北九州線は九州電気軌道によって1911(明治44)年に東本町(門司近く)-大蔵間(スペースワールド近く)が開業しました。
次いで戸畑線(戸畑-大門)が1912(大正元)年に、1914(大正3)年には北九州線が全線(門司-折尾)開業しています。
枝光線は1923(大正12)年にまず枝光駅前-中央町が開通、1929(昭和4)年に戸畑線幸町に延伸接続し北九州線ネットワークが完成します。
もと小倉電気軌道の北方線は1942(昭和17)年2月に九州電気軌道に吸収合併されました。
北九州線が1435mm軌間であるのに対し北方線は1067mm軌間なのでネットワークには組み込まれません。
1942年9月戦時合併により九州電気軌道は福博電車、九州鉄道、博多湾鉄道汽船、筑前参宮鉄道の5社と合併し西日本鉄道となりました。
登記上は九州電気軌道が存続会社で本社は小倉でした。(1945年に福岡に移転)
九州の玄関口とも言うべき港町「門司」、城下町であり商業の中心地でもある「小倉」八幡製鐵所のある工業都市「八幡」「戸畑」など北九州の主要都市をつなぐ都市間電車としての性格をもつ北九州線は専用軌道区間が 本線で約2割、枝光線で約5割、戸畑線では約7割と多く存在しました。
こうしたことから最高速度も60km/hと路面電車としては高く設定され モータの出力も一般的な路面電車より2割ほど大きく菱形パンタグラフを装備しています。
高度経済成長期には高頻度運転を行い、大型連接車の大量導入により大量輸送能力を遺憾なく発揮しました。

しかし1970年代以降は製鉄所の規模縮小とモータリゼーションの進行より勢いを失います。
そして1980年代以降、長距離列車主体だった鹿児島本線が近郊電車を高頻度運転し棲み分けが利かなくなりました。
路線が長いため整理券による運賃精算を余儀なくされる北九州線がスピードで勝てるわけがありません。
まず北方線がモノレール建設に用地を提供する形で1980年11月に廃止されました。
そして 1985年 北九州線(門司 – 砂津間)、戸畑線、枝光線 が廃止されネットワークが崩壊。
1992年に砂津-黒崎駅前が廃止、2000年には黒崎駅前-折尾間も廃止され北九州線から西鉄車両は姿を消しました。
(ただし黒崎駅前 – 熊西間は筑豊電気鉄道が乗り入れる形で北九州線は存続)
2015年。筑豊電気鉄道が黒崎駅前 – 熊西間を承継、西鉄北九州線は消滅します。
しかし筑豊電気鉄道をはじめ、広島電鉄、熊本市交通局に電車は引き継がれ永く活躍し続けました。
なお北方線の歴史については別タイトルでUPしています。
参考文献: 「復刻版 私鉄の車両9 西日本鉄道」ネコ・パブリッシング
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| 西日本鉄道■北九州市内線 路線まとめ 600形① ② ③ 500形 560形① ② 66形① ② 100形 200形 300形 1000形2車体連接車 3車体連接車 ■北方線 路線まとめ 321形 323形 330形 |
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