「ケチの付きはじめ」大阪モノレール 1132F   珍車ギャラリー#407

1000系は大阪モノレール(当時の正式名称は大阪高速鉄道)の開業、延伸にあわせ1989~98年に(13編成×4連)製造されました。
日立製作所が提唱する跨座形(アルウェーグ式)モノレールで「日本跨座式」とも呼ばれます。
駆動方式は 2段減速直角カルダンで他励界磁チョッパ制御方式を採用しています。

1990年6月の南茨木 – 千里中央間 開業時に01~06Fが登場しました。そして
1994年9月の柴原 – 千里中央間 延伸時には31、32Fが追加されました。
車番が30台に変更されたのは01~06Fがロングシート編成だったのに対し、31.32Fでは全車セミクロスシート編成となったためです。
(ちなみに21~25Fは中間車(②③号車)のみセミクロスシート編成となります。1997年製で30番台のあとから追加されています。)

クロスシートになったのはほかでもありません。
蛍池周辺の用地買収に手間取った大阪モノレールは大阪空港までなかなか延伸できず、乗客数が伸び悩んでいたからです。
モノレールからの見晴らしは抜群です。これをウリにしようと思ったのですね。
ロングシートではその眺めに背を向けることになります。これはもったいない。
対して車窓を眺めるのにクロスシートはもってこいです。
大阪モノレールの運賃は決して安くはないのですが、この眺めなら納得というところです?。

30番台にはアザレアパープルのラインが入りました。
どの列車にクロスシート車が来るかはわかりません。
このパープルのラインがやって来たときにはガッツポーズが出ましたね。

大阪モノレール(=大阪高速鉄道) 1000系31F 全車セミクロスシート編成。

このころが32Fにとって最良の時だったと思われます。

そんな32Fに転機が訪れます。
眺めがよいということは、周りからもよく目に付くということです。
大阪モノレールの車体は広告媒体として見直され、その多くにラッピング広告が施されました。
どうしてフラッグシップともいえる32Fにラッピングするのか私は理解に苦しむところです。
でも32F  には「おろちくんのモノレール」というラッピングが2002年に施されてしまうのです。
「おろち」とはエキスポランドのジェットコースタ-です。
1996年3月に導入された当時は世界最大のインバーテッド(吊り下げ式)コースターでした。

2007年5月、同じエキスポランドのジェットコースター「風神雷神II」が事故を起こしました。
エキスポランド開業20周年(1992年)に新設された立ち乗りコースターです。
この事故ではコースターの乗客が亡くなってしまわれました。
死亡事故は国内初です。衝撃的な事故でした。
元取締役と元施設営業部長は有罪判決を受け、エキスポランドは休園。
再開するも客足が伸びず再び休園、2009年には破産とあいなりました。

 さて32Fですが 事故以降 予備車扱いとなります。
「おろちくん」が事故を起こしたわけではないのですが謹慎させられた格好です。
6月限りで広告契約を打ち切られたため「おろち」ラッピングを外された32Fは「オール電化号」「ZAQ号」とその姿を変えてゆきます。
その一方で大阪モノレールは2007年よりクロスシート車のロングシート化を進めていました。
かくして2009年には32Fもロングシート化されてしまうのです。(車番の変更はありません。)
ラッピングもさることながら、これはつらかったでしょうね。

そして運命の時を迎えます。2018年6月の大阪府北部地震です。
その時、私はJR高槻駅にいました。
突き上げられるような揺れで架線が大きく波打っていたのが思い出されます。
隣接する建物からは水が噴き出し、これはただ事ではない。
阪神大震災に匹敵するのでは…とその時 感じました。
しかし結果としては、それほど大きな被害は無くてすんだというのが実感です。
高架橋が崩落したり、車両が脱線し使い物にならなくなるという被害を聞くことはありませんでした。
ところが、大阪モノレールで唯一32Fがこのとき被災していたのです。
どこで、どのようなダメージを受けたのかはわかりませんでしたが、32Fはまたもや長期間運用を離脱することになります。
そして32Fは2年後の2020年8月に廃車されてしまうのです。大阪モノレールでは初の廃車です。

「やっぱり、あのラッピングがケチの付きはじめだったわ」

彼女は、そうとでも思わねばやってられない思いだったでしょう…。

撮影場所:門真市 2006年6月

-鉄道車両写真集-
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