「JR初の形式消滅車両」JR北海道 キハ130形 珍車ギャラリー#043

「JR初の形式消滅車両」JR北海道 キハ130形 珍車ギャラリー#043

民営化されJRとなった以上、ローカル線についても収支の改善は重要な課題となります。
人件費削減のためのワンマン化はもちろんのこと。路線の保守軽減の面からは車両の軽量化が求められます。
しかし国鉄から継承した多くの車両は重くワンマン化にも不向きでした。
そんな中、JR北海道が1988年にどこよりも速く導入した軽量気動車がキハ130形です。


調達コストの削減にあたってはすでに第3セクターなどで使用されている新潟鉄工の軽量気動車(NDC)を若干の改良のみで使用することになりました。

北海道の車両といえば両端にデッキ(出入り口)を設けた車体に2重ガラスの1段上昇窓。
すなわち極寒地用の耐寒耐雪仕様と決まっていました。
しかし会津鉄道のAT150形そっくりのキハ130形は見ての通り窓は1重の上段固定下段上昇で内地向け車両と変わりません。
出入り口と車内とのしきりもなく前述のような北海道向け対策は施されませんでした。
こんなのでよく冬の北海道を走れたなあ。と思ったのが第一印象でした。
まあ使用された日高本線は雪が少なく比較的(あくまで比較して)温暖な所です。なんとかなると判断したのでしょうか。
キハ130形が そしてついでといえばなんですが キハ130形にこれまたそっくりのちほく高原鉄道のCR形も冬期の使用実態についていくら強力なヒータを入れていたとはいえ歓迎されたとは思えません。
キハ130形は2000年までに大半の車両が廃止され最後まで残ったキハ130-8も2002年に廃止されます。
わずか14年です。すべてその姿を消してしまいました。

海沿いを走る日高本線ゆえに塩害による車体の痛みが進んだことも短命だった原因とされていますが車体の寿命だけの問題ではなかったように思えます。
塩害が問題ならJR西日本のキハ120形のようなステンレス車体で登場しても良さそうなものですが…。

新形式キハ160形(1997年、事故によりキハ130-6が廃車となり代替えとして1両のみ製作)はキハ130形から得られた教訓を活かし冬の北海道向けの様々な対策が施されていますがスチール製です。

どういうわけかキハ160形はその後増備されることはなくキハ130たちを置き換えることになったのは 彼らが駆逐したはずのキハ40系(1977~82年製)でした。

新車を調達する余裕がなかったとはいえなんと皮肉なことでしょう。
キハ130形の2倍は長生きしているキハ40-350番台は2021年まで活躍をしました。
キハ160形はその後、そのノウハウをキハ150形に引き継ぎますが、このキハ150形がまたまたどういうわけか。
日高本線では使われていないのが不思議です。
当線における、キハ130形とはいったいどんな存在だったのでしょうか…。

*この記事は2005年12月に記したものがベースとなっております。

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