「完成されたフォルム」阪急 2300系(珍車ギャラリー#153)

「完成されたフォルム」阪急 2300系(珍車ギャラリー#153)

阪急2300系-55年走ってきた電車と誰が思うだろうか-

阪急嵐山線をゆく 2300系

2015年、阪急2300系が姿を消しました。製造初年は1960年。55年走り抜いてきたことになります。
2300系の弟分である2800系を特急運用から追いやったあの6300系が大量に廃車されたのが2009年。
6330Fに至っては1984年製ですから25年しか活躍できなかったのです。
まさか2300系より先に淘汰されるとは思っても見なかったことでした。

ではなぜ、2300系はかくも永く生きながらえることが出来たのでしょう
今回は、その理由を考えてみようと思います。

古くささを感じさせない完成されたフォルム

まずは、その車体です。
2300系の車体は、神宝線の2000系2100系と同じく、現在の阪急スタイルを確立しました。
先輩格である1000(1000、1100、1300)系列は、2000系列と同じく新性能車ではあるのですが、片開きの3ドア車です。
ラッシュ時の乗客をさばく点において両開きの3ドア車である2000系列には及びません。
いまや両開きドアは、阪急のみならず、多くの鉄道会社で採用されている形態ですが、阪急においてその嚆矢となるのが2000系列です。
そしてそのデザインです。
一段下降の窓枠をアルミサッシの地金のままにしたのですが、これがマルーンの車体に見事にマッチしています。
このデザインがいかに先進的であったかということは、今なお新1300系に採用されていることからもおわかりいただけると思います。
車体自体もそうです。
走り装置が撤去され改造付随車となった神宝線の2000系列(すなわち2080形や2180形)が、5000系や3000系などに組み込まれて、何の違和感も感じないのは、思えば、それだけ古くささを感じさせない完成されたフォルムであったということでしょう。

ところで、神宝線の2000系2100系はこのように電装を解除され付随車となって生きのびたのに対して、2300系は、更新改造されてはいるものの、2300系としてMc車をはじめ多くの車種、形式を維持し現存し続けました。

阪急 2081
この違いはいったい何なんでしょう。
次にこのことを考えてみます。

2000系、2100系との違い

2000系2100系の方から見ると、その更新時期に5000系3000系などの8連化が重なったことがあげられます。
前述したように、2000系列のスタイルは、5000系や3000系などと同じで全く違和感がありません。
増結用車両として捻出されるのはもっともなことです。
でもことごとく電装を解除された理由はなんでしょう?。
実は2000系2100系は、神宝線が600Vだった時代に製造されています。
昇圧対応をしている増備車2021系もいたのですが、1500V車として使用することを前提に新製された3000系や1500V車である5000系などとくらべて複雑で特殊な構造となっていました。
また2000系列といえばオートカー(人工頭脳車)と呼ばれた定速度制御車です。
画期的なものではありますが、身体で速度を覚えている運転手さんに必須のものとはいえません。
構造も複雑で、保守の面からも電装品は、共通化させスッキリさせておきたい
という現場からの声もあったのではないでしょうか。
増結用車両として捻出される際には、あっさり取り外されることになりました。

対して2300系は、もともと1500V車として新製されています。
また2300系は、2000系2100系とは違って1C4M方式を採用していました。
このことで、2連ユニットを基本としながらも2300系として、多様な編成を構成することが出来、列車によって輸送需要に違いを呈する京都線の実情にうまく適合できる車両となっていたのです。

ところで京都線においても神宝線の3000系5000系などと同様3300系5300系と新車は登場しています。
そしてそれらについても増結する必要があり、事実、編成両数は増えてゆきました。
しかし2300系の電装を解除、これをばらして増結用にするということはしませんでした。
なぜか、おわかりになりますでしょうか。
それは3300系に2300系を組み込むことは出来ないという事情があったからです。
3300系は、単なる新車ではありません。
実は、1969年に開業した大阪市営地下鉄堺筋線に乗り入れるための特別車両です。
大阪市交通局と幾度となく話し合いを重ねた結果誕生した地下鉄線乗り入れ用の限定車両だったのです。
ですから、まず保安基準が違います。
よく似ているようでも、わずかに寸法が違いますし、なんといっても走行性能が違います。
3300系が大量に増備されたというのも、乗り入れ車両を雑多な車種で構成されてはかなわない
という大阪市交通局の思惑があったからです。
(そのあおりで2300系が神戸線で活躍した時代もあるのです!)
結果、3300系では3950形という増結用の新車を製造するかたわら、2300系を復帰させたり5300系の投入により捻出された3300系を編成替えして組み込むことで編成両数を増やしてゆくことになるのです。
結果2300系は、細切れにされ電装を解除されるということで他系列に組み込まれるということにはならなかったのです。

2800系が生き残れなかったわけ

 

阪急2800系

2300系を語るのに、その発展型というか弟分というか1964年にデビューした特急用車両2800系を無視することはできません。
なにせ、足回りは基本的に同じなのです。
しかし、2800系は、新しい特急用車両6300系に取って代わられ(1976-79年)3ドア車に改造。
それもつかの間、1988年には阪急の新系列高性能電車のトップをきって2817Fが廃車となります。
2897号機に至っては15年9ヶ月という短命さでした。(さよなら運転は1995年)
特急用の2連ユニット窓を残した姿がいかにも異端であったこともその理由かもしれませんが、特急用車両であったことからいち早く他の形式に先駆けて、1971、72年に冷房改造をしたこともその理由の一つです。
つまり試作車的要素が強かった2800系冷房改造車は、新造冷房車や後の改造冷房車と違い、冷風ダクトが天井から一段下がった特殊な構造となっていたのです。
それゆえ延命更新工事の対象にはならなかったのです。

対して2300系は、1981-1985年にかけて冷房改造工事を行いました。
2800系冷房改造車よりも10年以上遅れていたというのは、今更ながらに驚きです。
でも、この時にあわせて更新工事を行い、制御器も一新したのです。
この時期はというともはや京都線では7300系がデビューしていました。
その7300系が採用していた制御方式を界磁チョッパ制御というのですが、2300系更新車もこの方式を採用しました。
当時は、まだVVVFインバータ制御が本格的に採用される前で、大手私鉄を中心に、この界磁チョッパ制御を採用した車両が多数製作されています。
従来の抵抗制御の良さも活かした安価で定評のあるシステムだったからです。

そんなわけで生まれ変わった2300系更新車はますます元気になって京都線を駆け回ることになります。

2300系が齢50歳を迎え、廃車されるものも現れてきた時でさえ、2300系は外見も内装も他の系列に対し特に見劣りするところはありませんでした。
はっきり言ってしまうと6300系と9300系を除けばどれも乗客からしてみればそう大差はありません。
それだけ阪急電鉄のメンテナンスが優れていると言うことです。
最後まで老醜をさらすことのなかった2300系は幸せ者だといえそうです。

阪急電鉄2300系2319 急行梅田行き 
阪急電鉄2300系2319 急行梅田行き              淡路 2005.5

 

 

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参考文献;鉄道ピクトリアル 「特集 阪急電鉄」 No663 1998.12 /No521 1989.12 /No348 1978.5

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