「パンタグラフが自慢」JR西日本 24系 スハ25形300番台 珍車ギャラリー#410

「パンタグラフが自慢」JR西日本 24系 スハ25形300番台 珍車ギャラリー#410

列車には電気が必要です。

照明、放送、それになんといっても空調。
電車ならモーター同様、架線から電気の供給を受けることができますが、架線のない非電化区間なら自前で電力を何とかしなければなりません。
そこで電源用エンジンを用意することになります。

さて今回ご紹介する スハ25 300はこの電源用エンジンをもたない電源車です。
特急「あさかぜ」「瀬戸」用に編成されました。
運転区間の東京-下関、高松はすべて電化区間です。
よって架線から電源の供給を受けることができます。
架線からの直流電源をSIVでもってサービス電源(三相交流440Vあるいは200V)に変換します。
ディーゼルエンジンなどいらないのです。
ガラガラガラ…という騒音もなくクリーンでスマートな電源車。
「パンタグラフがね。私の自慢なの」
彼女は声を大にしてそう言っているように見えます。

24系25形 特急「瀬戸」スハ25形300番台 スハ25 301

撮影場所:高松

架線から電源を利用したということなら先例があります。
20系でデビューした「あさかぜ」の電源車であるカニ22形です。(1960、63年製)
1964年 山陽本線全線電化にあたり この直流電化区間での架線電力を有効利用しようとしたものです。
パンタグラフからの電力でもって電動発電機(MG :MH100形電動機+DM64形発電機)を駆動。
ここからサービス電源を得ました。
ただしカニ22はカニ21形同様のディーゼル発電機を2基搭載しています。
対してスハ25 300はエンジンを搭載しません。
その分軽いわけですから「カ級」ではなく「ス級」なのは理解できます。
ところで…なぜ「ハ」なのでしょう。

24系25形 特急「あさかぜ」オハ25形300番台 オハ25 301

撮影場所:下関

ここでご紹介しておきたいのがオハ25形300番台です
1989年に12系のオハ12形の改造により登場したラウンジカーで種車はオハ12 18・31・41(→オハ25 301 – 303)です。
ロビー、シャワー室、サービスカウンターを備えています。
新時代の寝台列車にはビジネスホテルに負けないだけの設備が必要なのです。
荷物室や寝台はありません。グリーン車でもありません。
誰でも利用可能な快適な空間(普通座席)を備えることから「ハ」というわけですね。

画像をご覧ください。
ラウンジ部分の広幅固定窓からスハ25 300の姉妹車両であることが見てとれます。
というわけでスハ25形300番台も1989年にオハ12形の改造により登場したラウンジカーでこれに電源設備を搭載したものとなります。
種車はオハ12 350・351(→スハ25 301・302)です。
1991年にはオハ25 303に電源設備を追加スハ25形に再改造されています。
(オハ25 303→スハ25 303)

架線給電はうまくいった

スハ25 300は追加されているわけですから、架線給電はうまくいったんだと言いたいところなんですが、そうでもないようです。
思えば、JR各社が運行した寝台列車のうち「北斗星」など札幌行きを除けばほとんどが電化区間のみの運行です。
もっとも交流区間もありますので課題はあります。
ですが その気になればスハネフ14だって架線給電に改造できたのではないかと思われます。
でもそうはならなかった。なぜでしょう。

スハ25 300が連結された 特急「あさかぜ」「瀬戸」は東京-下関、高松で運行していました。
JR東海にしてみれば他社車両がサービス用に自社の電源(架線からの電気)を使用して通り抜けるわけです。
別会社なのですから その分の電気代は頂きたいのは当然ですね。
また緊急時にはスハ25のパンタグラフを機関車側から降下させる機能も必要です。
機関車はJR西日本下関区のEF66形とJR東日本品川区のEF65形1000番台です。
双方にスハ25のパンタグラフ降下制御装置の設置せねばなりません
というわけで何かにつけJR各社で調整を行わなければならないことになるのが大きな原因ではないかと私は思っています。

新たな障壁 -JR境界線-

JRが発足して新たに境界線を越える列車が設定された例はというと。
「北斗星」や「海峡」そして「しおかぜ」や「マリンライナー」などがあります。
しかしそれらはJR発足後すぐに開通した津軽海峡線や瀬戸大橋線を通過する いわば国鉄時代からお約束の列車です。
対して、かつてあらゆるところで運行されていたJRの境界線を越える列車はダイヤ改正のたびに減ってゆきました。
とりわけいくつもの境界線を越える夜行列車は激減しました。
夜行列車激減の原因については高速道路網の充実に伴って夜行バスがこれに取って代わったのだ。
というのが定説です。しかしそれだけではありません。
川島令三氏は「新説 全国寝台列車未来予想図」でその辺の事情を詳細に分析されています。
境界線を越える場合、運賃収入はその距離によって按分されるわけですがそれだけではありません。
車両使用料が発生します。また切符を販売したなら5%の手数料も発生します。
スハ25 300が運行するに当たってはどのような協議がなされたのでしょう?
たとえいいアイデアがあったにせよ。
双方にメリットがあり かつリスクがない おいしい話がそうそうあるはずありません。
川島氏は同書で寝台列車の復活に向け熱くその思いを述べられています。
そして次世代型寝台列車のアイデアをいくつも提言されています。
夢物語ではありません。具体的かつ現実的なものです。
しかし、実現には至っていません。
いずれも各社で協議をしなければならないことが山積みとなるからです。
たとえ増収があってもそれをどう按分するのか。
トラブルが起こった際にはどうするのか等々…あれもこれも各社で調整…。
「もう!面倒なことはしたくない」
川島氏に限らず その一点で闇に葬られたアイデアが山ほどあるような気がします。
JR化とは国鉄の分割民営化です。
利益を追求する会社同士が自己主張する中で 協力して一つのモノを創り上げることは困難なことです。
いや 維持してゆくことさえままならないことでしょう。
2005年 2月28日をもって「あさかぜ」は廃止されスハ25-300番台は姿を消しました。

パンタグラフとともに引き継がれたもの

JR西日本は寝台電車「285系サンライズ」をデビューさせました。
実現に至るまでには多くの課題が山積みであったにちがいありません。
でも、彼女の登場によって寝台列車の灯が消えることはありませんでした。
スハ25-300が自慢していたパンタグラフへの思いは引き継がれたのです。

参考文献:新説 全国寝台列車未来予想図 川島令三氏 2008年 講談社

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