1999年3月。広電5000形の第一編成5001Fはロシアの大型輸送機アントノフAn-124に載せられ ドイツ・ハーン空港から広島空港へ空輸されました。
補助金の申請期限に間に合わせるためだったこともあるそうですが、
話題作りのために マスコミに注目してもらおうという意図が感じられます。
事実、そのときの映像は私にとっても衝撃的で今も目に焼き付いています。
さて 広電は何をアピールしたかったのでしょう。
広電のHPによると
「21世紀に向けて都市内公共交通機関の「都市の装置」となるよう、広島電鉄では車両の近代化について積極的に取り組んでいます。
車両の近代化を進めるにあたり,高齢化社会に対応した乗降が容易で停留場との段差がほとんどなく、省エネルギー・低騒音・低振動など環境に配慮され、輸送力や速達性に優れた性能を持ち、いままでの路面電車のイメージを一新する車両として、ドイツより超低床車両を導入することにしました。」
とあります。
路面電車は昭和40年代前半、大阪、名古屋、神戸といった都市から全面撤退し都市交通の手段としては時代遅れの感がありました。
広電はそんなイメージを一新し、路面電車こそ21世紀の都市にふさわしいと主張したかったのです。
でも国内のメーカーではイメージを一新できませんでした。
広電5000形は熊本市交通局9700形電車に次ぐ国内2例目の100%低床電車です。
9700形はアドトランツ製、5000形はシーメンス製となっておりともに舶来ものです。
単なる偶然ではありません。
当時日本の鉄道車両会社は路面電車の開発に消極的でとりわけ超低床車は皆無だったのです。
日本でも「軽快電車プロジェクト(1978~80年)」というのがありました。
日本鉄道技術協会が運輸省からの助成金を得て欧州製のLRVに負けない新しい路面電車を開発研究するというものです。
川重、東急、アルナ、三菱電機、東洋電機、富士電機、住金、日本エアブレーキ、日本信号、京三が参加し、広電3500形や長崎電気軌道2000形といった当時の最先端技術を投入したサイリスタチョッパ制御車も登場しました。


しかし故障が頻発し現場からは歓迎されませんでした。
3500形にいたっては加速性能が今ひとつで市内線には乗り入れない限定運用に甘んじていたというのも情けない話です。早々に休車状態となってしまいました。
前述したように日本では路面電車はその路線自体が大幅に縮小されマーケット自体も小さく今更高額な開発費を投入しても採算がとれないという思いがメーカーにもあったのでしょう。
チョッパ制御は広電800形に引き継がれましたが「新時代の路面電車」とアピールできるものは特にありません。
他に改良型は登場することなく量産化されることはありませんでした。
対して欧州の車両会社は路面電車こそ都市の輸送手段にふさわしい。
という思いを連綿と受け継いでいました。
思えば、欧州の町並みとりわけ旧市街は日本とは違って古い建物が幅をきかせています。
モータリゼーションなど想像もしていなかった道路はその幅も狭くまた地下鉄を造るという大がかりなこともできませんでした。
そんな旧市街に 新市街から 近郊から人を呼び込むには路面電車が最適のインフラと考えていました。
この新ジャンルをLRT:Light Rail Transit と呼びます。
シーメンス社といった大手車両会社がその持てる力を路面電車=LRV:Light Rail Vehicleに傾注したのは当然の流れでしょう。
ですから日本の路面電車とは全く別次元の路面電車が姿を現したのは不思議なことではありません。
LRVは超低床であるということだけではなくサイズも大きいものが多いのです。
広電がシーメンス社から導入した5000形も車体が5つもつながる日本では例のない大きなものです。
編成の長さが軌道法で定められた30m以内に収まらないため国土交通省の特認を受けることになるその車体は宮島側から順番にA、C、E、D、Bの各車で構成されます。
A、B車には動力台車、E車には附随台車が設置されますが、なんとC、D車には車輪がないのです。
つまりC車はA、E車とD車はE、B車とそれぞれ連結棒で結ばれていて宙に浮いている格好です。
5000形の車体長は30.52mで編成定員は153人 車体重量は31.7tです。
5000形登場以前のエース3950形(3車体連接車)はというと
車体長は27.36mで編成定員は152人 車体重量は38.0tとなります。
いかに車体重量が軽減されているかがわかります。
アルミ車体であることも軽量化に寄与していますが台車の数が一つ少ないことも大きなポイントです。
5000形の窓は固定式、扉はプラグ式でいずれも大きく車内は明るくすっきりとしています。
低床ボディであることで当然ステップはありません。そのため車内は大変広く感じられます。
完全低床を実現するポイントは台車です。
5000形では 車輪を左右独立させ低床の妨げとなる車軸をなくしました。
主電動機は台車外側に配置し直角中空軸積層ゴム駆動方式で車輪を駆動します。
5000形グリーンムーバーは市民には大好評で2002年までに計12編成が導入されました。
(5002F以後は海路で搬入されアルナ工機で組み立てています。)
5000形の成功を受け日本の車両メーカーも本腰を入れてLRVの開発にとりかかります。
2001年「超低床エルアールブイ台車技術研究組合(アルナ車両,川崎重工,近車、東芝,東洋電機,ナブテスコ,日車,三菱重工の8社)」が発足。
台車の開発を行いました。
(参加を見合わせた新潟トランシスは 欧州のLRVをライセンス生産)
そして広島電鉄は近畿車輛・三菱重工業・東洋電機製造とタッグを組み国産初の100%フルフラット超低床路面電車広電5100形(2004~08年Greenmover MAX)を共同開発することにしたのです。

この取り組みはU3プロジェクト(Ultimate、User friendly、Urban)と名付けられました。
近車は車体を、東洋電機は制御装置などの電気品を、三菱重工は 台車を担当しました。
キモとなる超低床台車は5000形と同じ車軸のない4輪独立タイプですが三菱重工は自社工場にLRV専用試験線を敷設、台車の実証試験を行っています。
自社開発へのこだわりが感じられます。
一方5000形の受け入れ整備を行ったアルナ工機は鉄道車両製造から撤退していました。
しかし同社はアルナ車両としてLRVの製造会社として再起を図っています。
運転台下に動力台車を設置するタイプS。
台車付き先頭車に中間車をフローティングさせるタイプUaなどを開発。
アルナ車両は車軸をなくさない独自の超低床車リトルダンサーシリーズを提唱。
リトルダンサーシリーズは今や日本各地でその活躍をみることができます。
5000形グリーンムーバーは日本の路面電車に喝を入れたまさに黒船的存在だったと申せましょう。
さて導入後の5000形はといいますと価格が高額なことなどから2002年で増備が打ち切られました。
2009年に5007が部品取りとなって以降は運用を離脱する編成が相次いでおり、
2024年時点で運行されているのは5006、5008、5011のみです。
(5007は2025年廃車、他は休車)
あんなに好評だった5000形が早々に運用離脱し廃車もでているのはどうしてでしょう。
それは故障や整備のたびに部品が本国からの取寄せとなり時間と費用がかかりすぎることでした。
2004年にはシーメンスがコンビーノシリーズのリコールを発表しました。
宙づりになっている中間車を支える屋上の連結装置、この取付部が強度不足だったのです。
5000形も対象となり2007年以降オーストリアのシーメンス関連工場に送り込まれました。
2019年にはシーメンス社の日本法人が鉄道事業から撤退しました。
修理部品はドイツ本国から直に調達することとなり、さらに時間と手間がかかる結果となりました。
日本のメーカーであれば解決するまで手厚いサポートを受けることができます。
しかし海外では契約通りに納入すればそれでメーカーの仕事はおしまい。
リコールでもない限りメーカーのサポートは通常ないのです。
かつて黒船の到来は日本を永い眠りから目覚めさせてくれました。
江戸幕府は滅びてしまいましたが、日本は外国に支配されることはなく、受け入れるべきものは受け入れ、それを元に様々な形に発展させていきました。
それはトラブルがあってもしっかりと受け止め解決できる下地があったからだと思います。
LRVこそ21世紀の都市にふさわしいのだということを日本に示してくれた5000形。
黒船5000形の存在が日本の車両メーカーを奮い立たせ、路面電車の復権に貢献したことは間違いありません。
参考文献 鉄道ピクトリアル 新車年鑑 1999年版 No676 私鉄の車輌3 広島電鉄 保育社刊
*この記事は2012年8月にUPしたものがベースとなっています。
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