モハ91は 1975年に山形交通モハ106形モハ106を譲り受け導入したものです。山形交通三山(さんざん)線の廃止(1974年)に伴い余剰となった車両です。
山形交通モハ106は1945年に名古屋鉄道より譲り受けたモ450形451(もと各務原鉄道KB1形1)です。戦後、輸送力不足に苦慮していた名鉄に国鉄63系が割り当てられたことによる玉突き放出でした。
なお1947年に蒲原鉄道が名鉄より譲り受けたデ101→モハ21もモ450形455で同様の経緯で入線しています。(モハ21は1979年に廃車)
各務原鉄道KB1形は1925(大正14)年の登場時、電動カム軸式の間接自動制御器を採用するなど当時の最新仕様を取り入れた車両でした。ちなみに形式「KB1」は Kが「Kagamihara (各務原)」を、Bが「Boogie台車 」を、Eが「English Electric 製電装品」を意味します。
(イングリッシュ・エレクトリック社はデッカーという通称の方が知られているようです)
しかしながら車体はというと丸妻5枚窓マスクの木造車でした。
山形交通三山線は左沢(あてらざわ)線の羽前高松から間沢まで最上川の支流である寒河江川に沿って走る11.4kmの路線でした。
国鉄の盲腸線、それも非電化路線の中間駅が起点となる私鉄でありながら電化されていたとは驚きです。
なお三山とは出羽三山の月山、湯殿山、羽黒山を指します。霊山であり古くから山岳信仰や修験道の中心地となる山々です。
三山線は月山、湯殿山への参詣客を運ぶために建設されました。とはいえ終点間沢でさえ登拝口からかなり距離があります。
厳しい経営状況のなか1970年代までよく持ちこたえたものです。
山形交通に引き取られたモハ106は 1965年に車体を鋼体化しており車体はKB1形とは全くの別物となっています。
車体は13m級の半鋼製車体となりマスクは非貫通構造の2枚窓構造で左側の窓は開閉可能(下段上昇式)ないわゆる「バス窓」構造になりました。また側面にもバス窓が並んでいるモダンなスタイルです。
しかし足回りはというと 主電動機はデッカー社製の44.76kw×4、台車はボールドウィン社製のBW-78-25Aのままです。
モハ91は運転台と前扉が離れていることからワンマン化改造対象から外れ、最後までツーマンのまま運用されています。1985年の路線縮小に際して廃車されました。

撮影:1983.1 村松
モハ91形 91 1975年導入:もと山形交通モハ106(大正14年:日車製)
12.944:2.744:4.205 21.5 t 80名34席
制御器:HL モータ: 44.8kw×4 直流600V
台車:釣合梁式 ブレーキ:
参考文献:鉄道ピクトリアル#431 1984.4
| -ローカル鉄道車両研究- →鉄道車両写真集index |
| 蒲原鉄道 歴史まとめ オリジナル車:モハ11 モハ31 モハ51 転入車:モハ61 モハ71 モハ81 モハ91 電気機関車 ED1形 |
コメントを書く
コメントを投稿するにはログインしてください。