「2扉車」南海 2000系(珍車ギャラリー #402)

「2扉車」南海 2000系(珍車ギャラリー #402)

「2扉車」

南海 2000系 02F 2152 南海本線用

  南海本線に「2扉車」という目立つ表示の電車が走っています。

特急である「ラピート」は2扉ですが、当然こんな表示は必要ありません。
「2扉車」という表示を掲げているのは普通列車用の一般車2000系です。
南海では、いや南海でなくとも、普通、一般車は3、4扉です。
なぜ「2扉車」を普通列車に使っているのでしょうか。
加えて、2000系は「2扉ロングシート車」です。
地方鉄道のワンマンカーならいざ知らず、都市圏を走るものとしては珍しい存在です。
はてさて南海2000系とはどのような車両なのでしょう。
まずは彼らの故郷、高野線についてお話しします。

高野線の歴史-大運転へのこだわり-

高野鉄道が1898年に大小路(現在の堺東)- 狭山間を開業したのがルーツです。
その名の通り、高野山を目指し路線を延長していったのですが、難波延長は南海鉄道と並行するため許可が下りず、現在の汐見橋をターミナルとしました。
折からの不況もあって業績はふるわず、結局、橋本-高野山(現在の高野下)が開通したのは1925年で、南海鉄道との合併後でした。
南海鉄道は別会社として新たに高野山電気鉄道を設立。
やっとのことで高野下-極楽橋を開業。全通を果たしました。
ところでこの区間、実は1500Vで開業しています。
この10.3km区間こそ最急勾配50‰、半径100m以下の急カーブが続く最強の山線だったからです。
というわけで当初、乗客は高野下で乗り換えする必要がありました。
ところが参考文献によると当時の乗客の多くが、下山時、高野下まで歩いたそうです。
なぜって?大阪へ帰る電車に確実に座れるからです。
今もなお最高速度が33km/hに制限されているこの区間ですから、乗り換え時間を含めてそんなにロスはなかったということでしょうか…。
さすがにそれでは延長した意味がありません。
数年後600Vに降圧され、全線直通運転(これを南海では、これを大運転といいます)することになりました。
なら最初からそうすればと思うのですが、600V 降圧にあたっては変電施設を強化、増設するということでしっかり対策を講じています。
やはり一筋縄ではゆかない区間なのだと思うと同時に、大運転に対する強いこだわりが感じられるところです。
高野山電気鉄道は、1947年、社名を南海電気鉄道と改めました。

(注:南海鉄道は戦時統合により1944年に関西急行鉄道と合併し近畿日本鉄道となりました。
戦後、南海は近鉄から分離するのですが、形式的には高野山電気鉄道が母体となって、
近鉄から旧南海鉄道に属した鉄道および軌道線のすべてを譲り受けています。)

「ズームカー21000系」

南海 高野線用 21000系 05F 21006

  1958~64年に、21001系が帝国車輌で製造されました。

南海初のカルダン駆動車両となります。
山線にある50‰の急勾配を走行するため全電動車方式を採用。
6.92という高ギヤ比を採用しました。
一方、平坦線における高速走行に対応するため 弱め界磁率を25%まで引き上げることでこれを可能としました。
急勾配区間をものともしない大きな牽引力で駆け上がり、平坦区間では高速運転する彼らは「ズームカー」と呼ばれました。
大運転へのこだわりが強く感じられる車両です。

1961年には、21001系の特急版「デラックスズームカー」20000系もデビューします。
熟練職人の手作業となる流線型のフォルムに、高級感あふれる車内。
リクライニングシートを採用した特急「こうや」号は高野線のステイタスを一気に押し上げ憧れの車両となりました。
しかし、あまりにも製造コストがかかってしまったため1編成のみとなってしまいました。
急増した観光客をさばくため21000系がこれをフォローします。

一方、1960年代以降、高野線沿線の宅地開発が加速してゆきます。
劇的に増加した輸送量をさばくため、高野線は列車編成を増強します。
一般車である21000系は、こちらもフォローしなければならないことになりました。
高野線急行(大運転)に起用された21000系は山を下りると大混雑です。
私が初めて21000系に乗ったのは小学生の時だったでしょうか。
湘南形のマスクに心が躍ったのもつかの間、ぎゅうぎゅう詰めの車内に閉口した記憶があります。
(当時、冷房も付いていませんでした。)
後期車がロングシート車となってしまったのもやむを得ないことかもしれません。

「ズームカー22000系」

南海 高野線用 22000系 15F 22016

  そんな21000系をリリーフすべく1969~72年に22000系が登場しました。

32両(2連×16)製造されたのですが、その全てが、やはりロングシート車でした。
21000系4連に増結し平坦線での混雑を緩和するのが目的ですから仕方ないですね。
でもそれならば、20m4ドア車を増結すればいいではないかと思うのです。
しかし、20m級車両は当時三日市町以北に限られていました。
美加の台 や 林間田園都市 を開発する南海は三日市以南の線路改良を進めたわけですが、20m級車両が林間田園都市まで乗り入れたのは1984年。
橋本まで乗り入れたのは1995年でした。

 「そして、2000系ズームカー」

南海 高野線用 2000系 02F 2152

  2000系は1989~97年に登場しました。

22000系を置き換えるのが目的です。
よって車体長は変わらず17mと小振りになっています。
それでも「大運転」に起用されるズームカーです。
オールMの強力編成です。南海初のVVVFインバータ制御車でもあります。
期待の新車です。でも、やっぱり2扉ロングシート車なのです。

1992年には、金剛にも急行が停車することになりました。
ズームカー使用の急行には、ますます乗客が集中します。
かつて高野線沿線の友人と電車を待っていたとき、
「うわっ!緑のが来たわ。」と吐き捨てるように語っていたのが思い出されます。
すなわち22000系ズームカーがやって来たことを意味するのですが、その言葉通り、大混雑。
加えて、急行とは名ばかりの まったく速くない鈍行でした。
当時、連日5分以上の遅れは当たり前と言ってましたが、原因はなんでしょうか。
従来型ズームカーと2000系を併結した場合に力行特性の著しい違いがあり、高速性能が発揮できなかったからという記事がありました。
というわけで、95年には17m車一般車の全てを2000系に置き換えて性能を統一したということです。
しかし、その年には20m車が橋本まで入線できるようになったのです。
92年から量産されている20m車 新1000系を橋本以北の増結用にアレンジして投入する手はなかったのでしょうか。
2000系後期車(95~97年製)を44両も投入しながらも、大混雑は相も変わらずだったような気がするのです。
ロングシート車であっても、やはり「2扉車」は扉付近にへばりつく乗客のために、大量の乗客を効率的にさばくことはできないのです。

さて高野線 有料特急のその後はどうでしょう。
1984年、製造後20年以上を経過した20000系デラックスズームカーの代替用に30000系が登場しました。
4連×2本が在籍することにより、「こうや」の通年運行が可能となりました。
そして、1999年に31000系が登場します。
製造後15年となる30000系の更新時期に合わせ「こうや」の運休を解消するため製造されました。
万全の体制ですね。

対して問題となるのは山線の一般車です。
山線の一般車を統一した2000系でしたが…。
悲しいかな、2000系は山線の救世主にはなれませんでした。
乗客数は減少の一途を辿り、日中の山線については列車本数の削減が行われました。
そして2005年には、大運転する一般車、すなわち2000系の直通急行が大幅に減少するのです。
なぜなら、大運転をする急行は山線内の各駅に停車し乗客をひろってゆきますが、その多くは秘境駅と言って差し支えないくらいに利用客が少ないからです。
大運転でさばかなければならない需要は有料特急で…という構図になってしまいました。
(停車駅に九度山は追加したいところですが。)
でも、これでいいと思います。
身も蓋もない言い方ですが、きわめて少数の旅客の利便のために多くの乗客にしんどい思いをさせるべきではないと思うのです。

2300系デビューの影に

2005年には、山線用の新車2300系が登場します。
2連で運行するのが基本となるワンマンカーです。
ローカル線仕様ですね。でもクロスシート車です。
大きな窓越しに山線の絶景を眺望できるすばらしい車両です。

南海   高野線用 2300系 04F 2304 コスモス編成

山線の魅力を早朝から黄昏時まで、春夏秋冬を問わずこれを堪能できるのは各停ならではのことです。

山線は「こうや花鉄道」として、この2300系と2200系改造車「天空」とともに新時代を迎えました。
2004年に高野山が世界遺産に登録されたことが、これを後押ししたことは間違いありません。
でも、もし10年前に高野山が世界遺産に登録されたなら…。
少なくとも2000系の後期車は2300系仕様の観光列車として活躍できたのではないか。
という思いに私はとらわれます。

というのも2000系の末路があまりに哀れだからです。
大運転はもはや一般車の仕事ではありません。
私もそれは仕方がないことと申し上げました。
でも、そのあおりで2000系は2007年から南海本線に転出、普通列車の運行を始めることになりました。
そう「2扉車」という大きな看板を掲げて…。
ホームで並んでいる乗客は「なにこれ?」と当惑するばかり。
だれひとり彼女の看板を歓迎する人はいないのです。
先日も2000系の普通列車に乗車しました。
「2扉車」の看板を見るたびに彼女が「ごめんなさい」と言い続けているようで、
思わず「君は何も悪くないんだから。」と心の中で私はつぶやいてしまいました。

彼女が生き延びるために、これはやむを得ないことだとは思います。
でも、7100系ではなく2000系を支線用車両として起用して欲しかった。
個人的な思いに過ぎませんが、2000系こそ「めでたいでんしゃ」が似合っていると思うのです。

-鉄道車両写真集-  
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