名鉄のモ870はヨーロッパのトラムを連想させる近代的で優雅なスタイルです。
21世紀の今もなお十分に通用するもので「日本でもっとも美しい路面電車だ」
とお思いの同志も沢山いらっしゃるのではないでしょうか。
あらためて申しあげるまでもないでしょう。
モ870形は元札幌市のA830形連接車です。
さて2005年3月末、惜しくも岐阜の600V各線は廃止されてしまい彼らの去就も気になるところです。
1965年製である彼女たちが岐阜の街にやって来たのは1976年。
以来、29年の長きにわたって活躍してこれたのは彼女たちがこの地にしっかり順応してきたからに他なりません。
暑い岐阜での使用に先立ち側窓を開閉できるユニット窓に変更しカーテンも取り付けました。
1996年には冷房化工事に併せて車体の大改修が行われます。
徹明町電停での画像をご覧ください。
側窓を230mm上昇させ明かり取りの小窓は撤去されました。
前述のユニット窓も4カ所を残すのみで固定化されます。
加えて中央扉の開口部が1800mmから1310mmへと美濃町線でのニーズに合わせて狭くなってます。
その他、ZパンタをPT42形パンタグラフに取り替え 行き先表示板も自動になるなど、かなりの変化があります。
全体的に名鉄風 下ぶくれ(失礼!)になったとはいえイメージはよく保たれていると思います。
そして4年後の2000年には 美濃町線のモ870の運用効率を高めるべくワンマン化に併せて複電圧改造も施されることになったのです。
モ606のページでもご紹介しましたが、複電圧にするために抵抗器など様々な機器を追加したモ606の屋根上にもう冷房機などを取り付けるスペースはありません。
モ870は低床の路面電車出身です。もともと床下に空きスペースはありません。
屋根上にはもうクーラーユニットが陣取っているわけです。
もう複電圧にはできないと私は思いこんでいました。
そんなもんですから新岐阜駅の東側にある各務原線の踏切付近で撮影をしていたときにモ870がやってきたのにはびっくりしました。
世紀末のテクノロジーが機器の小型化を実現した。
と簡単に言ってのけれるものではないと思います。
アイデアと工夫 そして この電車への愛着こそが この困難な工事を可能にしたのではないかと思われるのです。
しかし この後わずかに5年。名鉄 岐阜600V線は全廃されてしまいます。
これほどの機能を満載した路面電車を必要とする事業者はありません。
ああ、こんな名車の働き場所がなくなってしまうなんて。
*この記事は2005年7月にUPしたものがベースとなっています。
詳しいスペックなどはこちらで
→名鉄 美濃町線 モ870形 もと札幌市電 A830形 連接車
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