秩父鉄道 急行「秩父路」 急行「秩父路」は秩父鉄道の優等列車。 全車自由席ですが急行料金(大人210円・小児110円)が必要です。 2006年からクロスシート車である6000系が使用されています。 ここでは1969年から1992年まで「秩父路」として運転した300系。 1992年から2006年まで「秩父路」として運転した3000系もUPしました。 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大防 […]
1000系は、1986~89年に導入されたJR東日本(および国鉄清算事業団)のもと101系。(3連×12=36両) 1994~97年に冷房改造されました。ただし先頭車のみです。この件については、珍車ギャラリーでも取り上げていますのでこちらも是非ご覧ください。 →珍車ギャラリー 秩父鉄道 1000系 1006編成 また06Fの ①デハ1006 ②デハ1106 は、90系試作車として登場したものです。 […]
生駒ケーブルの歴史。 8月29日はケーブルカーの日となっております。 大正7年8月29日に日本初のケーブルカー宝山寺1号線(930m)を生駒鋼索鉄道が開業した日に由来します。 その名が示すの通り、もともと 宝山寺「生駒の聖天さん」への参拝客を輸送する目的で作られたものです。 なんと軽便鉄道法で開業しているのは意外ですが、開業初年度の乗降客数は144万人。 2年後には300万人を突破。と好調の波に乗 […]
日本車輛は 中京圏に本拠地を置く鉄道車両メーカーです。 そんなわけで地元の鉄道会社である名鉄や名古屋市交通局のほぼ全ての車両が日本車輛製なのは とても納得できることです。 ところが 名鉄も 名古屋地下鉄もアルミカーの導入には消極的でした。 名古屋市が1960年に5000系をようやくアルミカーで登場させたものの 名鉄にいたっては とんとその姿を見ることはありませんでした。 しかし、地元の供給先がどう […]
1000系はもと国鉄101系 100形や800系などの旧型車両を置き換えるため 1986年~1989年にかけて、国鉄(→JR)101系電車を譲り受 けたものです。 デハ1000形+デハ1100形+クハ1200形からなる3連で、×12本=36両が在籍します。 (国鉄時代はクモハ100形+モハ101形+クハ101形) 国鉄(→JR)の新性能通勤電車が、このように編成単位で,私鉄に譲渡された事例は珍しく […]
秩父鉄道は、明治34年 上武鉄道が 熊谷駅 – 寄居間を開業したのがルーツです。(社紋に名残が…) 大正5年に秩父鉄道に改称。羽生駅 – 三峰口間 全線開通したのは昭和5年で、その時点で電化路線となっていました。 かつては貨物輸送が収入の大半を占めていましたが、2006年にセメント輸送を廃止。 2020年 JRへの貨物乗り入れもなくなりましたが、秩父太平洋セメント三輪鉱業所 […]
パンタグラフにご注目。 上の写真をご覧ください。古典的な電気機関車ですが、パンタグラフがあがっていないのをお気づきになられたでしょうか。 実はこの11号機関車、隣のデ4号電源車に積み込まれたバッテリーの電気でもって動いているのです。 蒸気機関車における炭水車みたいなものだといいたいところですが、SLは炭水車がなければ動けません。 タンク式機関車はさておき、SL本体と炭水車は一体のものです。 対して […]
三井化学専用線 ルーツとなるのは明治24年に開業した三池炭鉱専用鉄道。明治41年以後、電化に着手、電気機関車を徐々に増やしてゆきました。(本線の電化完成は昭和7年) ここでは1997年4月に専用鉄道が運行を休止して以降、三井東圧化学専用線として2020年5月まで宮浦にある工場に原材料(硝酸)の搬入を継続した車両をピックアップしました。(三井東圧化学は97年10月に三井化学に商号変更) 12号機は1 […]
旅客輸送も行った三池炭鉱専用鉄道 三池炭鉱を国から払い下げをうけた三井鉱山は、明治22年専用鉄道の建設に着手、明治24年に蒸気鉄道として開業します。 明治41年、三池港が開削され輸送量が大幅にアップ。以後、電化に着手、電気機関車を徐々に増やしてゆきました。(本線の電化完成は昭和7年) 鉄道は当初、直営で運営されていましたが、大正7年には、三池港務所が担当するようになります。 1964年に地方鉄道「 […]
三池炭鉱専用鉄道の電気機関車 炭鉱節で有名な、三池炭鉱は、明治22年に、三井鉱山が国から払い下げをうけたものです。三井鉱山は、翌年、専用鉄道の建設に着手、明治24年に、蒸気鉄道として開業します。 明治41年、三池港が開削され輸送量が大幅にアップ。以後、電化に着手、電気機関車を徐々に増やしてゆきました。(本線の電化完成は昭和7年) 鉄道は当初、直営で運営されていましたが、大正7年には、三池港務所が担 […]