「鉄路を守る孤高のランナー」JR北海道 キハ40形400番台 珍車ギャラリー#204

「鉄路を守る孤高のランナー」JR北海道 キハ40形400番台 珍車ギャラリー#204

鮮やかなグリーンのドアが意味するもの

キハ40系は1977年から1982年にかけて計888両が製造され全国の非電化路線に投入されました。
国鉄最後のローカル線用気動車であったキハ40系は地方線区のエースとして期待されていました。
しかし当初現場での反応はあまり芳しいものではなかったようです。
もっともキハ40系は丈夫な構造をもつ電車並みの大型気動車で客室設備も改善が図られています。
これは一方、重量増加の原因ともなったのです。
エンジンは旧型のDMH17系から新型エンジンに切り替えられました。
でも新型エンジンDMF15系の連続定格出力は220PS。
キハ40系一族の自重(36t超)に対してはあまりに非力でした。
旧型気動車と比較しても 動力性能が向上しているとはいえません。
搭載されているエンジンと変速機の組み合わせも悪く出足が遅かったのです。
加えて中速域については変速段を使用して60km/h付近まで引っ張る運転操作が求められたのにもかかわらず、DMH17系エンジン搭載車の運転に慣れていた運転士が45km/h程度で直結段に切り替えてしまうなど 性能を出し切れない場面が多く見られたそうです。
結果、特に電化区間へ乗り入れる場合、電車に比べ甚だしく加速力が劣るため足並みが揃わず いわばお荷物的存在だったのです。

さて、そんなキハ40系一族ですが、早々に姿を消すかと思いきや。
2011年現在、まだその多くが元気に活躍しているのです。
JR北海道では、日高本線用にキハ130形を1988年導入しました。
しかしキハ130形は早々と姿を消し、淘汰されたはずのキハ40形がカムバック。
今なお、元気に活躍中です。いったいこれはどうしたことでしょう?

国鉄分割民営化後、キハ40系はJR各社に承継されました。
以後、その使用線区の事情に応じて改造がきめ細かに実施されることになります。
結果として派生形式や番台区分が多くなってややこしくなっています。
JRに現在残存しているキハ40系を見てみると、その多くが300PS以上の高出力エンジンに換装、
もしくは過給器・燃料噴射系交換などによる既存エンジンの強化でパワーアップを図っている点が目に付きます。
重量が重過ぎるという弱点を克服するためですが、車体が大型であるということは一方で床下機器の取り付けには有利です。
エンジンの換装やパーツの追加にも余裕を持って対処することができました。
また、しっかり造られた頑丈な構体は、結果的に長持ちするということなのです。

JR北海道には、キハ40形100番台150両とキハ48形7両の計157両が承継されました。
全車ともいうまでもなく酷寒地形です。
酷寒地形は二重窓構造とし厳冬期の車内保温を図っています。
窓自体も1段上昇窓で小振りになっており、これも車体の強度をUPさせるひとつの要因のようです。

さて今回の主役はキハ40形なので 以後キハ40形100番台がどうなっていったかを見てゆきます。

キハ40形700番台
1990~94年に100番台にワンマン運転対応工事を行ったものです。100番台の全車が改造されました。
(急行用としてエンジンをパワーアップしキハ400形に改造された9両を除く)
白地に鮮やかなグリーンと青の帯が配されたその姿は新生JR北海道のイメージアップに一役買ったと言えるのではないでしょうか。
循環式汚物処理装置を取り付け、屋上の水タンクを撤去した車両も存在します。

続いて、この700番台から新しい仲間が生まれます。

キハ40形300番台(キハ40 702・748・773・782 → 301 – 304)
1996年に札沼線(学園都市線)の列車増発のためエンジンをN-DMF13HZB (330PS/2,000rpm) に換装しパワーアップしたグループです。
サービス向上のため冷房装置 (機関直結式N-AU26) を取り付け汚物処理装置も搭載しました。
ラッシュ時対策としてシートが2+1人掛けとされ客室とデッキ間の仕切りは撤去されています。

キハ40形400番台(キハ40 769・770 → 401・402)
1996年に同じく札沼線用に投入されたグループです。
エンジンをさらに強力なN-DMF13HZD (450PS/2,000rpm) に換装。
変速機も直結2段式のN-DW14Cに換装しました。冷房装置は搭載していません。

ともに、1996年に札沼線用として増備されたものです。
ところで、なぜ300番台に加えて400番台が必要とされるのでしょうか?
冷房の有無という違いもありますが、ポイントはやはりエンジンの出力です。
400番台における450psというのは、キハ40形では最大の出力となります。
これはオリジナルのエンジンの二倍以上、ついでにいうと特急用気動車キハ183系の中間車キハ182形のエンジン(DML30HSI:440ps)以上です。
これほどのパワーが必要となる山岳区間が使用線区である札沼線にあるのかといえば  さにあらず。
ではいったいなぜ?

この答えは時刻表に隠されています。
学園都市線とも呼ばれている札沼線。その名前の由来にも少し触れておきたいと思います。
札沼線の札は札幌駅。沼は留萌本線石狩沼田駅のことで両駅を結んでいたことから札沼線と名付けられました。
1972年に新十津川 – 石狩沼田間が廃止され、桑園駅 – 新十津川駅 76.5kmを結ぶ路線となっています。
そんなわけで現在は実態と合っていません。
さて時刻表を見てゆくと桑園から石狩当別・北海道医療大学まではぐっと列車本数が増えています。
同区間は札幌市近郊の通勤・通学路線として機能しており沿線に学校が多くあることから1991年3月。
学園都市線という愛称で呼ばれることになったのです。
この区間は利用者数も多いため、現在、電化工事(2012年春完成予定)が行われています。
一方、非電化のまま残される北海道医療大学駅以北は典型的な閑散区間です。
列車本数も少なく 一転して1両のみの気動車列車が走るローカル線となっています。
末端部の浦臼-新十津川間いたっては、1日にたった3往復です。

実はここが、400番台の活躍場所なのです。

ではなぜ、ここにハイパワーの400番台が必要なのでしょう。
もう一度言っておきますが、この区間は山岳路線ではありません。
問題は雪です。かつての深名線ほどの豪雪区間ではありませんが、結構、雪は降るのです。

列車本数が多いのなら列車が通過する分、雪は少しずつ除雪されよほどのことがない限り運行に支障はありません。
しかし、何時間も列車が通わないとなると雪は手に負えないレベルにまで降り積もってしまうのです。
非力な車両ではすぐに立ち往生です。もっとも2両3両と繋ぐことでしのぐことはできるのですが、
超閑散区間で乗客もいないのに沢山の車両を常備しておくのは経済的ではありません。
そこでハイパワーの400番台が出番となるのです。

言いそびれてしまいましたが400番台が投入される以前、この区間にはキハ53形500番台が投入されていました。
キハ53形500番台は北海道版キハ58形であるキハ56形の両運転台改造車です。
キハ56形はDMH17系のエンジンを2台搭載していますから併せて340ps。
ただいくらハイパワーでも空転してしまえば何の意味もありません。
キハ53形が頼もしいのは2台の動台車を持つことです。
自動車でいえば4WDが雪道に強いのと同じ理屈だとお思い下さい。

彼らの後釜として400番台は投入されたのです。ハイパワーだけではありません。
見逃してはならないのは動台車を2軸駆動のN-DT44Bとしたことです。
なぜ、2軸駆動にしたか。もう説明の必要はないですね!

2012年春の電化完成のあかつきには、キハ141系とともにキハ40形も大量に淘汰されるでしょう。
しかし、電化されない閑散区間である北海道医療大学駅-新十津川間は、廃線にでもならない限り、
キハ40形400番台が、厳冬期も変わらず1年中、ずっと,鉄路を守り続けてくれるに違いありません。

いまや北海道も冷房車が当たり前の時代となりつつあります。
400番台は冷房がないので、人気はないのでしょうね…。
でも、彼らを見かけたら「すごいやつなんだ」と思ってやって下さい。
400番台は客用扉が鮮やかなグリーンとなっているのですぐに区別できます。
そしてこの色こそが、彼らの誇りを表す色なのだと思っていただけたらうれしいです。

*この記事は2011年8月に記したものです。
札沼線の末端部分(北海道医療大学駅-新十津川間)は2020年に廃線となりました。
400番台は永く苗穂工場に留置されていましたが2023年に解体され姿を消しました。

参考文献 鉄道ファン 特集キハ40系一族 の各記事。No597 2011.1

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