330形は北九州市小倉区にあった西鉄北方線に1957~64年に投入されました。
4.6kmしかない路線に13編成(×2=26両)在籍したわけですから主力となる車両といえます。
ABとあるのは2車体連接車だからです。よって1車体あたり7,2mで全長15mとなります。
路面電車は単車で12m級というのが普通ですから連接車で15mというのは短いですね。
ちなみに北九州線の連接車1000形の全長は18.4mです。(江ノ電300形は24m超)
1000形連接車を導入できなかったのは線路幅の違いからですが、台車を取り替えることで対処することができなかったのは北方線の車両限界が厳しかったからです。
北方線は1906年開業の馬車鉄道を1920年に電化、914→1067mmに改軌した小倉電気軌道の路線でした。1932年魚町まで乗り入れ、全線複線化されています。
小倉電気軌道は1942年2月九州電気軌道にいったん吸収合併され、同年9月戦時合併により西日本鉄道北方線となりました。
コンパクトな連接車が生まれたのにはこういう経緯があったからです。
定員はどうでしょう。330形は90名です。
対して北九州線のボギー車600形は80名、北方線のボギー車321形も80名です。大差ありません。
北九州線1000形連接車は130名ですから 90名定員の330形はいかにコンパクトな連接車であるかがわかります。
330形の制御方式は直接制御(東洋製DB1-K4)でこれはまれな例です。
路面電車の場合でも2両連結で使用することがあれば間接制御となります。
連接車の場合でも間接制御が普通です。車体が重くなれば電動機の出力もUPしなければなりません。
比例して抵抗器も大きくなります。さすれば運転台の中に収めきれないですね。
ちなみに北九州線のボギー車600形は16.0tでモータの出力は45.0kw×2です。
しかし330形は連接車とはいえ自重は15.0tしかありません。37.3kw×2でも問題ないでしょう。
つまりコンパクトな330形は直接制御でもやっていけるというわけです。
ただ制御器とモータの距離が離れてしまうのは避けたい。
そこで330形では通常の連接車とは異なり中間連接台車にモータを設置しました。
動力台車となったOK-19A、KL-12はモータを2つの車軸の外側に装架する構造です。
こんな例は他に聞いたことがありません。

西鉄 330形
331・332AB:1957年川車製 333~41AB:1959、1962年日立製 342・43AB:1964年九州車輌製
全鋼製車体 定員70人(席26)北方側がA車、魚町側はB車
15.000×2.030×3.750 15.0t
直接制御 ツリカケ駆動 38kw×2
動力台車:OK-19A(川崎)、KL-12B(日立)従台車:OK-19B(川崎)、KL-12(日立)
SME直通ブレーキ、非常用発電ブレーキ(直接制御器の操作によって動作)
中央窓:331・33~35AB ゴム支持による固定窓。332、336~43AB アルミ枠支持で開閉可能。
戦後の好景気に需要も増加し1964年には331形は13編成を数えます。
しかし1970年代以降は八幡製鉄所の規模縮小とモータリゼーションの進行で北方線は衰退の一途をたどるのです。
なのに北方線ではワンマン運転を実施することはありませんでした。
主力となる330形連接車はワンマン運転に向いていなかったということもあったでしょう。
1960年以降は新たにボギー車を導入し これをワンマン化、閑散時はフリークェントサービスした方がよかったようにも思います。
しかし北方線は1985年に開業する北九州モノレールに取って代わられることが決まっていました。
用地を提供する形で1980年11月、北方線は全線廃止されます。
331形はどこの路面電車事業車にも引き取られること無くすべてが廃車解体されてしまいました。
1964年製の343ABなどは16年で廃車されたことになります。
名鉄の岐阜市内線用に移籍させる手もあったのではないかとも思うのですが…。
参考文献:路面電車ガイドブック 誠文堂新光社
「復刻版 私鉄の車両9 西日本鉄道」ネコ・パブリッシング
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