伊豆箱根鉄道 7000系 --果たせぬ片思い--
地方鉄道のレベルを超えた高性能車
7000系は、1991.92年に登場した伊豆箱根鉄道オリジナルのステンレス車両です。
3連×2=6両が東急車輌で製造されました。
主電動機はHS22535-08RB(120kW×4)、制御装置は三菱製のABFM-168-15MDHC(電動カム軸抵抗制御式多段型制御)となっています。
駆動方式は中空軸平行カルダンではなく、TD平行カルダンを採用しました。ブレーキはHRD1-Dです。
ローカル鉄道の車両仕様を遙かに超えています。
台車もそうです。FS542N、(T車FS042N)を装備しました。
これは西武FS372系台車の軸箱支持装置を緩衝ゴムにしたもので、このタイプは後年、西武10000系にも採用されています。
伊豆箱根鉄道は1000系以降、西武との繋がりが強く、西武の中古車を多く導入してきました。
足回りを西武流にするのはメンテナンス上のメリットも大きかったと思われますが、それにしても豪華です。
時代からしてこれもバブル経済の寵児と言えるのかもしれませんね。
でも高性能には理由があります。
7000系は120km/h対応です。言うまでもありませんが、駿豆線内でこんなスピードが出せるはずもありません。
そう、7000系はJR東海への直通運転を目論んで製作されたものなのです。
伊豆箱根鉄道初のオールクロスシート仕様となったのもJR東海311系を意識したからです。
(転換クロスシート、車端部はボックスシート)
運転台もそうです。3000系で採用されたワンハンドル式ではなく、JR東海と同一配置の縦横軸併用ツインレバー式です。
保安装置もJR東海のATS-ST形との切替が可能なものを搭載しました。
画像をご覧ください。
先頭車については前面デザインこそ違いますが、ドア位置などをはじめとしてその側面は89年に新造されたこの311系にそっくりです。
中間車については、快速運用の際に指定席車両として使用することを考慮し、片側2扉構造となっているのですが、これまた213系サハ213形にそっくりです。
彼に気に入ってもらいたいばかりにペアルックで決めてみたり、行動パターンまで合わせてしまう女の子に何かしら似ているような気がします。
相思相愛ならば、ほほえましいのですが、それほどお熱でもない彼にしてみればウザイってことになるんでしょうか。
7000系のJR東海乗り入れは?
もっとも、それとこれとは話は違いますが…。
2021年現在に至るまで、7000系のJR東海乗り入れは一度も果たされてはいません。
なぜでしょう?
それは7000系のコンセプトに見合う車両にJR東海が魅力を感じていなかった。
ということのように思えます。
まず中間車の指定席車。私なんかは急行「東海」なき後も東海道本線(在来線)には優等列車の潜在的需要はあったんじゃないか?
と思うのですが、収入の9割方を新幹線に依存するJR東海にはそんなことはどうでもよかったのでしょう。
JR東海が7000系相当の車両を造らないというのであれば、仮に直通運転が実現したとしても片乗り入れです。
JR東海区間の指定席の扱いはどうなるんでしょうね。
もっとも特急「あさぎり」を修善寺行きにするというのならそれなりに釣り合いはとれるでしょうが、7連固定の371系では輸送力が大きすぎます。
また御殿場線経由では所要時間もかかりすぎます。結局、沼津止まりの371系「あさぎり」も姿を消してしまいました。
もし、JR東海とJR東日本の境界線が小田原だったら…。
一番の問題点はJR東海とJR東日本の境界線ではなかったか。と私は思っています。
境界が熱海であったがために、特急「踊り子」はJR東日本の受け持ちとなりました。
伊豆急下田行きについては、伊豆急の車両も登場しました。
しかし修善寺行きはJR東海も伊豆箱根鉄道も、運行区間が短く一方的にJR東日本が乗り入れてくる片乗り入れです。
ですから、とりわけJR東海にとっては修善寺行きはありがたいものではないのです。
車両の使用料も発生しますし、ダイヤの調整も面倒です。
JR東海にとっては、お客様に「新幹線で三島までやって来ていただく」のが、なんてったって一番ありがたいのです。
しかし、境界線がもし国府津か小田原だったとしたらどうでしょう?
おそらく185系「踊り子」はJR東海も継承し、すぐにでも小田急とのコラボが実現していたように思います。
西武グループである伊豆箱根鉄道に小田急ロマンスカーが乗り入れていたかもしれませんね。
伊豆箱根鉄道 駿豆線の終点となる修善寺には温泉もあり、また中伊豆観光の起点でもあります。
また駿豆線は単線でありながら列車本数が多く、年間輸送人員は1426万人(1996年)で伊豆急の798万人(1996年)よりも多いのです。
JR東日本が修善寺行き特急「踊り子」を維持しているのは実績があるからです。
境界線がもし国府津か小田原だったとして、伊豆方面への鉄道輸送のイニシアチブをJR東海がとっていたとしたら、7000系は熱海そして小田原へも足を伸ばし、中伊豆観光の発展に寄与したに違いないと思うのです。
駿豆線のフラッグシップとして登場した7000系でしたが、直通運転構想は進展せず、指定席需要も伸び悩み、快速列車も早々に撤退することとなりました。
一方、オールクロスシート仕様の7000系はラッシュ時における乗降に手間取ることから使いにくい存在となり、増備は2編成で打ち切られました。
そして以後、車両増備は再び3000系(製造初年1979年)の新製によって行われることとなるのです。
参考文献:鉄道ピクトリアル 甲信越、東海地方のローカル私鉄 「伊豆箱根鉄道 駿豆線」1998.4 No652
鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1991年 「伊豆箱根鉄道 7000系」 1991.10 No550
-鉄道車両写真集- |
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