970年に113系でデビューしたそうです。
というのも、私には113系の記憶はなくて1972年にデビューした153系ブルーライナーが最初の新快速だと思っていたからです。
急行料金なしに急行用車両に乗れたのがうれしかったですね。
1980年に新快速専用車両としてデビューした117系も結構インパクトがありました。
1987年JRとなり2年後、221系が新快速の顔となりました。
そして、衝撃的だったのは1995年登場の223系1000番台です。

223系1000番台 W5編成⑧ クモハ223形1000番台 クモハ223-1009 網干総合車両所

なんといっても130km/h運転をスタートさせたのですから…。

それにしても25年間(1970~95年)に これだけ車両を入れ替えているのもすごいですね。
対して2020年4月現在 95年から25年たった今も新快速の主力として活躍する223系。
網干総合車両所(以下網干区)の223系は総勢652両。
225系が勢力を拡大しつつあるとはいえ圧倒的な存在感と言っていいでしょう。
今回はそんな223系の中から珍車をピックアップしました。
223系7000番台です。2008年に登場しました。
7000番台を名乗るのはクモハ223-7000とモハ222-7000の2形式、5両ずつで計10両。
全体の2%以下です。
加えて彼らは新快速としては使いません。
130km/h運転ができない221系と性能をあわせたからです。
なんだこりゃ?

7000番台のことについてお話しする前に223系についてみてゆきます。

223系は 221系に次いでJR.西日本が開発した近郊型電車です。
車体がステンレス製となりVVVFインバーター制御方式を採用するなど221系から大きく変化しました。
1994年にデビューした223系(0番代)は日根野区に配置.。
1994年9月の関西国際空港 開港にあわせて運行される関空快速(大阪(京橋)~関西空港)用に導入されました。
現在は 和歌山ゆきの紀州路快速と併結して運転されています。
そして翌1995年。アーバンネットワークの切り札として投入されたのが 新快速用に開発された223系1000番台です。
130km/h運転を可能にするモーター(WMT102)は出力220kwとなりました。
これは113系などに装備されたMT54の約2倍となる出力です。
221系の台車は国鉄時代に開発されたDT50の発展型でしたが1000番台では高速運転に対応すべく新設計した軸バリ式ボルスタレス台車にヨーダンパ付きのWDT56となり足回りを固めました。
速く走ることばかり考えているわけではありません。
車体は3ドアを継承しながらも出入り口スペースに余裕をもたせ乗降時間の短縮を図りました。
また最新のインバーター素子(IGBT)を採用した主回路システムは1C1M。
M車に機器を集中するなどトラブルがあった際の影響を押さえ込む工夫が凝らされています。
私に言わせれば 1995年のブルーリボン賞は223系1000番台です。
(ちなみに95年は南海50000系:ラピート)
JR西日本のフラッグシップといってもいい。

彼らが登場した1995年は阪神大震災の年です。
JR区間は4月に復旧したのですが 神戸の街は震災の爪痕がまだ生々しく残っておりました。
そんな当時 颯爽と走るニューフェースは希望の星でもありました。

1000番台は1995年以降、99年までにW編成が⑧×9本、V編成が④×5本
計92両製造され網干区に投入されました。

後継となる2000/3000番台は新快速全列車を130km/h運転すべく1999年から増備されました。
ベースとなっているのは当然1000番台です。
1000番台との見分け方は車体側面のビートがなくなったという点がありますが、
M車4軸のうち1軸がT軸となる いわば0.75Mのクモハ223/モハ222-3000番台を追加したのが大きな変更点です。

223系3000番台 V19編成④ クモハ223形3000番台 クモハ223-3023 網干総合車両所

ではなぜ。0.75Mなのでしょうか。

それは ずばり、製作コストの削減です。
1999~2000年に製造された1次車(0.75M車)は わずか2年の間に232両が増備されました。
5年かけて92両作られた1000番台と比べると10倍以上のハイペースです。
0.75Mでも必要な性能を得られるのならモータの数を減らして制作コストを抑える効果は大きいというわけです。
ところが、これら3000番台は 2次車(2003年~)以降製作されず1000番台と同様のMT構成となる2000番台が増備されました。
(このことについては後にお話しします。何はともあれ、)
2005年に網干区の223系は 652両が勢揃いしました。
内訳はW編成が⑧×39本、J編成が⑥×14本、V編成が④×64本
うち3000番台を含む1次車の編成番号はW10~27、V6~28です。
(8連×18、4連×22 232両)
なおW1~9、V1~5は1000番台。他は2次車~となります。
ということは、共通運用ということですよね。

ところが、2008年から221系と併結運転をするためあえて高性能な223系の性能をを221系並みに抑えるという改造を施すことになりました。
221系が網干区から撤退していれば存在しなかったでしょう。
もっとも網干区が担当するのは「新快速」だけではありません。
もう一つの柱である「快速」もそうです。
130km/h運転ができずとも「快速」なら221系で十分やりこなせます。
それならば、これを活用し続けるべきです。
その数が足らないというのなら 223系を併結すればよい。

そこで選ばれたのがV20~26編成(④×7本)です。
0.75M車である3000番台を含んでいます。
221系と同性能であることを識別するために車番は種車に+4000しています。
よって0.75Mの3000番台は7000番台となります。
これが今回の珍車、223系7000番台です。

223系7000番台 V24編成④ クモハ223形7000番台 クモハ223-7032 網干総合車両所

はい。これにて おしまい…。

としてもよかったのですが、いくつか疑問が沸いてきました。
どうか もう少しおつきあいください。

6000/7000番台となり もはや共通運用はできないはずなのに なんと編成番号はそのままです。
ということは現場ではちゃんと区別しているということでしょう。
網干区では225系の増備も進み さしもの221系も網干区から姿を消す日が近づいているように思われます。
その際は7000番台も3000番台に復帰することになるのでしょう。
その日のためにそのままにしているのだと思いました。
実際、旧番号(3000番台)に復帰する例も現れました。
ところが221系と併結運転することもない6000番台がいるのです。
彼らは、2008年3月に開業した「おおさか東線」で( 朝夕ラッシュ時のみですが)尼崎-奈良で運転される(JR東西線、おおさか東線経由)「直通快速」用に投入されたものです。
よって彼らは東西線用にM車にパンタグラフを2台載せています。
もちろんこのことで6000番台を名乗っているわけではありません。
宮原区に新製配置された当時、彼らは2000番台(5.6次車 MA編成:4連×12=48両)でした。
彼らは,おおさか東線での試運転・習熟運転から使用を開始しましたが おおさか東線開業までに全車車番を+4000して6000番代に改造・改番されています。
当時、丹波路快速などに運用されていた221系と共通運用するためです。
ところで、この時の221系(C編成4連×11=44両)なんですが、網干区からの借入車です。
だから編成番号も不揃いです。
借入ということは長く使う気はなかったということでしょうね。
実際、今は221系はおらず223系と225系がその任に当たっています。
でも、丹波路快速には221系の性能で十分ですよね。
ハイスペックの2000番台をわざわざ6000番台にして性能を合わせたわけです。
そして、もはや221系がいないのにもかかわらず宮原区では6000番台のまま使っているのです。

もったいない。

2008年当時、新たにデビューする直通快速に223系を投入するのは納得できます。
221系は、今もなお大和路線の主力です。
221系では「直通快速」をアピールできません。
それどころか誤乗車される可能性もあります。
しかし、ここは新車ではなく1次車すなわち0.75Mを含むV編成を転用すべきではなかったかと思うのです。

1次車(0.75M)でも2次車~(1M)でも大差はない。
1次車でも必要な性能を満たしているから同じV編成として運用している。
ということですか。
大差がないのなら2次車以降も0.75Mのまま増備すべきでしょう。

東西線では4扉車に統一することになり2011年3月から直通快速も207系に変更。
宮原区の223系は大和路線・おおさか東線・東西線から撤退,丹波路快速・快速に専念することになります。
これを機に1次車とトレードすることもできたのではないでしょうか。
221系が宮原区から姿を消したときにも1次車には声がかかりませんでした。

ところで必要な性能とはどういう点から判断されるのでしょう。
冒頭でもご紹介しましたように 新快速は大阪駅と京都駅において日中毎時0分、15分、30分、45分発という設定で運行しています。

しかし、これは1972年から つまり153系ブルーライナーの時代からそうなのです。
いうまでもなく153系は130km/h運転なんてできません。
このダイヤが可能だったのは 当時大阪-京都間をノンストップで走ったからです。
最高速度がたとえ低くとも途中止まらずにトップスピードで走り続ければいいのです。
現在、高槻にも新大阪にも新快速は停車しますが そのためにはトップスピードを115km/hにする必要があります。

2000年3月、新快速全列車が223系化されました。
米原-姫路間を130km/h運転することで米原-姫路間は9分短縮の2時間16分。
大阪-京都間は27分で運転できることになりました。
よって京都駅での毎時0分、15分、30分、45分発  という設定は変更され、
毎時2分、17分、32分、47分発となったのです。
そして現在も…といいたいところですが  毎時0分、15分、30分、45分発に戻されています。
どうしてでしょうか。

それは、2005年4月の福知山線 塚口-尼崎 での脱線事故があったからです。
尼崎がハブとなるアーバンネットワークは 接続がよく考えられていて乗り換えもスムーズです。
しかし1本でも列車が遅れれば、接続がうまくゆかず その遅れは拡大しなかなか収束できないこともありました。
そのプレッシャーが無理な回復運転につながり悲劇を生んだのだといえるでしょう。

2020年現在、大阪駅でも京都駅でも毎時0分、15分、30分、45分発という設定です。
見た目1972年と変わりません。
130km/h運転しなくてもこのダイヤは維持できます。

しかし、遅れが生じたとき130km/h出せるということは、
運転手さんに心の余裕を与えていることは間違いないでしょう。
ネットで見つけた運転手さんのコメントをみると
「車両が軽く、モーターのトルクも大きいため 加速がとてもよいです。とくに時速80kmくらいからの伸びはすごいです。」
とありました。加速力は大事です。
短時間の内にトップスピードである130km/hに達し長くこれを維持したまま走り続けることができます。
さすれば、所要時間も短くなり、無理なく遅れを回復できます。
加えて、 大阪駅での停車時間は2分とゆとりを持たせています。
これは目に見えない大きな進歩です。
2次形で0.75Mを1Mに復帰したのは この「ゆとり」を求めたがゆえでしょう。

なるほど、合点がいきました。

安全性を確保するために「ゆとり」は欠かせない。
このことを気づかせてくれたのは他ならぬ福知山線のあの事故です。
221系と性能を合わせたとはいえ わざわざ0.75Mの7000番台を福知山線に転属させるわけにはいかないですね。

223系6000番台 MA10編成 丹波路快速 宮原総合車両所

撮影場所:尼崎

参考文献:「関西新快速物語」
JTBキャンブックス #785, 2011年
寺本光照、福原俊一

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