「千代田線の誇り」JR東日本 209系1000番台 珍車ギャラリー#431

「千代田線の誇り」JR東日本 209系1000番台 珍車ギャラリー#431

2024年9月、中央快速線用209系1000番台がお役御免になったのではというニュースが飛び込んできました。
中央快速線といえばE233系0番台です。同じオレンジ帯なので誤乗することはないと思いますが、見た目も大きく違う209系1000番台です。
めったに乗れないこともあって注目の車両でした。
いったいどんな電車だったのでしょう。

209系1000番台は1999年に営団地下鉄千代田線乗り入れ車両として登場しました。
同線で運用されていた203系にならい当時はエメラルドグリーンの帯を配していました。
営団との協定に準拠した2,800 mm 幅車体で先頭車前面には非常口が設置されているのが特徴です。
松戸電車区に10連×2編成=20両が配置されていました。

その2編成が2018年に同線の運用から撤退し2019年に豊田車セへ転属しました。
中央線快速用E233系にグリーン車を組み込む工事に伴う予備車を確保するためです。
改造工事を終えた81.82編成は編成番号もそのままで 2019年3月より営業運転を開始しています。

都合よくお役御免になった電車を投入したのだな。
とお考えの向きがあるかもしれませんが中央快速線は過密ダイヤに加え多くの種別の列車が走ります。
きっての混雑路線でありながら定時運転を支えるため電車は高加減速性能を求められます。
同時に駅間が長いところでは高速運転さえもが求められる過激な路線なのです。
国鉄初の高性能通勤電車101系がまず中央線に投入されたのは当時からすでに切迫した事情があったからに他なりません。
中央線の救世主でもあった101系の後継車として開発されたのが201系。
そして新型E233系をまず投入したのが中央快速線です。
そんなE233系0番台と肩を並べて仕事をこなせるとされたのが209系1000番台だったのです。

では彼女たちが活躍していた営団千代田線(常磐緩行線)とはどんな路線だったのでしょう。
常磐線と営団千代田線との相互直通運転が始まったのは1971年です。
開始にあわせて投入されたのは103系1000番台です。10連×16本=160両が新製されました。
103系か といって馬鹿にしてはいけません。
中間車を全電動車とした8M2T(Tc-(MM×3)-Tc)の強力編成で地下鉄線内での勾配に備えました。
台車は0番代と同じくDT33、TR212、主電動機はMT55ですが主制御器はバーニヤ制御のCS40に変更されています。
抵抗制御ではありますが超多段制御の優れもので今なお南海ではバーニア制御の7100系が特急サザンとして活躍しています。
対して営団側が用意したのは-あの名車6000系。
量産車両として世界初となる回生ブレーキ付きのサイリスタチョッパ制御を採用した画期的なアルミ車両です。
さすがに見劣りすると考えた国鉄は82年からアルミカー203系を投入。86年までに103系1000番台を置き換えました。
その後も207系900番台を投入するなど国鉄は最後まで対抗意識をむき出しにしていたように感じられる路線です。

そんな千代田線にJR東日本が1999年より導入したのが209系1000番台です。
209系とはいえ 電動車比は 6M4T。起動加速度は3.3 km/h/s、 減速度は 4.7 km/h/sに強化されています。
そのままの209系では千代田線で通用しません。
そこんところは彼女たちが一番わかっています。

209系といえば「重量半分、コスト半分、寿命半分」のコンセプトで開発されたものです。
「走るんです」と揶揄されることもありました。
しかし2009年10月には房総各線用に209系2000番台がデビューしています。
これは京浜東北線でお払い箱になった0番台を改造したものです。
「重量半分、コスト半分そして寿命半分」という命題を突きつけられながらも、
しっかりしたモノ作りにこだわった日本の車両メーカーの底力と寿命半分であろうがなかろうが、手厚くメンテナンスしてきたスタッフの”士気の高さ”があればこそなし得たことです。
まだまだ使える。209系は予想に反し!まだまだ使えることが立証されたのです。

209系1000番台も中央快速線に転属して以来5年、しっかりその任務を果たしてきました。
「千代田線でやってきた」というその誇りが彼女を支えてきたに違いないと私は思うのです。

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