「8000系ではないその理由」 東武鉄道 800 850系 珍車ギャラリー #262

「8000系ではないその理由」 東武鉄道   800  850系 珍車ギャラリー #262

800.850系は8000系の3連バージョンという位置づけになっているようです。
でも8000系じゃないのです。不思議ですね。今回はそこんところに突っ込んでみたいと思います。

1963年デビューの8000系はもともと4連を基本とする編成単位で開発された系列です。
1964年には2連バージョンが1977年には8連バージョンまで登場しています。
さて そんな8000系に3連バージョンが登場、800系850系と名付けられました。
彼女たちがデビューしたのは2004~05年にかけてのことです。
1977年からはかなり間隔が開いていますね。
21世紀になって いまさら新造するわけはありません。すべて改造車です。
館林、太田地区の5050系と置き換えるために3連×5×2=30両がデビューしました。
8連バージョンからサハを2両を抜き出すことで組成された編成です。

クハ8100(奇)+モハ8200(奇)+モハ8300(奇)+サハ8900(奇)+サハ8900(偶)+モハ8200(偶)+モハ8300(偶)+クハ8400(偶)
 クハ800-1+_モハ800-2+_モハ800-3               モハ850-1+_モハ850-2+_クハ850-3

ですから今回はモハ8300(奇)とモハ8200(偶)新たに運転台を取り付けたわけですね。
国鉄流にいえばモハがクモハ になったということです。
しかし東武にはかねてからクモハという称号は存在しません。
ちなみにこの運転台は6+2連で運行するものから 使用していないクハ8400とモハ8500から捻出しました。
運転台を失った「クハ」については「サハ」に形式変更したものの「モハ」はそのままです。
まあそれなら その例にならって 新たに運転台をつけたといっても「モハ」のままにしても良さそうなものです。
でもそれでは 新たに先頭車になった車両が中間車と区別がつかないことになります。
さすがにそれでは不都合なので新形式を割り当てることにしたわけです。

8000系は712両にも及ぶ大所帯です。
最も数の多いモハ8200(8300も同数)は100以内に収まらず~82120と5桁にまでなっています。
100の位が車種別にあてがわれているわけですが、0以外はすべて割り当て済み。
今更 空番号はありません。缶詰の例に倣って10=X、11=Y、12=Zとする手もありますが、
東武ではもう一つある番号割り当てをここに導入します。
特急スペーシア100系の番号割り当てです。
こちらは100-1、100-2、100-3…とハイフン以下で浅草から何両目かを割り当てるというやり方です。
何編成目かは1と10の位で判別しますので、105-3は第5編成の浅草から3両目とわかります。
もっとも この割り当て方法はスペーシアがすべて6連であるから成り立っているようなものです。
でも8000系はもうこれ以上バージョンを増やすことはありますまい。
8100側の3連を800系とし、モ8300(M)を  モ800-3(Mc)としました。そして
8400側の3連を850系とし、モ8200(M)を  モ850-1(Mc)としました。

さて…これで一件落着といいたいところなのですが、8000系のことをあれこれ調べてゆくと、
3連バージョンである800系、850系は やはり8000系とは別で考えるべきものと思えるのです。

というわけで…もう少し、おつきあいください。
まずは8000系についておさらいします。

8000系は1963年に登場しました。東武では日比谷線直通の2000系に次ぐ新性能車です。
「新性能電車」とは軽量車体に カルダン駆動、電磁直通ブレーキなど を備え ユニットで編成を組むなどした電車です。
国鉄でいえば101系、151系などが これに該当します。
大手私鉄においてもすでに多く誕生していました。東武は多少奥手といえそうです。

しかしその分、中身はこなれています。
MM’ユニットを構成し 電動機は当時最強クラスとなる130kW(TM63形)を装備します。
国鉄でいえば 新性能車第2世代の103系に相当するということになるでしょうか。
いや、通勤車としてはもう一つ上をいっています。
制御装置は1C8M方式の超多段バーニア式抵抗制御です。
台車(TRS-62M/TRS-62T)も当時の普通列車用としては珍しい空気バネを装備するなどぐっと充実しているのです。

前述したように8000系は4連(クハ8100-モハ8200-モハ8300-クハ8400)を基本とする編成単位で開発された系列です。
1963~70年までに55編成投入されました。
基本編成登場から遅れること約1年。8000系に2連が登場します。
これは利用者増で増結が必要となったことに加え閑散時間帯に短編成で運用するなど 柔軟な運用ができるようにするためでした。
2連は モハ8500とクハ8600となりました。
モハ8500には 4連と同じく超多段バーニア式抵抗制御装置を搭載しますが 1C4M方式に変更されました。
補助機器類はクハ8600型に搭載し 2両でユニットを構成しています。
国鉄であれば 103系に対する105系ともいえるわけで この2連ユニットを8500系と呼ぶこともあるようです。
でも  これはあくまで8000系です。
8000系は 基本4連+付属2連というスタイルで使用されるのが標準です。
105系は103系と併結するような使い方はしません。
もちろん付属編成2~3本をつないでの運用も行われています。

沿線人口の急増に伴い常時6連で使用されることが多くなったことから 東武鉄道は6両固定編成を登場させます。
クハ8100-モハ8200-モハ8300- モハ8800とサハ8700 -クハ8400
ここで新形式 モハ8800とサハ8700が登場しています。
付属2連の運転室無しバージョンを中間に組み込んだということです。
(MTの位置は逆になりましたが…)
1977年には東上線用に8連が登場します。
これも6+2や4+4、4+2+2の併結編成が恒常的になってきたためです。
8連は 4両固定編成2本を組み合わせた仕様です。
 クハ8100(奇)+モハ8200(奇)+モハ8300(奇)+サハ8900(奇)
サハ8900(偶)+モハ8200(偶)+モハ8300(偶)+クハ8400(偶)

ここで新形式サハ8900が登場します。
既存のサハ8700に補助機器が搭載されているのに対しサハ8900形は補助機器の搭載がありません。
全くの別形式です。あえて言えば4連のクハの運転室無しバージョンですね。

1976年以降の増備車はマイナーチェンジが行われ、台車もTRS-75M/Tに変更されています。
しかし 4連2連のユニットを組み合わせるというその基本は何も変わってはいないのです。
つまり どのような編成を組んでも8000系はMT比を1:1に維持しています。

これに対し800.850系はMT比が2:1です。ここが違います。
そのニーズに合わせて わざわざ3連に組成したワケですから 3連固定で使います。

あと800.850系の特徴としてはワンマン運転対応というのもあります。
でも8000系にもワンマン運転対応編成はあって、800系850系固有の特色とはなり得ません。
というわけで、やはり違いはこのMT比につきるといってもいいでしょう。
ただM車の比率が高くなったからといって 800.850系が高加減速の強力編成かといえば そういうわけでもありません。
他の8000系と同様にその性能は抑えられています。
思えば 800.850系を使用する線区、列車種別を考えてみてもそんな必要はありません。

でも考えてみてください。
東武では 特急用や地下鉄線直通などの特殊な用途をのぞけば おしなべて偶数編成です。
3連は800.850系だけです。
一般車について 東武鉄道は 頑ななくらい1:1のMT比を踏襲しているのです。
この辺は西武鉄道と対照的です。
ですから改造車とはいえ 今までの東武の伝統を大きく逸脱することになる8000系の3連バージョンは 8000系の枠内で一括りにはできない異端車といえます。
800.850系となったのは 空き番号を求めたあげくの窮余の策だとは私には思えません。

ところで なぜ3連バージョンが必要となったのでしょう。
800.850系の働き場所は 伊勢崎線の末端部分(太田-伊勢崎)と佐野線(館林-葛生)です。
彼女たちはここで働いていた5050系の後継車ということになります。
5050系は4連でした。4連では大きすぎるということなのでしょう。
さりとて2連では まかなえないということの結果が3連なのでしょう。
私などは「大は小を兼ねる」で4連でいいではないかとも思えるのですが…。
800.850系の種車となったのは、8000系8連です。
今回の改造にあたって サハ2両×5が廃車されています。
8000系としてはむしろ新しい車両です。こちらに運転台を付けたっていいような気もします。
(そうなれば紛れもない8000系ですが…)
しかし東武鉄道は3連を必要としました。
いかな東武鉄道でも どんぶり勘定では済まされない厳しい現実があるということなのでしょう。

参考文献 :鉄道ピクトリアル 特集 東武鉄道 1997年 No647

この記事は2014年2月に書いたものが元になっています。

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