1993年。函館市は市制施行70周年の記念事業として、折しも路面電車開業80周年となる記念すべき年に「箱館ハイカラ號」の運転を開始しました。
いわゆるレトロ電車は江ノ電や嵐電などでも運行しており いい雰囲気を醸し出しています。
とはいえ あくまでレトロ調のイメージで作られたもので 車両マニアには多少の違和感が感じられます。
対して「箱館ハイカラ號」は 当時の図面を参考にして復元されており その出来映えは素晴らしいものです。
交通局及び札幌交通機械(株)の製作スタッフのこだわりが感じられます。
30形 39 箱館ハイカラ號
形式 30 39 1993年復元 札幌交通機械
8.026 :2.286: 3.750 10.4 t
台車 Brill21E-1:ブリル モーター MT-60: 鳥羽 37.3kw ×2
制御装置 KR-8 :泰平 ブレーキ SM-3 参考文献 rp688 2000.4
さて そのこだわりとなる車番は39。その数字が意味するところは何でしょう。
函館市電のルーツは函館馬車鉄道。これを買収したのは電力会社である函館水電でした。
自前の電力を活用すべく路線を電化。これに備えて大量の単車を導入します。
1913年(大正2年)の電化開業当初、単車の新車1号~25号を導入しました。加えて
九州水力電気から5両(26号~30号)、東京市電から1形5両(31号~35号)、
成田電気軌道からも5両(36号~40号)を導入しました。
さらに単車の新車を6両(41号~46号)を導入しています。
というわけで39号は1910年(明治43年)に 天野工場(後の「日本車輌製造東京支店」)で製作された成宗電気軌道の車両でした。
1918年(大正7年)に 函館水電がこの車両を購入したときには成田電気軌道となっていました。(成田時代の車番は不詳)
30形成田組は その後1926年(大正15年)の火災で37号と40号が焼失、また1934年(昭和9年)函館の大火の際にも36号と38号が焼失しました。
39号だけが焼失を免れたわけです。
100年を超えて生き延びるだけの強運の持ち主だけのことはあります。
39号が100年を超えて生き残れたのにはもう一つ大きな理由があります。
それは 1937年(昭和12年)にササラ式(ブルーム式)除雪車に改造されたということです。
当然冬場にしか仕事はありません。実働時間が限られている分、痛みは少ないということになります。
なんと1992年(平成4年)までの55年間、39号は排雪車:排2号として働いていました。
排1形 2号機
ちなみに函館市電には事業用車両として 排雪車が2両(排3、4号)、花電車(装飾車)が3両(装1~3号)在籍します。
かつて 排雪車は6両ありました。このうち1号、5号、6号の3両が廃車となり 排2号だけが客車に復元され「箱館ハイカラ號」になったというわけですね。
排2号は39号の強運を引き継いだわけですが、なぜ2号機だったのでしょう。
その前に排雪車:ササラ電車についてお話しします。
「ササラ」とは 竹を細かく割って束ねた器具のことです。
中華料理店の厨房で鍋を洗うときに使う--あの竹を細かく割って束ねたものです。
適度な堅さとしなりでこびりついた汚れも見事に除去します。
これを車両の前の回転部分に取り付けて下から雪を掻きあげるように回転させ前方45度の方向へ雪を飛ばすのです。
「ササラ式」は俗称で正式には「ブルーム式」といいます。
開発者は札幌電気軌道(札幌市電の前身)です。
より能率の高い除雪を研究した結果、台所用品のササラをヒントにブラシの部分に竹を利用する方法を考案し1925年に最初のササラ電車が実用化しました。
函館では札幌から遅れること12年後の1937年に単車を改造してササラ電車が製作されました。
排雪車は6両とも他の鉄道社局から購入した車両です。
排1号の種車は29号。もと九州水力電気(のちの西鉄福岡市内線)の車両です。
前述したように函館(函館水電)入り(1913年?)し 26号~30号となったわけですが、九州時代の詳しいことはわかりませんでした。
うち29号を排雪車改造しました。
排2号は1910年生まれで もと成田電気軌道 函館入りしたのは1918年。函館水電39号となりました。
詳しくは前述しています。
排3~6号は1900年代(明治30年代)に製造された東京市電気局(東京市電)ヨヘロ形がルーツです。
ちなみに ヨは四輪単車、ヘはベスチビュール(運転室正面に窓付き)、ロは大正6年更新型を表すということだそうです。
函館入りしたのは帝国電力に社名変更した1934年(昭和8年)以降です。1934年といえば函館大火です。
多くの車両が焼失し車両不足となった際、かねてから縁があった東京市電気局より急遽融通してもらった車両なのです。
これら25両のうち 244、245、242、243号の順で排3~6号となりました。
函館市電の駒場車庫には2回お邪魔して、貴重な事業用車両を撮影させていただきました。
排1形 排1 1997年廃車 アメリカのシーショア路面電車博物館に譲渡
排1形 排3
排1形 排4
排1形 排5 アメリカのシーショア路面電車博物館に譲渡
形式 除雪車 排3-5 1937~39改 函館水電改
8.700 :2.344: 3.960 10.4 t
台車 Brill21E-1:ブリル モーター MT-60: 鳥羽 37.3kw ×2
制御装置 KR-8 :泰平、三菱 ブレーキ SM-3
参考文献 rp688 2000.4
このように様々な経歴を持つ車両でありながら「よくもまあよく似た車両を集めたものだ」というのが私の実感です。
ですから どれを選んでも同じような車両に復元できたような気がします。
さて「箱館ハイカラ號」へ復元にあたっては当時の図面を参考にして復元したということですから、
より状態のいい図面を選んだら39号になったというのが 本当のところかもしれません。
また車体の状態がよくなければ復元されなかったでしょう。
しかし、私には1934年3月の「函館の大火」を乗り越えてきた車両から選ばれたのではないかと思えてなりません。
「函館の大火」は、死者2166名、焼損棟数11105棟を数える大惨事で 今もなお函館の歴史に残る大災害です。
1993年の「ハイカラ號」復活当時 。
その悲劇を乗り越えてきた人々にとって同じく生き残ってきた39号は 特別な意味を持つものであったに相違ないと思えるからです。
*この記事は2014年11月に記したものがベースとなっています。
参考文献 鉄道ピクトリアル 「特集 路面電車」 1976年4月号 No319 1994年7月号 No593 2000年7月号 No688
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