115系3000番台 冷房準備車
かつて広島地区では153系および111系の6連が使用されていました。
1982年 国鉄は153系についてはこれを置き換え111系についてはこれを4連化にすることで高頻度運転させ、広島-岩国間を6連20分間隔から4連15分間隔とする「ひろしまシティ電車」としてスタートさせることにしました。
ここで投入されたのが115系3000番台です。
前者に対応するのが115系3000番台の固定4連×6=24両。
後者に対応するのがクハ115形 3000番台で前後2両×15編成分=30両です。
急行形である153系の後釜でもありますし、併走する広電や路線バスなどとの対抗策として 117系と同様の2ドア両開き転換クロスシートという出で立ちで登場しました。
さて115系3000番台の固定4連は当然冷房車なのですが、
なんと111系と混結するクハ115-3000番台は冷房準備車だったのです。
国鉄 115系3000番台/111系混成編成① クハ115形3000番台 クハ115-3017
撮影 1983年3月 広島駅
115系は62年に登場しました。
当時こそ非冷房でしたが、75年製の300番台からは新造時から冷房車です。
3000番台が登場した82年当時は115系に限らず もう冷房車で新造されるのがあたりまえの時代です。
一体どういうことでしょう。
まず111系は非冷房車です。
当然111系MM’ユニットに冷房用電源などあるわけがありません。
よって混結されるクハ115-3000番台に冷房機を搭載しても意味がないというわけです。
111系には 瀬野八の山越えは困難です。
運用する上でも制限のある111系を今さら冷房改造するには及びません。
既にかなりの経年車でもあります。
遠からず111系は淘汰されるのですからMM’ユニットを取り替えた後に冷房化しようと考えたのです。
そんなわけで冷房準備車として製造されました。そんな思惑はさておき 彼女にしてみれば
「私だけ 涼しい思いでいるわけにはいかないわ」というところでしょう。
そんな彼女たちは111系と混結するために111系・115系の制御回路切替スイッチを搭載しています。
本来の115系として活躍するときのことも考えて 抑速ブレーキ・扉の半自動扱いにも対応しています。
翌1983年6月。
早くも111系を差し替えるべく新造115系MM’ユニット×6=12両が追加製造されました。
これが115系の最終増備車となります。(モハ115/114-3007~ 3012)
え? クハ115冷房準備車 (3007~21/3107~21)は15編成分あるはずですよね。
なのに115系3000番台増備車は6編成分。残りはどうなるの?
115系0番台などに差し替えられました。
その後 冷房化改造が行われ1985年までに施工が完了しています。
民営化後の3000番台は66両全車がJR西日本へ承継されました。
モハ115/114 -3001 ~3012
クハ115-3001 ~3021/3101 ~3121
N01~12編成までは3000番台のみで構成、
N13~21編成は3000番台以外のMM’ユニットで構成されました。
117系3500番台?
1991年以降 117系はJR京都線・JR神戸線での新快速運用から外されてゆきます。
これにより117系6連は4連に短縮、岡山地区の快速「サンライナー」や福知山線などに転用することになります。
そうなると余ってくるのは中間電動車ユニットです。
これを山陽地区に移動し115系に編入改造したのが115系3500番台です。
当初11ユニット22両(2001年には3ユニット6両が追加、14ユニット28両に)
モハ117/116-17・21・23・25・27・29・31・33・35・37・39・303・315・316
→ モハ115/114-3501 ~3514
当然このままでは動けません。
ここで動員されるのがクハ115-3000番台です。
117系は前述したように 115系と同様の2ドア両開き転換クロスシート車です。
素人には見た目3000番台の4連と区別がつきません。
JR西日本 115系3000/3500番台 N21編成 新快速色
115系3000/3500番台 N21編成 4両編成 山陽本線呉線用
←岡山④ ①下関→
クハ115_3121-モハ115_3509–モハ114_3509-クハ115_3021
所属 下関地域鉄道部 下関車両管理室
*クハは1982年製 モハは117系からの改造 1992年改
1993.8 新快速色に のち2008年11月に体質改善工事(N30)を施工
参照:JR編成表2005年冬版 撮影2008.1
117系のMM’ユニットが将来余ってくるということまで予測していたとすればすごいですね。
電動機の出力も同じですし、元々115系のCS15と117系のCS43の制御回路には互換性がありました。
ですが1961年設計のCS15と1979年設計のCS43を同じようにマスコン操作できるわけではありません。
応答速度にも差があります。運転手さんは苦労されたことでしょう。
制御電圧も違いますし、ジャンパ連結器も改造されました。
乗り越えなければならない課題もたくさんありました。
それにしても うまく考えたものですね。
7ユニットが下関総合車両所の115系クハと、
残る7ユニットは岡山電車区の115系クハと編成を組むことになりました。
岡山区には3000番台はいませんから、中間車だけ2ドアということになります。
ん?数が合わないですね。
3000、3500番台の4連はN編成と称されN1からN21まで連番されます。
ところが、よくよくみると…。N13、N15編成がありません。そう
クハ115-3013、3113/3015、3115 には3500番台があてがわれていません。
3500番台は14ユニットあるのですからもと冷房準備車N13~21編成はすべて3500番台ユニットで組めるはずなのですが2000番台、300番台のMM’ユニットがあてがわれたままでした。
その理由はわかりませんが、彼女たちはともに2015年に廃車されています。
2005~09年に30N体質改善工事が施工されました。
この際117系以来の外気導入装置は撤去され、外見上は3000番台と同一になりました。
思えば115系3000番台冷房準備車は 老いた111系を少しでも生き延びられるようにするという宿命を背負って生まれてきました。
生まれついてのヤングケアラーですね。
そして117系が生き延びられるように改造されたことも運命ということになるでしょうか。
227系が投入され2016年以降は岩国以西のみでの運用になってしまったN編成。
JRの中ではJR西日本でしか115系の姿を見ることはできません。
でも彼女は他系列を支えてきたことで 今 ともに最後の活躍を続けているのです。
「憧れの117系に編入されるということで117系3500番台になれるのかなって思ったの。
でもそれは111系という大先輩のお世話をしてきたことのキャリアと誇りを失うような気がして…。
115系3500番台でよかったって 今はそう思っています。」
私にはそんな彼女の声が聞こえました。
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