デ7000形は2002年発足の「万葉線株式会社」が「加越能鉄道」から引き継いだ車両です。
7051~53の3両です。ん?7001~03ではないんですね。
加越能鉄道のデ7000形は富山地方鉄道富山市内線のデ7000形と同タイプです。
地鉄からやってきた中古車ではありません。加越能鉄道時代の1961年に新製投入されています。
導入した当時はまだ富山地方鉄道富山市内線と直通運転していましたので重複を避け7050番台となったといえばそれまでなのですが。
1965年に追加投入された7061.62はデ7060形です。7051はデ7050形でいいではないですか。うーむ。
デ7000形にこだわった「加越能鉄道」とはどのような会社だったのでしょうか?
加越能鉄道とは すなわち旧加賀国・越中国・能登国を結ぶ鉄道ということになりますね。
ですが創立以来、加賀国にも能登国にも路線はありません。
加越能鉄道が設立されたのは戦後です。
1950年10月に「富山地方鉄道」から加越線と富山県西部のバス事業を譲受しスタートしました。
加越線は北陸本線石動(富山県小矢部市)から城端線福野を経由し庄川町(富山県砺波市)に至る路線で路線名は1922年に加越鉄道がこの区間を開通させたことに由来します。
そう加越鉄道には加賀国 金沢まで結ぶ計画があったのです。
計画は果たされることなく戦時統合で富山地方鉄道となりました。
加越能鉄道の設立にあたって 富山地方鉄道以外に「北陸鉄道」や石川県、金沢市も出資したそうです。
石動や高岡の周辺は越中国ですが加賀前田藩が治めていました。
文化的なつながりは強いのです。こういうことが背景にあったのかもしれません。
当時「北陸鉄道」には能登線が存在していました。
能登線のルーツは1921年に設立された「能登鉄道」。1927年に 羽咋-三明間が開業しています。
富山県氷見から羽咋、三明、をへて輪島にいたる鉄道を計画していました。
(輪島までと氷見から羽咋を結ぶ計画は放棄されています)
1943年 戦時統合により北陸鉄道の能登線となりました。
ひょっとしたら加越能鉄道に譲渡する思惑があったのかもしれません。
高岡軌道線は1948年に富山地方鉄道が開業した伏木線(地鉄高岡-伏木港間)がルーツです。
1951年、国鉄 新湊線の旅客営業廃止に伴い米島口-新湊(現 六渡寺)間が開業、射水線を経由して地鉄の高岡軌道線と富山市内軌道線の直通運転が開始されました。
高岡-新湊-富山を結ぶネットワークが戦後ようやく実現したのです。
ところが1959年に地鉄高岡-新湊間が加越能鉄道に譲渡されることになりました。
富山新港の開削にあたり射水線が分断されることに決まったからです。
分断されることがなかったら富山地方鉄道のままだったかもしれませんね。
1966年に計画通り射水線は分断され新湊-越の潟も新たに加越能鉄道に譲渡されます。
米島口-越の潟は新湊港線となり高岡軌道線と一体化して運行されました。
一方で1971年には支線となった伏木線(米島口 – 伏木港間2.9km)が廃止されています。
廃止といえば加越線もです。もともと沿線人口の少ない路線でした。
1960年代には過疎化に加えモータリゼーションの進行により累積赤字が膨らみ1972年9月に廃止されてしまいました。
偶然でしょうが前述の北陸鉄道能登線も1972年6月に廃止されています。
高岡軌道線で再起を図る以外生き残る道はない加越能鉄道は新車の導入を決意します。
それがデ7000形です。当時活躍していたのはデ5010形でした。
5021~5026が地鉄から加越能鉄道に譲渡され分断されるまで射水線、富山市内線との直通運転を継続していました。
デ5010形は軌道線車両ですが鉄道線(射水線、笹津線)に乗り入れるために製造された車両です。
ですから鉄道線車両とほとんど変わらない高床式となっています。
乗り込むためには2段のステップを昇らなければなりません。縦長の扉が当時の苦労を忍ばせます。

加越能鉄道は高岡軌道線により適合した市内線用の車両デ7000形を1961年自社発注します。
1958年から地鉄が富山市内線に投入していたデ7000形と同タイプの日車製電車です。
間接非自動制御のツリカケ駆動車でモータの出力も50kw×2。車体のサイズもほぼ同じです。
違いは扉の配置で地鉄のデ7000形は前中扉ですが加越能鉄道では前後扉としています。
窓の配置が変則的になっているところにご注目を!

それにしてもなぜ前後扉にこだわったのでしょうか?
既存車両であったデ5010形にならったといえばそうなのですが、地鉄デ7000形のままでもはっきり言って問題ありません。
ただそうなると富山地方鉄道のお古を使っているようで、それはプライドが許さなかったのです。
デ7000形導入当時、地鉄富山市内線では路線の縮小に伴って廃車が大量に発生していました。
北鉄金沢市内線も廃止が決まっていました。
私はここから中古車を導入してもよかったのではないかと思っています。
さすれば浮いた経費で電停に屋根をつけたり安全性を高めることができます。
利用者離れを防ぐほうが優先課題だと思うからです。
でも鉄道線に乗り入れるにはパワーも車両定員も不足しています。
デ7000形は納得できる選択だったようにも思えます。
なにせ富山市には負けていられません。
そうそう。重複を避けるというのならデ6000形とかにする手もあったはずです。
そうならなかったのは地鉄車両において「70」という数字に根拠があったからです。
「70」とはモータの出力が70馬力であるということを意味します。
鉄道線でも14700形とかちょっと首をかしげるような形式があるのですが、これは147馬力モータ搭載ということです。
加越能鉄道は高岡軌道線とともに地鉄デ5010形を継承しています。50馬力車です。
現場にとっては新車が70馬力のデ7000形というのは意味のあることです。
車番は譲っても加越能鉄道の新車にデ7000形という形式は譲れなかったのです。
それから40年の歳月がながれました。
地鉄デ7000形が1984年から冷房化に着手したのに対し加越能鉄道は冷房車を投入することもできませんでした。
財政難故に為す術もなくバス代替の意向を示した時は悔しかったでしょうね。
でも2001年自治体が第三セクターの万葉線株式会社を設立、その意地を引き継ぐことになります。
万葉線では移管後2年目となる2003年にようやく7073が冷房化。
2021~ 23年には車齢50年を超えているのにもかかわらず7074~76が冷房化されました。
富山市内線でもデ7000形はまだ頑張っているんです。負けてはいられません。
(万葉線デ7000形はデ7060形やデ7070形と共に万葉線の主力車両としても活躍しましたが冷房化されることなく2009年に廃車されました。)
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