京阪は、京橋駅のホームドア整備にあたって、扉の位置が合わない5000系を2021年6月頃に引退するとしていました。
しかし、列車運用の見直しに伴い、2021年9月頃に延期するとのことです。
ラストランに合わせてUPしようと思っていましたが、出し惜しみをするつもりもないので、本日UPいたします。
5000系が登場した当時
通勤ラッシュ時に先頭車から前を眺めていると、いろんなことがわかります。
「もはや遅れが出ているのに、なぜのろのろ走っているのだろう。」と思って見ていると、
見通しの良いところで、先行列車が、線路をふさいでいるが見えたりします。
「ああ、こいつが原因だったのか。」と‥。
すぐ納得できるのですが、この電車がすぐにでも待避線のある駅に滑り込んでくれるのならまだしも、
まだ2駅も3駅も先のことだとしたら、ずっとこの電車のお尻についていなければならず、
「せっかく急行に乗っても、これでは何の値打ちもないなあ。」
とがっかりした経験をお持ちの方もいらっしゃると思います。
1963年年の淀屋橋乗り入れ以来、輸送需要が急増した京阪本線では、守口市-萱島間の区間にこの現象が顕著に見られました。
列車を増結するにも、当時まだ京都市電(78年全廃)との平面交差が存在した関係で、
架線電圧は開業以来の600Vのまま…これでは7両編成が限界です。
この区間を複々線にすれば、改善できるのはいうもでもありませんが、おいそれと簡単にできるはずもありません。
実際には、1980年にこの区間は複々線化されたのですが、
それまでの間、特に最も混雑する時間帯に運行される遅延の多い普通列車、区間急行をどうすればいいのか、
抜き差しならない問題となっていたのです。
そこで取り上げられたのが、5ドア車というアイデアです。
当時本社で鉄道計画策定を担当されていた西村公夫氏が提案されました。
5ドア車というアイデアを実現するために
5ドアであるということは、それだけ開口部があるということで、強度上の問題が発生します。
当然車体の強度を補強しなければなりません。
加えて、5ドア使用時は乗車定員も当然多くなるわけで輸送重量の増加も見込まなければなりません。
これらを解決するためにアルミ車体を採用することにしました。
アルミ採用による自重軽減の効果は絶大でした。
5扉であるが故に強度を補強しなければならない特殊構造の車体でありながら、
在来車と比較しても1両あたり約3 – 4t程度の軽量化を実現しているのです。
アルミ車体を、いち早く手がけた川崎重工の本領が発揮されています。
でも、アルミ車体は、当時、国鉄301系など限られた車両にしか採用されておらず、
今以上にコストも高く付いたと思われます。
ところで、5ドアはラッシュ時にこそその威力が遺憾なく発揮されるわけですが、
普段の閑散時にはこんなにたくさんドアを開閉する必要は全くありません。
またドアのために、座席数が減ってしまうというマイナス要素を含んでいます。
製作費が高くついた新型電車をラッシュ時専用にし、閑散時に遊ばせておくほど京阪に余裕はありません。
そこで、京阪は、5分の2のドアをラッシュ時用ドアとしたのです。
5000系の側面2・4枚目の客用扉には「ラッシュ用ドア」の表示があります。
乗り込んでくる乗客に「このドアはラッシュ時以外は開きませんよ。」知らせるためですが、
実は、ここには座席昇降装置を搭載されており、閑散時には座席が降りてくるのです。
こうして、3扉車としても使用できる構造としたのです。
さてラッシュ用ドアの締切扱いについては、後に登場した多扉車でも採用例はあります、
でも閑散時間帯の座席増まで意図して座席昇降装置を取り付けたのは、日本ではこの京阪5000系のみのアイデアです。
5000系は、京阪通勤車の試金石
5000系といえば、5ドア車という点ばかりが目立ちますが、
以後の京阪通勤車の進むべき方向を指し示した意義深い車両でもあります。
まずは冷房です。
夏に京阪に乗ると、冷たく気持ちのいい風が頬を撫でてゆくことがありますが、思わず扉付近の天井を眺めてみると、京阪独自開発の回転グリルが冷風を送り出しながらゆっくりと廻っているのが目に入ります。
この効果は絶大です。
ちなみに、京阪の冷房車は2400系がその嚆矢となりますが、気のせいか冷房の効きはイマイチです。
さて後続の5000系では、パワーアップしなければならないところです。
でも、悲しいかな、5000系のような多扉車は停車駅毎に、せっかく冷やした空気を大量に放出してしまいます。
いくらパワーアップしても、砂漠に水をまくようなものです。
それなら、室内温度がたいして下がっていなくても、
この冷風を感じてもらうことで爽快感を感じてもらおうということになったのでしょう。
これが冷風グリルです。
でも単に扇風機と併用したというだけでは、自分のところに冷風がまわってくるまで結構待たされるのです。
これは結構イライラします。
それに引き替え、京阪の回転グリルは吹き出し口が4つ、一回転するだけで4回涼しい思いが出来ます。
扇風機と違って冷風の到達間隔が短いのです。
イライラすることも少なく本当にほっとします。
毎日毎日、通勤地獄を味わっている乗客にとって、この冷風サービスがいかに嬉しいものであったか。
あらためて申し上げるまでもないと思います。
さて、この回転グリル。5000系とともに開発され、以後、京阪通勤車のスタンダードとなりました。
次にブレーキです。
京阪としては初採用となる全電気指令式ブレーキを採用した点も見逃せません。
1970年当時の京阪といえば、電磁直通ブレーキの車両も増えつつありましたが、
旧式の自動ブレーキを搭載した車両が、まだバンバン走っていました。
ジワーっと効いてくる自動ブレーキとは違って、
ハンドルさばきに応じてきびきび反応する全電気指令式ブレーキは、見ていても頼りがいのあるもので、
運転手さんにも歓迎されたに違いありません。
思えば当時、阪急とりわけ神戸線などと較べて、
京阪は停車駅への進入速度がかなり遅かったように記憶しています。
でもこんな事をしていると、すぐ後続列車に追いつかれてしまいます。
優等列車に追いつかれる前に逃げ切ることを求められた5000系にとって
全電気指令式ブレーキの採用が重要なポイントとなっていたのは間違いないでしょう。
ブレーキといい、冷房といい、京阪通勤車における標準仕様の基を築いたのが5000系なのです。
通勤ラッシュに特化した5000系ならではの仕様だったと申せましょう。
また5000系のデビュー当時、まだ架線電圧がまだ600Vであった。
ということは前述しましたが、当初より昇圧を前提として設計され、
2コの制御器を直列接続することで昇圧をクリアする方法がとられました。
よって1983年の1500v昇圧時には、大きな改造を施すことなしに昇圧が実施されています。
このように、アルミ車体を採用したことに加えて、
各部に特殊構造を採用したため、通常の車両と較べて製造コストが大きくかかってしまったのが5000系です。
このことから、製造数は運用上、必要最小限の数に留められました。
事故が教えてくれた5000系の価値
ところで、5000系の1次車は、7両固定編成ではなく、4+3両編成で構成されました。
5001-5201-5601 + 5551-5151-5251-5651
1980年2月の置き石事故で5554がダメになってしまったとき、
京都よりの3両を5002の3両編成で補充し、7両編成を維持したということがウィキペディアに記されてました。
でも、こんな事が予測できるはずもありません。
実際には4両、または3両で使うことは想定されておらず、なぜこのような編成で作ったのか?
不思議だったのですが、参考文献によると、
「全電気指令式ブレーキをはじめて採用するにあたって、常用ブレーキ指令系の故障がもっとも心配され、
万一の場合は不具合の運転台を中間に納めることが出来るように… 」
とあります。
つまり、中間の運転台は、いわば「走る予備品」だったということだそうです。
それだけの保険をかけても5000系は、休ませることは出来ない助っ人だったのでしょう。
7両編成であることの意味
1500V昇圧により8両編成の運行が可能となった現在も、
5000系は7両編成のままです。
7編成の内1編成をバラバラにして組み込むのも可能だと思いますが、そうはなりませんでした。
それには、理由があります。
京阪で利用客の多い駅はといえば、枚方市、香里園、寝屋川、樟葉…というところでしょうか。
そうした駅から 特急、急行停車駅から大阪市内、あるいは京都市内のターミナル駅に向かう乗客は、
8両編成の特急、急行でさばけばいいのです。
しかし、一方、利用客の数はそれほどではなく、各駅停車しか停まらない駅も当然存在します。
それらの駅には、種々の事情があって7両編成しか入線できない駅も多くあります。
また淀屋橋駅でも2番線には7両編成しか入れません。
でも、とりわけ平日朝のラッシュ時においては、
それらの駅にあって乗客を手早くさばいてくれる列車(各駅停車用の7両編成)が必要なのです。
阪神ならここで、各停専用のジェットカーの出番というところですが、
京阪で、威力を発揮するのが5000系です。
加(減)速力ではジェットカーには及びませんが、例の5ドアで、駅での停車時間を節約します。
後続の優等列車の足手まといにならないためにも、5000系を各停で使える7両編成で維持する必要があるのです。
また、京阪には、急行で送り込んだ編成が、各停で折り返すというスジも存在します。
各停専用車を別途、保有するということになれば、このように効率のよい運用は出来ません。
実は、ここでも重宝するのが5000系なのです。
確かに5000系は7両編成しかなく、急行用のキャパとしては不足しているようにも感じられます。
しかしラッシュ時でないのなら、例の座席昇降装置が威力を発揮します。
これを利用すれば、1両あたりの座席定員は、3扉車よりも多く、
座席数減少(=サービス低下)をある程度防ぐことが出来るのです。
ラッシュ時のエースとして
かつての特急車である旧3000系は、一編成のみが8000系に編入されたものの、それももはや姿を消し、時代の流れを感じさせます。
さて5000系ですが、番号からすると旧3000系の後に製造されたかのように思えます。
ところが旧3000系の製造初年が1972年であるのに対し、5000系1次車の製造初年は1970年です。
ですから実は、5000系のほうが先輩格なのです。
ちょっと意外な感じですが、もはや5000系は車齢50年超のベテラン車両ということになります。
5000系については、1997年から2001年にかけて、リフレッシュ工事が施され、新塗装に装いを改めました。
一部廃車が発生しているものの、5000系より高齢の2200系や2600系が、京阪本線の主役としてまだまだ元気な姿で快走しているのを見るにつけ、
「本当に京阪という鉄道会社は、車両を大切に使っているなあ。」
と思わざるをえないのですが、
なんとアルミ製の車体である5000系が先に姿を消すことになりました。
ホームドアに対応できないからということです。
5ドアの異端車であるということで、先に整理されるということになってしまい、2018年から廃車が始まりました。
でも、ホームドアのせいにはしたくないと私は思っています。
かつて、ラッシュ時のエースとして、その存在感を遺憾なく発揮していたのが5000系でした。
しかし今や、あの殺気だった朝の光景もすっかりなりを潜め、5000系の存在価値は失われてしまいました。
今こそ、彼らの引き際なのだと、私はそう思うことにしたのです。
初出:2009年8月6日 補筆更新:2021年7月9日
参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 京阪電気鉄道」No553 1991.121
鉄道ファン「京阪電鉄5000系の開発エピソード」澤村達也氏
-鉄道車両写真集- |
5000系 2200系 各リニューアル車 新3000系 旧3000系 9000系 7200系 |
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