阪堺電気軌道は1980年までは南海電気鉄道 大阪軌道線でした。
1980年11月に大阪市営地下鉄谷町線の 八尾南延伸開業にあわせ平野線が廃止され 残った上町線、阪堺線が阪堺電気軌道2代目として存続することになったのです。
ここでは転換される直前のモ205形をご覧いただきます。
モ205形は阪堺電気軌道(初代)開業時の車両である木造車1形(M43製)、50形(T10製)、電動貨車1000形(T15製)の足回りを流用して鋼体化した11m級2扉車です。
1937年にモ2001 形として鋼体化されたモ201形(201~204)に加え1947年までに~250までの合計50両が改造されました。
(1938年:211~235、1939年:236~240、1941年:241・242(電動貨車1001.1002)、1942年:243~246、1947年:247~250)
1形を鋼体化した205~240については大阪市電1501形の台車KS-45Lなどに換装されています。
50形を鋼体化した243~250については大阪市電1601形の台車ブリル77Eと電動機NB172-NRB (37.5kW×2)に換装されています。
1967年に導入された1601形はモ121形となるのですが足回りをパワーアップするため廃車となったモ101形のBrill-77E1台車+GE-247-I(30kW×4)に交換しています。この時取り外されたものを流用したわけです。
平野線の廃止(1980年11月)によりその大半が廃車されましたが戦後に増備されたモ246~248の3両はワンマン改造され生き残りました。
この際、他のワンマンカー同様のドア配置に改められ大きくイメージが変わりました。
これらについては阪堺電気軌道モ205形として別タイトルでUPします。
→阪堺電気軌道 205形 ワンマンカー
大阪軌道線時代の古い画像をもっと見たいというお方はこちらをどうぞ。
→南海電気鉄道 大阪軌道線
もと1形鋼体化
「車両性能諸元表」
205形(211~20)1938(昭和13)年7月 自社工場製(1形鋼体化)
11.120:2.438:3.723 18.3t 70名(28席)
台車:ブリル77E-1、KS-45L(汽車) モーター:38.0kw×2
205形(221~40)1938(昭和13)年9月 ~39年8月 自社工場製(1形鋼体化)
11.120:2.438:3.723 18.3t 70名(28席)
台車:KS-45L(汽車) モーター:38.0kw×2 直接制御
参考文献 :路面電車ガイドブック 誠文堂新光社1976年 382.83Pより
以下に示す履歴は「在籍車旧番対照表」398.399Pより
220 もと1形11:1911(明治44)年製→改番90:1912年→鋼体化220:1938(昭和13)年

台車:KS45L(もと大阪市電)撮影1980.夏?:住吉
232 *232は戦災復旧車のため1949年6月製造 (参考文献191Pの記事より)

もと1形46:1911(明治44)年製→改番69:1912年→鋼体化232:1938(昭和13)年
台車:KS45L(もと大阪市電)撮影1980.夏?:住吉
240 もと1形47:1912(明治45)年製→改番65:1912年→鋼体化240:1938(昭和13)年

台車:KS45L(もと大阪市電)撮影1980.夏?:住吉
もと50形鋼体化
「車両性能諸元表」1967年に大阪市電1601形の台車、電動機に換装
205形(243~50)1941(昭和16)年~ 1947年 自社工場製(50形50~57鋼体化)
11.120:2.438:3.723 18.3t 70名(28席)
台車:ブリル77E-1 モーター:38.0kw×2(rp319 1976.4 ではブリル77E、37.5KW)
参考文献 :路面電車ガイドブック 誠文堂新光社1976年 382.83Pより
以下に示す履歴は「在籍車旧番対照表」398.399Pより
247 もと50形54:1921(大正10)年製 鋼体化247:1947(昭和22)年

台車:ブリル77E 撮影1980.夏?:綾ノ町
248 もと50形55:1921(大正10)年製 鋼体化248:1947(昭和22)年

台車:ブリル77E 撮影1980.夏?:綾ノ町
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*KS45L台車について
電車の台車については当初アメリカ、ドイツ、イギリスなどの輸入品頼りでした。しかし第一次大戦(1914~18)時、輸入することが難しくなり国産化がすすめられることになりました。
ここで手を挙げたのがすでに鉄道車輪の輪軸を手がけていた住友製鋼所です。1923年に試作台車を完成、翌1924年には大阪市交通局の1500型30両分の台車を完納しました。
これがKS45Lです。ちなみにKSとは住友財閥の当主であった住友吉左右衛門(Kichizaemon Sumitomo)にちなんだものです。
第二次世界大戦後、財閥は解体され1945年に扶桑金属工業が発足します。(1949年に新扶桑金属工業)。KS台車で築かれた伝統はFS(FuSo)台車が引き継ぐことになります。
1952年に住友金属工業に商号を変更しましたがFS台車のブランドは引き継がれます。なお鉄道用車輪、車軸については国内シェア100%を誇ります。
住友金属工業は 2012年に新日本製鐵と合併し新日鐵住金となり 2019年には日本製鉄に商号変更されました。
日本製鉄の関西製鉄所製鋼所地区と名前は変わりましたが100年にわたり大阪の地で鉄道台車を作り続けてきた伝統は引き継がれています。
参考文献:季刊 ニッポンスチール #20: 鉄道台車100年 2024.7
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