野上電気鉄道 1994年廃線

野上電気鉄道は1916年2月に日方 – 野上が、1928年3月には野上- 登山口間が開業しました。
昭和30年代以降、モータリゼーションの進展による乗客の減少から経営難に陥り、1971年には全線廃止の方針を打ち出されました。
その後沿線自治体の補助金を受けることでなんとか生き延びてきた野鉄でしたから、新車など導入できるはずもありません。古い電車を使い回すことになりました。
しかしそのことで歴史的にも貴重な車両が活躍し続けることとなりました。
それもつかの間、1992年に国が地方鉄道への欠損補助金を見直したことにより、1994年に野上電気鉄道は廃止されてしまいました。

野上電気鉄道 モハ20形 モハ23 もと阪急1形

撮影場所:日方

モハ20形 モハ23 – もと阪急1形26(明治43年 汽車製→昭和25年に半鋼化)の車体に 中古の床下機器・台車(旧南海ブリル台車)を組み合わせて1957年 野鉄に登場。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 モハ20形 モハ24 もと阪神701形 日方側

撮影場所:幡川

モハ20形 モハ24 – もと阪急1形3(明治43年 川崎造船製)の車体に 中古の床下機器・台車(旧南海ブリル台車)を組み合わせて1957年 野鉄に登場。
23とは異なり、1961年に阪神601形604(大正13年藤永田造船製)の車体と交換、 5枚窓の電車として親しまれました。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 モハ20形 モハ25 もと阪神701形 日方側

撮影場所:日方

モハ20形 モハ25-もと阪神701形704。
701形704(木造車291形が前身、昭和7年 藤永田造船 にて鋼体化され901形となり、昭和15年に881形の登場により701に改番されたもの。)の車体に
中古の床下機器・台車(旧南海ブリル台車)を組み合わせて1954年 野鉄に登場。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 モハ20形 モハ26 もと阪神701形

撮影場所:幡川

モハ20形 モハ26・もと阪神701形710
701形710(大正12年 加藤製作所製の木造車300が前身、昭和7年 藤永田造船 にて鋼体化され901形となり、昭和15年に881形の登場により710に改番されたもの。)の車体に
中古の床下機器・台車(旧南海ブリル台車)を組み合わせて1954年 野鉄に登場。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 モハ30形 モハ31 もと阪神1121形 登山口側

撮影場所:日方

モハ30形 モハ31 – もと阪神1121形1130。
1934~35年にかけ321形と331形の機器を流用して鋼体化したもの。
1963年に野鉄の3代目31として登場しました。
31と32は側窓の上に明かり採りの窓が残されています。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 モハ30形 モハ32 もと阪神1141形 日方側

撮影場所:日方

モハ30形 32 – もと阪神1141形1150。
1936年に331形の機器を流用して鋼体化したもの。
1964年に32として野鉄に登場。
31と32は側窓の上に明かり採りの窓が残されています。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 ク100形 ク101 もと阪神1101形

撮影場所:日方

クハ100形 101 – もと阪神1101形1118(在来の木造車を昭和9年 日車にて鋼体化したもの)。
1962年に廃車となり野鉄に譲渡。
電装解除のうえクハ101として就役しました。
1994年の野上電鉄廃止により廃車。

野上電気鉄道 ク100形 ク104 もと阪神1121形

撮影場所:日方

ク104 -もと阪神1121形1122(在来の木造車を昭和9年 日車にて鋼体化したもの)。
1962年に廃車となり野鉄に譲渡。
電装解除のうえクハ104として就役しました。

野上電気鉄道 デ10形 デ11 もと富山地方鉄道 デ5000形

撮影場所:幡川

デ10形 11
1975年に、富山地方鉄道デ5031を譲り受けたもの。
1994年の野上電鉄廃止により廃車

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