阪神電気鉄道 5101形(珍車ギャラリー#392)

阪神電気鉄道 5101形(珍車ギャラリー#392)

阪神5101形 -両運転台の新性能車-

阪神5101形 5108

新性能車で両運転台車といえばJR西日本の125系がそうですね。JR四国の7000系もそうです。
しかし大手私鉄で、となると事業用車や路面電車ならいざ知らず、営業路線に出ていたものはほとんどいません。
阪神の3301形か5101形くらいのものではないでしょうか。
今回の珍車は、この5101形です。
彼をご紹介するのに、阪神電車の歴史を紐解く羽目になってしまいました。
結構、おもしろいですから、おつきあいください。

開業時から速度違反

明治38年4月。
阪神電気鉄道は、大阪(出入橋) – 神戸(筒井通)間での営業を開始しました。
当初は軌道線(路面電車)として開業しています。
なのに電気鉄道となっているのは、当初から阪神が都市間交通として電車を走らせようという野心があったからです。
もっとも阪神間には国有の東海道本線がすでに存在しています。
阪神の創業者は当時の逓信省鉄道作業局(後、運輸省→国土交通省)が国鉄と並行路線となる私鉄についてこれを敷設を認可する見込みは低いと考えました。
ならば、これを路面電車扱いにして所轄官庁の違う内務省(後、建設省→国土交通省)から認可を取ろうという手を使ったのです。
縦割り行政というのは何かとデメリットが多いようですが、ここではそれを逆手に取ったわけですね。それだけではありません。
軌道というのなら道路上に敷設しなければならないところです。
ですが一部だけを路面区間(この場合御影や神戸など)とし、大半は専用軌道にするという奇策を用いました。

しかし、当時の軌道法において最高速度は8マイル/時(12.9km/h)とされていました。
うーむ、自転車より遅い。
普通に考えて、これだと大阪 – 神戸間(約30km)は3時間はかかりますね。
なのに阪神は、開業当初から所要時間を90分としました。
つまり表定速度20km/h以上で走ってたことになります。
これだけでも明らかな速度違反です。
当時、所要時間50分の東海道本線(大阪 – 三ノ宮)の停車駅は3駅です。
対して阪神は32駅も停車していたのです。
当時の車両には速度計がなかったとはいいながら、とんでもない速度違反だったわけです。

参考 現在の所要時間(昼間)
阪神:梅田―神戸三宮間:31分(直通特急)70分(普通)
阪急:梅田―神戸三宮間:27分(特急)43分(普通)
JR:大阪―三ノ宮間 :21分(新快速)、37分(普通)、

阪神急行電鉄という宿命のライバル

手段を選ばなかった甲斐あってか。
阪神電気鉄道の開業後、国鉄のこの区間の乗客は約1/3に減少したということです。

とはいえ軌道法ゆえ単行運転であった阪神電気鉄道にとって輸送力増強は容易ではありませんでした。
阪神間を四区間に分割、そのうち一区間を通過する電車を設定することでスピードアップ。阪神間58分運転とすることで輸送力をUPしました。
それでも、抜本的な解決策となると増結運転しかありません。
阪神は大正2年に申請を出しますが、認可されたのは大正10年のことです。
総括制御が可能な301形が投入され2両運転が開始されました。
その時、阪神は初の急行電車も設定しています。
矢継ぎ早の施策には理由があります。
大正9年に阪神急行電鉄(現阪急)が神戸本線を開通させたからです。
「速くて空いている阪急電車」は、梅田 – 神戸(上筒井)間を50分で結びました。
昭和5年、900形を導入した阪急は西宮北口にしか停まらない特急を新設。
昭和9年にはなんと25分で走破することになります。
梅田 – 三宮間で60分前後を要していた阪神は危機感を強め、
昭和8年までに併用軌道を廃して阪神本線の全線を専用軌道化、35分で走破する特急の運転を開始しました。
昭和11年。対して阪急も専用軌道化をすすめ、高架駅である三宮駅(当時は神戸駅)への乗り入れを開始しました。
同年、阪神も負けてはいません。神戸の中心地である元町への地下乗り入れを始めました。

さて、その時、あなただったらどちらを利用しますか。

有利な線形を活かす阪急に対し、阪神電気鉄道カーブ式会社はスピードでは勝てません。
「またずにのれる阪神電車」は4分おきというフリークエンシーサービスで対抗するしかありませんでした。
このことはとりもなおさず、列車の編成単位を小さくすることです。
実際のところ阪神では、戦前、戦後を通して旧性能車のほとんどが両運転台車です。
片運転台車だったのは1000形(2連×10本)に過ぎません。

ここでかつての阪神の車両についてみてゆきます。

大雑把ではありますが、阪神の車両史を振り返ってみましょう。

創業時の車両は見るからに路面電車というスタイルです。
阪急に対抗するべく、大正9年から12年にかけて導入された300系でさえ、木造車でポールを振りかざし停留所から乗客が乗降するその姿は路面電車そのものです。
しかし、その中身の充実ぶりは目を見張るものがあります。
制御器は、GE製のPC-5。
総括制御を可能にする間接制御器でスタート時にフルノッチにすれば、後は自動的に加速します。加えて手動加速の他系列車とも併結が可能です。
電動機はこれまたGE製のGE203P (37.3kw)。
台車はブリル27-MCB-1、またはBW78-25AA。
国産メーカーがこぞってコピーを作った定番の台車です。

そんなピカピカの彼らが10年あまりで姿を消してしまいます。
なぜでしょうか。

昭和8年に併用軌道がなくなり昭和11年には元町へ延伸されたと前述しました。
この区間は地下路線です。木造車である300系は入線できなかったのです。
そこで、鋼体化され1000系に姿を変えることになったのです。

300系に次いで登場したのは800系です。
主に急行用として用いられました。
参考文献で川島氏は彼らを800系と一括りにしておられたので右に倣えで800系としましたが、その形態からしても多種多様であり、語り出すと話が前に進みません。
でも私が確認した限り、そのすべてが両運転台車なのです。
もちろん急行が単行で走っていたわけではありません。
それを裏付けるように彼らのブレーキは自動ブレーキです。
これは応答性よりも保安度に重きを置いた長大編成に用いられたもので、国鉄でも長大編成の列車に用いていたブレーキシステムです。
単行が当たり前の両運転台車なのに自動ブレーキ?。
矛盾しているように見えますが、長大編成であっても1両単位で列車編成をきめ細やかに構成していた…これが阪神のこだわりなのです。

このように阪神では、古くから急行用車両を運用していました。
対して普通用列車はといいますと前述の300系改造の1000系を使っていました。
800系より古い木造車の更新改造車ですが、足回りは前述したように充実しています。
特にブレーキです。1000系では300系譲りのSMEブレーキを装備していました。
4両以上増結できないデメリットはありますが、応答性に優れた直通ブレーキです

私は学生時代。宴会帰りに西宮東口駅から阪神電車に乗車しました。
そのとき、普通列車が2両編成でやって来たのですが、これにはぶったまげました。
私は、当時、阪急を毎日利用していましたので、あり得ないと思いました。

阪急なら特急に乗り換えずとも、せいぜい大阪まで10分余分にかかるくらいです。
特急に乗り換えず、そのまま座って帰ろうというのはよくあることです。
しかし、阪神でそんなことをしようものならいくら時間があっても足りません。
何回となく追い抜かれる普通列車に乗ったまま目的地までゆくことはレアケースなのです。

阪神では大概、特急、急行に乗り換えるのが前提のダイヤが組んであります。
ですから短編成でも特に問題はないのです。
現在、阪神の普通は4連ですが、ラッシュ時はいざ知らず、普段座れなかったという記憶はありません。
つまり短編成しか組めないが、キビキビ走る1000系は普通列車にうってつけだったのです。
その伝統をジェットカーが受け継ぐことになります。

駅の数が阪急や国鉄に較べ圧倒的に多い阪神にあって、優等列車にリレーするダイヤは、スピードで後れをとらないために組まれた当然の施策といえます
しかし普通列車が、トロトロ走っていたのでは何にもなりません。
そこで阪神は起動加速度4.5km/h/s、減速度5.0km/h/sという、日本一の高加速減速車を登場させます。
これがジェットカーと呼ばれる5000番台の車両群です。
初代5000形が登場したのは1958年です。
今回ご紹介する5101形は、試作車である5001形(初代)の成果を反映し1959年より製作されたジェットカーの量産車で、その両運タイプとなります。
片運車の5201形と共に単車走行可能とし、それまでの1000形を置き換えました。

5101形のスペック

主電動機は軽量かつ高速回転が可能なTDK-859Aを4基を搭載しました。
駆動装置は直角カルダン駆動で歯車比は高加速を実現すべく(6.83) の高ギヤ比仕様です。
5001形(初代)譲りの起動加速度は4.5km/h/s、減速度は5.0km/h/s。
これは80km/hまで25秒で加速し、1kmを起動から停止まで1分で走破できる性能です。
台車は住金製のFS-207。
当時はまだまだ金属ばねが主流の時代に空気ばねを奢りました。
制御器は東芝製MM-10A。
5001形(初代)が搭載していたMC-3Aの全並列制御と異なり、よりきめ細やかな加速を重視した直並列制御に変更されました。
これらの装備により、スパルタンな運転であっても乗り心地を少しでも改善したいというこだわりが感じられます。

1960年、普通列車はすべてジェットカーに

5101・5201形の量産によりジェットカーは5001形を含めて32両が揃い、1960年9月には阪神本線の普通は昼間時、すべてジェットカーでの運転となりました。
(梅田-元町間;昼間時60分、優等列車の待避のない場合は45分運転)
さて、この当時、普通列車は3連。早朝深夜は2連が当たり前です。
しっかり1000系時代の運行形態を引き継いでいました。
両運転台の5101形に加え片運転台の5201形も単車運行を可能にしているのは至極納得できる所です。

 

1967年~昇圧 1974年~足回りを換装

架線電圧を直流600Vから1,500Vに昇圧するにあたり、5101・5201形とも単車昇圧方式で対応することとなり、1965年に昇圧改造が実施されました。
(その際、制御機器をMM-19Bに交換。)
5101形と5201形は、昇圧後も引き続き基本編成から増結車まで普通運用に幅広く充当されました。
しかし、高加減速運転は台車や主電動機、駆動装置などといった足回りに過度の負担を与えていたことから、1974~76年にかけ5101形3両、5201形13両に対し、台車をS型ミンデン台車であるFS-391に、モーターをTDK-8145A (90kW) に換装することにしました。併せて駆動方式も構造が複雑で保守が困難な直角カルダンから中空軸平行カルダンに変更することにしました。

冷房化はできなかった

1970年に始まった阪神の車両冷房化は、急行系車両からスタート。
1975年の3301形と7801形2次車の冷房改造を最後に冷房化を達成しました。
引き続き普通系車両の冷房化に取り組むこととなったわけですが、ストップがかかりました。
ジェットカー第1世代である 5101形, 5201形は冷房化できないという問題が浮上してきたのです。
高加減速を実現するために彼らは全電動車となっています。
加えて単行運転を可能にするため、ALL in ONEの仕様になっています。
冷房化するためには冷房機に加え電源も確保する必要があります。
彼らにそんな余裕はありませんでした。

結果、新造冷房車である5001形(2代)の新造による代替廃車が決定しました。

試作要素の強い「ジェットシルバー」の5201 – 5202が1977年に廃車
足回り換装工事未施工車は1979年までに、足回り換装工事施工車については、台車と主電動機を5001形(2代)に転用。
5101形は1980年に、5201形も1981年までに全車廃車されました。

阪神のアイデンティティーを引き継ぐもの

阪神は大手私鉄の中でも異色の存在です。
営業キロでいえば45.1km。山陽電鉄や神鉄にも及びません。しかし、
大戦中の合併にも与することなく孤塁を守ってきました。
2006年、阪神電気鉄道は阪急阪神ホールディングスの一員となりました。
今やあの阪急と呉越同舟となったわけです。時の流れを感じずにはおれません。
ですが、阪神は、戦災、台風、そして阪神大震災と、どこの大手私鉄よりも厳しい試練に曝されてきたのにもかかわらず、周囲に迎合することなく独自の鉄道文化を築いてきたことに変わりはありません。

その証人となるのが5101形でありジェットカーなのです。

参考文献 鉄道ピクトリアル 特集 阪神電気鉄道 No303 1975.2 No452 1985.8

-鉄道車両写真集-

5101形 5201形 5231形 5261形 5000系Ⅱ  5500系 5550系  5700系「ジェットシルバー5700」  へJUMP

5101形その後

5101形のうち5107 – 5110の4両については、
車体のみが高松琴平電気鉄道と京福電気鉄道福井支社へ譲渡されました。

京浜急行電鉄230形の足回りと組み合わせた琴電1060形は2006年まで使用されました。
いったん京福の旧型車の足回りと組み合わされた京福モハ1101形は1998年に豊橋鉄道1900系の足回りに換装、新性能化されました。
1両が2000年に事故廃車となりましたが、1両はえちぜん鉄道に引き継がれMC1101形として2014年まで活躍しました。

えちぜん鉄道 MC1102

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