東武鉄道 2080系(珍車ギャラリー#084)

東武鉄道 2080系(珍車ギャラリー#084)

悲運のNEWフェイス -東武鉄道 2080系-

東武2000系  

 2080系の種車となる2000系は、昭和36年に開通した地下鉄日比谷線に乗り入れるため製造された車両です。
駅間距離が短く、結構高低差のある厳しい地下鉄路線にあって、なお高加減速運転するため、全電動車方式を採用しています。
同じく日比谷線に乗り入れる東急7000系や営団3000系は軽いステンレス車体を活かして4.0km/h/sの起動加速力となっているのに対して、普通鋼製の2000系は3.5km/h/sです。
しかし、主電動機はDRC1720系と同じ東洋製TDK-824(もちろん歯車比は6.31と高くトルク重視です)。主制御器も同じく多段式電動カム軸方式の日立製MMC-HTB-10C。
そしてブレーキはHSC-Dと、DRCゆずりのテクノロジ-で足回りを固めました。ライバルたちに負けてはいません。

さて、今からは信じられないことですが、その当初、彼らは4連でデビューしていました。

東武鉄道のターミナル浅草は、情緒あふれるいい街ですが、国鉄との連絡もなく、また都心からもずれているため、通勤客の多くは北千住から、国鉄線に乗り換えていました。
今でも賑わう北千住のことですから、当時の混雑は相当なものだったと思います。
これを緩和するため、また、都心へ直通するという便利さを求めて作られた日比谷線が順調に利用者を伸ばしていったのは、当然のことです。
さて、東武鉄道では、車両を増結することでこれに対応してゆきました。
開業3年後の昭和39年 2350-2250のユニットを組み込み6連化。
昭和41年には6連固定で新造された編成も登場しました。
そして昭和46年。さらに2550-2650のユニットを組み込み8連となります。
昭和36年以後、わずか10年で2倍増となったのです。
本来なら新形式の8連を導入し、古い車両は、バラして古い編成に組み込むのですが、10年間というのは新形式を開発するには短かすぎました。
また仮に出来たにせよ、営団そして東急との調整も必要だったということでこれも足かせになったでしょう。
単純に2倍なら、古い4両編成を二つ繋ぐという手もあります。
しかし、今さら6両連結の編成から3年ほどしか若くない2両ユニットを苦労して抜き取ることに、あまり意義が感じられなかったということもあるでしょう。
編成ごとにそろえた車番にも乱れが生じます。

結果、昭和46年製の新車が、昭和36年製の編成に組み込まれることになったのです。

2000系  8連
中目黒   ◇   ◇ 伊勢崎
2106 2206 2356 2256 2556 2656 2306 2406
S37 S37 S39 S39 S46 S46 S37 S37
2110 2210 2360 2260 2560 2660 2310 2410
S37 S37 S39 S39 S46 S46 S37 S37
2113 2213 2363 2263 2563 2663 2313 2413
S41 S41 S41 S41 S46 S46 S41 S41
Mc1 M2 M1 M2 M1 M2 M1 Mc2

*白抜きのものは、廃車。

野田線用として改造された2080系

 地下鉄線内は、地上に較べて涼しく、冷房化は遅れていました。
しかし直通運転する東武線及び東急線内では、やはり夏の暑さはこたえます。
東武鉄道は、冷房付きのステンレスカー20000系をデビューさせました。
昭和63年に、これを日比谷線に投入します。
東武としては、古い車両から順次、20000系に置き換えたいところですが、
前述のように古い編成にも新しい車両が組み込まれています。
これをこのまま廃車するのはあまりに惜しい。
そこでこれを有効利用するために作られたのが、2080系だったのです。

彼らの働き場所は、当時旧型車の更新車であった3000系が数多く働いていた野田線です。
同じく18m車である彼らにとって、ここは安住の地であるかのようにも思えました。
昭和46年に作られた新しい2000系は20編成分で40両。
2080系は6両編成でしたから、6編成は改造される予定でした。

 

2080系  6連
  ◇ 大宮
2181 2282 2381 2481 2581 2681
Mc1 M2 T1 T2 M1 Mc2
2560 2663 2556 2656 2563 2660

 

しかし実際には2編成作られただけでストップしてしまいました。
それだけではありません。
2080系は、昭和63年5月に製造されて後、わずか4年6ヶ月後の平成4年11月姿を消してしまうのです。

何がいけなかったのでしょうか?

まず考えられる答えの一つは、彼らが日比谷線を追われたその最大の理由。

すなわち冷房装置を持たなかったことです。
単線部分が約半分ほどを占めるローカル線の野田線にあって、2000系の高性能さは必要ありません。
6両中2両が電装を解除されました。それでも変電所の電源容量に不安があったということでしょうか。
あるいは2000系自慢の軽量車体では、その構体が冷房工事に耐えられなかったということでしょうか。

ツリカケ駆動の5050系が長生きしたワケ

平成18年12月。78系改造の更新車5050系が、引退しました。
78系は昭和28~36年製です。
これを昭和55年に改造した5050系はその後20数年の長きに亘って活躍を続けました。
思えば、21世紀になっても吊り掛けモーターの電車が、天下の東武鉄道で生き残ってきたわけです。
驚きです。
しかし彼らが生き残ったのにはそれなりの理由があります。
吊り掛けモーターの電車とはいえ冷房付きです。
車体のサイズも東武の標準車体である8000系に準じています。
大半の乗客にとっては違いは気にならないといっていいでしょう。
当然8000系の性能には及びません。
しかし、使用された線区では必要十分な性能を有していたということになります。

2000系の気概

 対して2080系は、日比谷線の後輩20000系のマスクに似せた左右非対称の近代的なマスクとなり、イメージを一新しました。
でも冷房は付いていないのです。この違いは決定的です。
また、全電動車方式であったものにT車を組み込んだことで調子が悪く、故障がちだったと聞きます。
日比谷線時代、営団3000系や東急7000系という俊足スプリンターの向こうを張って、
その高性能ぶりを遺憾なく発揮してきた分、痛みも予想以上だったのかもしれません。

彼らは、結局、持ち前の俊足を活かせず、乗客には
「なんだ。冷房もついていないのか。見かけ倒しだな。」と思われてきたのです。

…ひょっとしたら彼らは、2080系として生きながらえることを潔しとしなかったのかもしれません。
ステンレスカーである営団3000系や東急7000系に対し、
普通鋼製で、塗装もデザインも地味な彼らが誇りとしてきたのは、高性能な中身だったのですから。

初出;2007年2月4日

-鉄道車両写真集-
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東武2000系 2104 南千住駅

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