この画像を見て「おっ これは近鉄の16000系だ」
と思われる方は結構多いのではないでしょうか。
デビュー当時の特急用ヘッドマークを懐かしく思い出されている方には
「11400系エースカーか」と思われる方もあるでしょう。
しかし、車体の裾をよくご覧ください。
絞られていません。ストレートです。
これは1965年にデビューした18000系で車体長も18mと短いのです。
どういういきさつで18000系が生まれたのでしょう。
その理由を考える前に、まず近鉄特急ネットワークが形成されていった歴史を振り返る必要がありそうです。
おつきあいください。
伊勢湾台風による運休を契機に近鉄は名古屋線を改軌、58年12月名阪直通特急をスタートさせます。
ビスタカー(Ⅱ世59.12月デビュー)の成功もあって一気に利用客は急増しました。
しかし64年東海道新幹線が開業します。当時、名阪間1時間31分。
近鉄の名阪ノンストップ特急は最速で2時間13分。スピードでは勝負になりません。
そこで、近鉄は自社エリア内に点在する主要都市や観光地と新幹線駅を結ぶ特急ネットワークを構築する構想を立てたのです。
まず、新幹線からダイレクトに乗り換え可能な京都駅に目をつけました。
日本有数の観光地が沿線に点在する京都・橿原線に有料特急を設定することにしたのです。
ただ、この時点では京都・橿原線は大阪電気軌道 創業以来の600V路線で、小型車しか入線できない旧態依然とした状態でした。
近い将来、規格を変更し1500Vの大型車を乗り入れさせる計画はありましたが、すぐにというわけにはゆきません。
かといって、この段階で小型で複電圧対応の特急車両を新造したならば、規格変更のあかつきには、その特殊設計が無駄になってしまいます。
また、この京橿特急が思惑通り成功するとは限りません。
ここはひとまず在来車からの改造によって所要の特急車を準備することにしたのです。
白羽の矢が立つたのは、モ680形(旧奈良電デハボ1200形)、モ690形(旧奈良電デハボ1350形)でした。
格上げに際しては、大阪線特急車に準じた設備とするため冷房化を含む大規模な改造が実施されました。
64年10月に運転を開始した京橿特急は、当初の予想を越える需要がありました。
急ピッチで増発を重ねます。
65年3月には680系の検査予備車まで定期運用に充当されるようになりました。
ここに至って近鉄は、急遽、小型の特急車両を新造することになるのです。
これが18000系です。
将来的なことを考えれば複電圧車を投入したいところです。
そうなれば当然、活躍の場も広がります。
しかしそのためには、青山越えをはじめとする山岳路線を駆け上がるパワーと、これを駆け下る電気ブレーキも必要です。
これをコンパクトなボディーに詰め込むわけです。
設計するのには相当の期間が必要となるでしょう。
当時、そんな時間的余裕はありませんでした。
そこで足回りは奈良線モ600形から機器を流用しました。
ですから吊り掛け駆動です。もちろん600V車です。
れっきとした特急車でしたが、繋ぎであることは否めません。
65年から66年にかけて新製投入されたのは2両編成2本にすぎませんでした。
この間も、京都・橿原線では建築限界の拡大と1,500 Vへの昇圧工事が急ピッチで進められました。
昇圧工事は69年9月に、京都線の建築限界拡大についても68年に完了しました。
一方、橿原線はさまざまな事情から、工事は大幅に遅れ、73年まで小型車しか運行できませんでした。
とはいえ「京都から伊勢方面へ乗り換えなしで特急を利用したい」
との声は大きく、近鉄は18 m級車体に強力な180 kW級電動機や発電制動を装備した複電圧特急車18200系を66年デビューさせます。
京伊特急は大成功。
69年から投入された「ミニ・スナックカー」こと18400系とあわせ 2両編成×15本(69年)が京都・橿原線仕様で増備されます。
この間も京橿特急は順調な伸びを見せ4両編成で運用されるケースも増えました。
ですから京橿特急にしか使えないとはいえ18000系をこの運用から外すことはできませんでした。
しかし、橿原線の改良工事が完了した73年以降となると話が違います。
12200系をはじめとする大阪線用特急車が、どんどん乗り入れてきます。
活躍の場を拡げた18200系18400系はさておき、平坦線の京都・橿原線専用である18000系は、他車との混結もできません。
ここでしか運用できないことが足かせとなり、活躍の機会も減ってしまいました。
必要とされたのは、わずか8年足らずだったということになります。
680形は75年、一般車に格下げされ、87年まで志摩線で生き延びました。
ですが、18000系は京橿特急として活躍を続けたものの、82年9月には廃車となってしまいました。
同じく11400系エースカーに準じた車体を持つ16000系が今なお南大阪線で活躍していることを思えば、18000系はいかにも短命であったといえるでしょう。
しかし18000系は生涯、エースカーの車体で活躍を続けたことで近鉄特急ネットワークの一員であることを強くアピールしました。
18200系が登場するまでのつなぎとはいえ、京伊特急の成功に大きく貢献したのは18000系ではないかと私は思っています。
初出:2020.12.17
参考文献;鉄道ピクトリアル「特集 近畿日本鉄道」No727(2003.1)No.398(1981.12)
-鉄道車両写真集- |
京都、橿原線用 18000系 18200系 ミニエースカー 18400系 ミニスナックカーへJUMP |
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