「ざんねんな特急用機関車」国鉄 EF60形500番台(珍車ギャラリー#390)

「ざんねんな特急用機関車」国鉄 EF60形500番台(珍車ギャラリー#390)

EF60 5084

EF60形500番台(501 – 514)は、
それまで20系寝台特急を牽引してきたEF58形を
置換えるため、1963~64年に製造されました。
カニ22形電源車のパンタグラフ降下ならびに
電動発電機(MG)停止のスイッチを追加。
20系客車乗務員との有線電話も可能です。
塗色は20系客車に合わせた特急色。
なんとも華々しいデビューでした。

ところが、なんと翌年の1965年にはEF65形500番台P形にバトンタッチ。
後、寝台特急列車増発によってEF65形が不足した時でさえ、
EF60形500番台にはお呼びがかからず、EF58形が再投入されたのです。
1975年頃には自慢の特急色から一般色に変更され、20系客車との絆であるジャンパ連結器も撤去、一般形との違いは全くなくなってしまいました。
なぜそんな目に遭わなければならなかったのでしょう?

そもそもEF60形とは、どのような機関車だったのか。

そこから問題点を掘り起こしてみます。
EF60形は、山陽本線の電化に際し「貨物用機関車」として計画されました。
従来のEF15形では能力不足だったため,EH10級の性能を持たせることになりました。
ベースとなるのはED60ですが、これをF級に大型化しました。
1960~64年に貨物用の0番台129両が製造されたのですが、これが 一様ではありません。
まず試作機および1次量産車14両については、主電動機をMT49B(390kw)×6基=2,340kWとし、ギア比は1:5.466  駆動方式は新方式のクイル式としました。
ただ、クイル式は車輪の大歯車に設けられた継手部分に塵埃が混入。
かみ合いの悪化により、大きなトルクがかかると異常振動と騒音が発生するというトラブルを起こしてしまったのです。
よって15号機以降は駆動方式を旧方式のツリカケ式に変更しましたが、駆動方式の違いにより試作機および1次量産車14両は2次量産車以降と運用が分けられることになりました。
(後にクイル式駆動車両は、すべてリンク式駆動装置に改修)
さて、寝台特急牽引用の500番台ですが、このあとに14両製造されました。
501 – 511が3次量産車に、512 – 514が4次量産車に準じていますから懸案のクイル駆動ではありません。
ならば問題は何かというと。
それは定格速度が低く、寝台特急列車を110 km/hへの速度向上する際、対応できないことでした。
パワー不足ということでしょうか? いやいや さにあらず。
主電動機は当初MT49B×6=2,340kWでしたが、2次量産車からMT52×6=2,550kWにパワーアップしています。
ちなみにMT52系電動機は、EF65のみならずEF81などにも搭載されているものです。
EF60形500番台もこれと同じなのです。
ただEF60形ではMT52による出力上昇分は引張力の向上に振り向けられました。
歯車比を大きく変更すれば定格速度を上げることもできたはずですが、そうはしなかったのです。
結果、1965年よりEF60形500番台と同様の20系客車牽引用装備を搭載した110km運転対応車EF65形500番台P形にバトンタッチすることとなったというわけです。

EF65形について

EF65形は1965~79年に、これもまた「貨物用機関車」として計画され、308両が製造されました。
高速走行性能と牽引力の両立を図った新設計のバーニア付き電動カム軸式制御器(CS29系)を搭載することがEF60形との大きな違いです。
バーニア制御というのは、加速時のステップを多くすることでなめらかな加速を可能にし、空転を抑えながら適切なパワーを発揮するものです。
その特性を活かしEF65形では高速貨物列車牽引用の500番台(F形)そしてブルートレイン牽引用の500番台(P形)といった専用機を登場させることになります。
(ちなみに「F形」は、「貨物」を表す”Flait” の頭文字に由来し「P形」は、「旅客」を表す”Passenger” の頭文字に由来します。)
EF65形500番台は、EF60形500番台と同じく特急色と呼ばれる20系客車とデザインを合わせた塗り分けを採用。
「P形」には20系客車との通話用としてKE59に加え110km運転を可能にしたAREB電磁ブレーキを制御するKE72ジャンパ連結器が取り付けられました。
「P形」は1964~66年に17両(501 – 512・527 – 531)が製造されました。
それでも足りず1968年には基本番台(3次車77 – 84)8両が500番台 (535 – 542)へ改造されました。

ここでもEF60形500番台には声がかからなかったのですね。
ギア比を変えて高速化EF65形に改造編入してもよかったとも思うのですが、そうはならなかったのです。

でもスピードだけが問題だというワケではなさそうです。
20系寝台列車は1958年にデビューした当時、SL、DL、ELと様々な機関車に牽引されていました。
電源車を組み込んだ固定編成の客車ですから、空調を始め様々なサービスはオール電化で自給自足。何に牽引されても変わるところはありません。
ただしそれなりの最高速度しかでません。たとえELであってもそれは突出したものではありませんでした。
そう 寝台列車は速さがウリではなかったのです。思えば目的地に早く着きすぎても困りますものね。
時間調整のために長時間駅で停車していることも多々ありました。

EF60形500番台に対し、特に速さは求められてはいなかったのです。
でも、なぜ1年後、1964年にEF65形500番台が登場することになるのでしょうか。

東海道新幹線の開業。

東京から新幹線を利用し、新大阪で寝台列車にリレーすることが考えられるようになりました。
その際、寝台列車のスピードをアップできたら、新たなニーズを創出することができます。

例を挙げましょう。
東海道新幹線開業前である1961年10月の時刻表によりますと
長崎ゆきの「さくら」は東京を16:35に出発し、長崎に12:25に着きます。
西鹿児島ゆきの「はやぶさ」は東京を19:00に出発し、西鹿児島には17:30に着きます。
うーむ これでは丸一日仕事になりません。

それが新幹線開業後の1975年2月の時刻表によりますと
「あかつき1号」は新大阪を18:28に出発し、長崎に6:53に着きます。
西鹿児島ゆきも併結している「あかつき1号」はこれを鳥栖で分割、西鹿児島には9:15に着きます。
この違いは大きいといえるでしょう。
ちなみに新大阪を18:21に出発する急行「雲仙2号」は長崎到着が9:16です。

1975年2月の時刻表を例に挙げたのはほかでもありません。
これは山陽新幹線が開業する直前の時刻表であり、新幹線リレー号である「あかつき」はこのとき7往復。
1号:長崎、西鹿児島 2号:西鹿児島
3号:長崎 4号:西鹿児島 5号:佐世保
6号:熊本 7号:長崎、佐世保 行きでした。
ほかに、鹿児島本線系統で583系寝台の「明星」が4往復、日豊本線系統の「彗星」が5往復。
まさに寝台特急の黄金時代だったからです。
新幹線とセットすることで生まれる劇的な時短効果に寝台列車のスピードアップは欠かせません。
1964年にEF65形500番台が登場することになるのは当然のことでしょう。

EF65形には、バーニア制御が採用されたということを前述しました。
バーニア制御というと私は南海の7000系を思い浮かべます。
加速が終わると、リセット音が聞こえてきます。
「ガチガチ、ガチガチガチガチ………」
これだけのステップを踏んでいたんだ。
ということを思い起こすとともに、有料特急である「特急サザン10000系」と併結できるパフォーマンスを実感しました。

特急用としての適正は、EF65形500番台のほうが上回っていると言わざるを得ないでしょう。
でも、寝台特急列車増発によってEF65形が不足した時でさえ、EF60形500番台にはお呼びがかからず、
EF58形が再投入されたのはどうしてでしょう。

EF58を再投入

答えはこうです。
EF60形では主電動機をMT49BからMT52にパワーアップした時、
その出力上昇分は、スピードアップではなく、引張力の向上に振り向けられたと前述しました。
EF60形は、貨物輸送において秀でた能力を最大限活かすことができるということです。

もっともEF58形に110km運転はできません。
しかし そこまでの速さが求められていない寝台列車も結構あったのです。
EF58形を再活用できるのなら、EF60形をその分貨物に振り向けることができます。
当時は高度成長の真只中でした。
貨物輸送をより充実させてゆくためにもEF60形は欠かせなかったのです。

国鉄はタテ割り社会で非効率で要領を得ないとよく揶揄されたものです。
確かにそういう一面もあったような気もします。
しかし、このように機関車の潜在能力を見極め、適材適所で十二分に活用することもあったのです。

実は、EF58形も貨物列車を牽引していました。
阪和線です。高頻度で電車が運行していましたので、ここで貨物列車がノロノロ運転するわけにはゆかなかったのです。
幸い貨物量が少なかったのでEF58形でも十分お役に立てたというわけです。
ファンには「ざんねんなEF58(ゴハチ)」のように見えたかもしれません。
でも彼女は、追い上げてくる電車から逃げ切るという自分の能力が活かされていることに満足していたのではないでしょうか。

EF58-39 阪和線 鳳駅

そして、わずか1年で特急列車の看板を後継機に譲ったEF60形500番台も「ざんねんな機関車」といえるかもしれません。
でも「ゴハチ姉さんには、このお仕事は無理だもの。」
と彼女は誇りを胸に貨物ヤードに向かっていったに違いないと私は思うのです。

参考文献:「時刻表でたどる特急、急行史」
原口隆行氏 jtbキャンブックス25 2001年5月

-鉄道車両写真集-
国鉄 EF60形 EF61形
へJUMP

 

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