田原本線は奈良盆地のほぼ中央を3両編成のワンマンカーがのんびり走る近鉄ローカル線の一つです。
大和鉄道が大正7年に開通させた田原本線は、昭和23年に電化と同時に改軌。
いったん生駒信貴電鉄に合併された後、昭和39年近畿日本鉄道に合併されます。
独立性の強い路線で、田原本駅の北側で近鉄橿原線と線路こそ繋がっていますが、両端のターミナルは独立していて、他線に乗り継ぐためには、いったん改札を出て歩かねばなりません。
”スルッと関西”のカードも使えず、
「ひょっとして近鉄はこの路線も養老線や伊賀線のように”田原本鉄道”にする気なのか。」
と勘ぐりたくなります。
私が初めて田原本線を訪れたのは、学生時代で、30年以上も前になります。
奈良線を走っていた小型の旧型電車が走っており、ローカル線ムード満点でした。
しかし、1976年一斉に高性能車(800形)に置き換えられ、とんと足が向くことはありませんでした。
さて、先日。友人のN川氏と懐かしの近鉄ローカル線巡りをしました。
近鉄沿線に住むN川氏が、珍車ギャラリーのネタに、田原本線で走っているモ8459を紹介してくれたのです。
田原本線には、ワンマンカー改造をした8400系3両編成が、終日行ったり来たりしています。
ワンマンカー改造をしているとはいうものの外見上特に変化の見られない8400系は、いわばありふれた車両です。
まして中間電動車となるモ8450形です。
いかな鉄チャンでもこの車両にわざわざカメラを向けるお方はそうはいません。
でも8459だけはちょっと違いがあるのです。
上の写真をご覧ください。
窓の配置です。確かに違います。ユニット窓ではなく、独立した窓が2カ所。
妻面の形状もフラットではなく、これはあきらかに運転台が撤去された跡だと見て取れます。
下の写真をご覧ください。
1両目と2両目の天井の高さが違うことに気づいていただけたでしょうか。
8400系は、ラインデリアという換気装置を装備した車両で、天井がフラットです。
しかし、モ8459は、丸みを帯びた深い屋根になっています。
実は、モ8459は、8000系、それも初期のファンデリア装備車であるク8559を8400系に改造編入したものなのです。
ファンデリア装備車(かまぼこ形ベンチレータ付き)初期型(8021-59F)は、もはや姿を消してしまっています。
モ8459は、8600系に編入されたサ8167とともに8000系ファンデリア装備車の忘れ形見ともいうべき貴重な存在なのです。
ではなぜ、この2両が生き残れたのでしょうか。
実はそれには、悲しい過去があるのです。
1972年 奈良線のあやめ池駅付近で、近鉄電車爆破事件が起きました。
過激派が仕掛けた爆弾がその原因だと言われましたが、未解決のまま30年を越える月日がたちました。
この時の被災車両が、8059-8559の2両だったのです。
重要な証拠品として4年もの間留置されていた彼らですが、1976年。
モ8059については、電装を解除、運転台を撤去してサ8167となりました。
同年新造された8617F 2連にこれまた新造のモ8667を組み込んで4両編成となり 現在も活躍中です。
そしてク8559については新たに電装。運転台を撤去してモ8459となりました。
2連だった8409Fに組み込んで3両編成となりました。
新製以来10年。足回りは新しい電車にあわせて かたや電装、かたや電装解除とちぐはぐなことになっています。
それでも窓枠などは使えるのもを転用したのでしょう。
おそらくモ8459の窓枠にはモ8059のものが流用されているような気がします。
それにしても8000系の1次形が、1964年製とは、月日のたつのは早いものです。
10両編成の快速急行として、我が物顔で奈良線をがんがん走っていた8000系ファンデリア装備車は、ハードに使われていた分、痛みも早かったのでしょう。過去帳入りしてしまいました。
爆破という悲しい過去を経てきた。ク8559ですが、モ8459として生まれ変わり、いまやのーんびりと田原本線で日々を過ごし、ゆうゆうとその余生を送っています。
「人間、万事塞翁が馬」ということわざがありますが、電車にもそういうことがいえるのかなという気がしました。
-鉄道車両写真集- |
奈良線 8000系改 8400系 へJUMP |
参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 近畿日本鉄道」No727(2003.1)No.398(1981.12)
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