京阪電気鉄道 2200系2380番台(珍車ギャラリー#393)

京阪電気鉄道 2200系2380番台(珍車ギャラリー#393)

忘れた頃に追加された新車 京阪2200系2380番台。

京阪 2380形

同系列の電車で最も長期間にわたって製造されたのは何系でしょうか。
真っ先に考えられるのは製造されたその総数が3447両となる国鉄103系ですね。
1963年に試作車が登場し、トリとなる1500番台がその製造を終えたのは1984年です。
つまり21年間ということになります。
私鉄では、どうでしょう?
京阪2200系です。
1964年に登場し、トリとなる2380番台がその製造を終えたのは1985年です。
103系と同じく21年間ということになります。
103系に匹敵するとはすごいですね。
しかし103系の場合と2200系の場合には大きな違いがあります。

103系の事実上の後継車両は201系ということになると思われます。
もっとも201系の製造初年は-900番台の1979年ですので、103系と製造が併行して行われている時期もあります。
しかし少なくとも16年の間、103系は国鉄4ドア通勤形電車の最新型であり続けたわけです。
いってみればその間に大きな進歩は見られなかったともいえるわけで、それはそれで問題だったと思われますが…。

それはさておき、2200系の場合はどうでしょう。

2200系は1968年に一旦、生産を終了しています。
マイナーチェンジではありますが、翌年の1969年には7連固定の新造冷房車2400系がデビューしています。
そして2年後の1970年には5ドアアルミ車体通勤形電車5000系がデビューしています。
加えて、1983年には新世代車両というべき6000系も登場しているのです。
そう、21年の間に京阪は個性的な通勤形電車を次々と世に送り出しているのです。

2380番台は2600系30番台がベースとなる付随車2350形(T車)です。
その2600系30番台はというと1981年製ではありますが、特に目新しいものは何もありません。
2200系の一旦生産が終了して17年間。永い空白を経て2380番台は登場しました。

注目されることもなく、まさに忘れた頃に追加された新車でした。
いったいどういう経緯で生まれた車両なのでしょうか。
その前に2200系についてお話しします。

1964年 2200系登場

2200系は高度経済成長期の真っ只中である1964年に天満橋-淀屋橋間の延伸と乗客増加に対応するために製造されました。

各駅停車用に使用されていた高加減速車、スーパーカーこと2000系をベースに、新製時より付随車を組み込んだ経済車両(=製造コストを抑えた)となっています。
T車を組み込むため、モーター出力を130 kWとし歯車比は5.60としました。
空転対応機能を備えた制御装置「ACDF-H4155-576A」は抵抗制御ですが発電ブレーキ付きです。
台車は2000系で採用されたエコノミカル台車の発展形KS-73系(T車には緩衝ゴム式のFS-337系)。
1964~68年に製造された2200系は合計98両。まさに京阪の主力車両です。
7連8本・6連5本・4連3本に編成され、急行や準急を中心に、4連は普通用としても運用されました。

1971年。2200系は7連への組み替えが行われることとなりました。
急増する利用客に対処するためです。
この時、2201~2206及び2254~2256については運転台が撤去され、それぞれ2300形2329~2334及び2350形2369~2371に改番されました。
また余剰となったTc車3両(2251・2252・2253)については、
運転台を撤去の上2000系に編入、1972年にはそれぞれ2100形2156・2157・2158に改番されました。これらは後に2600系に生まれ変わることになります。

はじき出された車両をムダにすることはありません。
とことん使い倒すのが京阪の真骨頂です。

1974~76年にかけては、京阪線1500V昇圧化を念頭に冷房化工事が施工されました。
クーラーのスペースを確保するためパンタグラフを下枠交差型に交換しています。
1984年からは車体改修工事も施工されました。
その際、前面の貫通扉は非常口化され、種別行先表示器を新設するなど現状のイメージに近いマスクに改められています。
また中間運転台の客室化もなされました。
1500V昇圧にあわせ準備万端です。

1985年 2380番台登場。

1983年。架線電圧の昇圧により8連運転が実現できることになりました。
架線電圧が600V と低かった京阪線には最長7連という制約があり、8連運転は積年の宿願でした。

2200系の8連化のために2380番台(T車)が5両新製されました。
これが17年ぶりに新造された2200系です。
これで2200系は総勢103両の体制となりました。

ところで、当時最新鋭車であった6000系ではなく2200系を8連化したのはなぜでしょう。

それは、東福寺 – 三条間の地下化工事が進行中で、6000系を8連化したとしても、8連に対応していない京都方に乗り入れできなかったからです。
その完成(1987年5月)に合わせて本線全線で8連を運行する予定になっていたとはいえ、それまでの2年間、最新型車両である6000系が8連であるがゆえに稼働率を著しく落としてしまうのは、確かにもったいないですね。

でも、私には2380番台を新造する必要があったようには思えないのです。
8連が必要なら2600系4連を×2にすればいいわけです。
2200系でなければダメというのなら、2600系から2900形T車を引っこ抜いて8連化することもできたはずです。
加えて当時8両運転は朝夕ラッシュ時限定だったこともあります。
やりくり上手の京阪のことです。2年間、なんとか既存の車両でしのぐことができたような気がするのです。

8連化以後の2200系

普通から急行、臨時特急まで2200系はオールマイティーな運用で活躍してきました。
一方、案の定というか…6000系の8連化が推し進められ、2003年の8連運用減少により、2200系は全編成7連化され、余剰車が発生することになりました。

2007年から廃車が始まり、2359・2361・2362・2364が廃車となりました。
すべてT車です。8連化のために5両新製された2380番台(T車)に押し出された格好です。

2008年、2200系は2221Fを皮切りに次々と新塗装に変更され、面目を一新しました。
2010年には2210F・2217F・2222F・2224Fも新塗装化されました。
(京阪線車両は、2013年5月までに新塗装への変更を完了。)

ですが、その影で廃車が進められ、2010年には13編成あった7連は、2017年には7編成にまで、その数を減らしています。
そしてあろうことか。生き残った7連に2380番台の姿は無いのです。
2380番台を含んだ編成が狙い撃ちされたような結果になっています。
編成を外れた2380番台はすぐには廃車されませんでしたが、永く放置され2016年11月その姿を消しました。

京阪は車両を大切に手入れし、使えるものはこれを使い回すなどして、永く使い続ける鉄道会社だと思ってきました。
そんないい例として、珍車ギャラリーでは「10000系7連」をご紹介しました。
でも、こういう例もあるのですね。

もちろん結果論です。1985年当時、何もかもが右肩上がりという空前の好景気にあって、2380形がこのような憂き目に遭うとは誰も想像できなかったでしょう。
1987年以降、2200系は、車体改修工事で制御器を換装、界磁添加励磁制御化が行われています。
しかし、それも4編成でストップ。2200系は京阪で唯一の抵抗制御車編成と共存し続けています。
このちぐはぐさも無関係とはいえないような気がします。


2021年。京阪は3000系プレミアムカーの設置にあたり、3850形6両を新造することにしました。
3000系プレミアムカーの代替で編成を解かれた3750形はどうなるのでしょうか?
先日、京阪は9月25日にダイヤを変更すると発表しました。
昼間の本数が10分おきから15分おきに変更され約30%減、深夜の時間帯においてはこれ以上の大減量ダイヤです。
またもや余剰車がでるのではないでしょうか?
2380番台の悲劇だけは繰り返して欲しくないものです。

-鉄道車両写真集-
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