高松琴平電鉄 デカ1 (珍車ギャラリー#089)

高松琴平電鉄 デカ1 (珍車ギャラリー#089)

ことでん車両図鑑(琴電のHP)によりますと、レトロ電車120号、300号は、
「2021年11月3日にさよなら運転後、仏生山工場で作業車として残り、車両入換作業等で運用の予定です。」とあります。さすればどうなるのだろう。
気になる車両があります。--デカ1です。
珍車ギャラリーでも取り上げておりますので、ぜひお読みください。

 鉄道車両は、その全てが営業線内にでてくるとは限りません。
車両基地や車両工場といわれるようなところで入れ換え作業に携わるのがお役目という車両もいます。
JRでいえばクモヤ145などがその例となります。
地方鉄道にもそういったお役目を引き受けている車両がいます。
限られた構内で、それも極めてゆっくりとしたスピードで走るだけですから高性能もへったくれもありません。
ちゃんと動いて停まりさえすればよいのです。そんなわけですから、かつてご紹介した、えちぜん鉄道のテキ6のように、はるか いにしえの車両が残っていることも多いのです。
今回ご紹介する高松琴平電鉄のデカ1ですが、彼もまたご老体ながらも、現役で活躍中です。
先日、彼の仕事ぶりをこの目で見ることができました。

琴電 デカ1

私とデカ1--

 私が、初めて琴電を訪れたのは、1979年だったでしょうか。
元阪神の881形である30形が丁度引退した時期です。
種々雑多な(失礼!)電車に交じって、デカ1も仏生山の車庫に留置してありました。
パンタグラフを降ろして眠っている姿のデカ1は、当時すでに車体の痛みも感じられ、いつスクラップになってもおかしくない状態に見えましたから、その時でさえ
「こんな電車も、残っているんだ。」
と、とりあえずシャッターを切ったのを憶えています。
以来、私は何回となく仏生山の車庫を訪れました。
でもデカ1の廻りには、いつも障害物が多く、あまりいい写真は撮れませんでした。
また琴電は、電車の博物館ともいわれるほどに、珍しい旧型車がたくさんいたので、そちらの方に目移りしていたのも事実で、デカ1は「おまけ」という感じでした。
しかし調べてみると、なかなか凄い経歴をもっていることがわかりました。
琴電にあって昭和32年生まれ程度では目立たなかったともいえますが、デカ1は古い部品を寄せ集めて自社工場で作られた車両です。
台枠に至っては11000形、すなわち戦前製のワフ25000(車両の半分が貨物室になっている2軸車掌車)を戦後譲り受け、電車(但しクハ=制御車)に仕立て上げたという驚くべき珍車。
それをなんと、二つつなぎ合わせたものだというのです。
(13000形無蓋貨車1320の台枠を前後に延長したという説もあり。)
そして台車については5000形がTcだったときのモノを電装したという説があります。
いずれにせよ、ミステリアスかつ骨董的価値を持つものです。
「よくもまあこんなものが、今も生き残っているものだ。」
と、やはり思わずにはおられませんでした。
でも、私は、彼が動いているところを見たことはありませんでした。
いつも忘れられたように車庫の片隅で昼寝を決め込んでいるのです。
ところが2007春、琴平行きの車内から、たまたま仏生山の車庫をのぞき込んでみると…。
なんとデカ1のパンタグラフが上がっているではありませんか。
恥ずかしながら私の心臓がドキドキしているのがわかりました。
「きっと…動く!」
はっと気がつくと、私は車庫横の駐車場に佇んでいました。
そして周りの電車の撮影を撮影し終えたその時、ゴロゴロとデカ1は動き始めたのです。

デカ1のお仕事ぶり--

 この日のお仕事は、京急電鉄出身の1080形(1084)を車庫から引っ張り出してフォークリフトが入ってこれるところまで移動するというものです。
フォークリフトはコンプレッサーを受け止めながら、これを外すとゆっくりと車体から取り出しました。
デカ1は、その後車体を①号線から、④号線に入れ換えます。
ツリカケ駆動の音は控えめでしたが、その際、ちゃんとタイフォンも鳴らしてくれました。
わずか数分で、デカ1は無事作業を終えました。
障害物のない写真を撮ることができた私は大満足です。
さて最後にデカ1は、パンタグラフを降ろすのですが、どうしたと思われますか。
なんと、先っぽに鍵の着いた塩ビの棒をパンタグラフに引っかけて、ひょいと引っ張り降ろしただけでした。
おそらくこれが主電源スイッチを兼ねているのでしょう。デカ1は、そのまま眠りにつきます。

デカ1 長寿の秘訣

 帰りの電車の中で、なぜデカ1が生き残っているのか。その長寿の秘訣をつらつら考えてみました。
まずは、シンプルで簡単な作業ではあっても、きちんとした仕事を少しずつやり続けていることが大事なのではないでしょうか。
仕事もないのに生かされていることは、無駄なことですし、人間にしてみれば辛いことです。
(いうまでもないことですが、この場合の仕事とは、対価として賃金を受け取ることとは限りません。)
一時的なことであっても、些細なことであっても使命があるからこそ、デカ1は手入れされ続けてきたのです。
一方で、その手入れが複雑で困難を極めるということになれば、お手上げと言うことになるでしょう。
でもデカ1には、高度なメカは一つもありません。
最低限の仕事をするために、シンプルを極めた構成となっているといっていいでしょう。
コントローラーも一つですし、パンタグラフだって前述したように、昇降装置にはバネと鍵しかありません。
壊れるも何も、壊れるもの自体が初めから少ないのですから、これほど凄いことはありません。

シンプルでスローであること

 高度医療の名のもと、ハイテク機材を駆使して検査を繰り返し、機械で命を永らえずとも、また薬漬けにならずとも、元気で長生きしている沖縄の離島のおバアを私はたくさん知っています。
彼女たちの長寿の秘訣は何でしょう。
それはおバア達の日々の暮らしにあると思います。
家族が止めても畑へ出て作業をし、祭りの時にはてきぱきと若い者に指示を出す。
そんなおバアは沖縄の村々にはなくてはならぬ存在です。
でも普段は、目を細めて孫やひ孫たちの成長を見守り、暑い夏には昼寝を決め込み、ゆっくりとした時間を過ごされているのです。
沖縄のおバアとデカ1を同様に語るのは失礼千万なことですが、私には、ともにシンプルでスローであることの大切さを教えられたような気がするのです。

高松琴平電鉄 デカ1再び、眠りにつくデカ1 写真はともに仏生山車庫 2007.4.4

初出:2007.4


琴電 デカ1 台車更新

2008.春? 更新工事が施されました。台車も3000形315号のものに取り替えられていました。
撮影:2018.1

2021/11/03追補

 

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