部活の試合に参加するためにバスに乗車していた高校生が常軌を逸した運転手により命を落とすという痛ましい事故がありました。このバスを手配していたのが「蒲原鉄道」。
会社としても責任が問われるのは致し方ないところでしょう。
一気に注目を浴びることになった蒲原鉄道ですが私にしてみれば「まだ昔の名前でやってたんだ」という思いがあります。なにせ鉄路が失われてからも27年の歳月が過ぎているのですから…。
これを機に振り返ってみたいと思います。
蒲原鉄道は新潟県加茂市の加茂駅から五泉市の五泉駅まで21.9kmを結んでいた鉄道会社でした。
まず1923(大正12)年に村松―五泉間(4.2km)が開通しました。
中蒲原郡村松町(現在は五泉市と合併)はこの地方の古くからの中心地でした。蒲原の名はこの地の名に由来します。
国鉄(省線)のルートからはずれてしまった村松町(本社の所在地)はかつて村松藩3万石の城下町。
山間地域の薪炭や木材輸送のほか 各種の鉱石が豊富に産出されたこと また村松には陸軍歩兵30連隊があり軍事物資の運搬が必要だったことなどから町民は鉄道敷設を渇望していました。
しかし折からの大不況によって鉄の相場が大暴落。鉄道建設の目的のひとつ白滝鉱山も事業縮小を余儀なくされ計画されていた村松-川内間の工事は取りやめとなりました。
それでも磐越西線の経路から外れた村松の町を鉄道で結ぶ目的で開業したのです。
1930(昭和5)年に村松―加茂17.7kmを延長、信越本線とも接続し全線開通となりました。
戦後も地元の足として活躍しました。しかし輸送量の減少から1957年に定期貨物の運用が終了。(1984年に貨物輸送は全廃)
1963年には「38豪雪」、1967.69年には水害と自然災害に見舞われました。乗客離れが続きます。

利用客の減少にともない1978年には県内初の全線ワンマン化を実施し合理化を推し進めました。
1985年には閑散区間である村松-加茂の17.7kmを廃止しました。残る村松-五泉間を何とか残そうという判断です。しかしながらどれだけの乗客が面倒な乗換えを受け入れてくれるでしょうか。村松-五泉間も 1999年10月に廃止されました。
廃線以後に 冬鳥越駅跡、村松城址公園などに加え、個人で保存されたものも含め 蒲原鉄道で活躍した車両は数多く保存されました。
こう言っては何ですが県庁所在地でもなく鉱山があるわけでもない、加えてこれといった神社仏閣や観光名所もない--。
こんな地によくぞ蒲原鉄道は開業したものです。それも新潟県初の電気鉄道として!
地元の方々にとっては強い思い入れのある「鉄道」であったに違いありません。
蒲原鉄道は新潟交通鉄道線廃線(1999年4月)の半年後に県内最後の私鉄として 77年の歴史の幕を閉じることになりました。
わずか半年ではあっても、蒲鉄が最後であるということに私は重さを感じています。

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