JR九州 キハ66系(珍車ギャラリー#193)

JR九州 キハ66系(珍車ギャラリー#193)

2021年5月28日 JR九州は、キハ66・67形について6月30日に引退すると発表しました。
キハ66・67形は1975年3月、山陽新幹線の博多延伸に合わせて新製された気動車です。

当J鉄局では、「最も幸福な気動車たち」として、2011年2月にとりあげました。
あれから10年になるんですね。いよいよ彼らにも最期の時が来たようです。

もっとも幸福な気動車たち「JR九州 キハ66系シーサイドライナー」

2両ユニットで構成される気動車

電車については、運転に必要な機器を各車に分散し、編成毎に運行するのが基本です。
対して気動車は単独で運転できることが大前提です。
ですからどれとどれを組み合わせて編成を組むか。
については、その時でないとわからないのが普通です。
私が参考にしている「JR気動車客車編成表」には、当然、タイトル通り編成表が掲載されています。
でもそれは優等列車についてで、それも特定の日付のものです。
「何号車にグリーン車が付いているか。」
などはわかりますが、ジョイフルトレインでもない限り、車番までは特定できません。
ですから配置区別に調べるときはもっぱら配置表を参照します。
また「JR電車編成表」には当たり前のように付いている編成番号などもありません。

さて、気動車は電車のように機器を分散しないのかといえば、そうではありません。
キハ58系でいえば、2エンジン駆動のキハ58形は、サービス電源用エンジンを搭載するキハ28形と併結しないと冷房が効きません。
キハ40系にしても、オールインワンの両運転台付き車両、キハ40形はさておき、
キハ47形など、それ以外の車両はトイレなしの1000番台をトイレ付きと併結するなどの配慮をしなければなりません。
現在、JR東海ではキハ75形が、JR東日本においてもキハ111/112形などが、トイレの有無でユニットを組んでいます。

しかし、国鉄時代の気動車は、具体的にどの車番との組み合わせをするかは基本的に自由です。
電車におけるMMユニットのように半永久的にペアーを組むことなどは普通なかったのです。

そんな国鉄に2両ユニットの気動車が登場しました。キハ66形/67形の2タイプからなるキハ66系です。

直方気動車区に15ユニット、30両が投入されました。
時 折しも、1975年。山陽新幹線博多開業に合わせ、筑豊地区のイメージ一新を図るべく投入された意欲的な車両となっています。

日本初の冷房付き一般型気動車

一般型気動車としては、初めてとなる冷房装置を搭載し、座席も転換クロスシートとしました。
台車は、特急用気動車であるキハ181系のDT-40を改良した=DT-43(エアサス付き)台車を採用。
乗り心地もまずまずです。
エンジンは、DML30HSH。(440ps)。
これまた大出力エンジンで名をはせたキハ181系のエンジン=DML30HSC(500ps)を改良したものです。
ただDML30HSHエンジンは発熱量が大きく、キハ180形がそうであったようにラジエーターを天井にもってきました。
ただし、キハ66系では、これを連結面よりに集中させたので、分散型クーラーは取り付けられず、集中型のAU-75Cを搭載することになります。

デビュー当時、私もキハ66系に乗車したのを覚えています。
「特別料金を払わずとも、冷房付きのこんないい列車に乗れるなんて!」
と本当にうれしい気持ちになりました。
筑豊地区の皆さんもきっと同じ思いで、このキハ66系を大歓迎したと思われます。
そんなうれしそうな乗客の皆さんの表情をみるにつけてもキハ66系たちは大満足だったと思います。

キハ66系が与えた影響

そんなわけで、今一度写真をご覧ください。
117系電車(1979年~)とよく似た車体だと思われませんか。
117系は、私鉄王国関西に国鉄が真っ向勝負を挑んだ「新快速」用に新製された電車です。
この117系に採用された、デッキなし2ドア転換クロスシートの車体は、阪急2800系の影響といえなくもありません。
でも国鉄がこのスタイルを導入したのは、キハ66系あればこそと言う気がするのです。

キハ66系は1980年までは急行列車「はんだ」「日田」にも投入されました。
でも、キハ66系がその性能を遺憾なく発揮したのは篠栗線といえるでしょう。
博多と筑豊地区を結ぶ篠栗線は、筑前山手駅周辺から一気に山岳路線へと変化します。
そこでの力強い加速は、1991年3月のダイヤ改正から登場した高性能気動車キハ200系にも負けていませんでした。
そのスピードとアメニティがあってこそ、このルートが筑豊地区へのメインルートとして認知されることになるのです。
福北ゆたか線として電化されるに至ったその功労者は、キハ66系であったといえるのではないでしょうか。

このように新たな市場を開拓した功労者でもあるキハ66系は、直方気動車区に配置された15ユニットだけで製造を終えてしまいました。

なぜでしょう。

まずは製造コストです。
それこそ新幹線に乗客を誘導するなどプラスアルファの収益が望めない地域密着型の列車には贅沢すぎると考えられたのでしょう。
また、車体重量が重いことは、線路規格の低いローカル線への進出を妨げる原因となりました。
このような課題が、量産型の登場に至らなかった原因であると思われます。

このキハ66系の後継となるのはキハ40系です。
制御回路、変速機、ブレーキ方式などの基本構造は、キハ66系がベースになっています。
しかし、エンジンについては大出力型ではなく、台車についても、暖地向けの車両はコイル形に逆戻りです。
そしてなんと言っても冷房化が見送られたことは時代に逆行しているとしか言いようがありません。
当時の国鉄の経済力が疲弊しきっていたということなのでしょうが、このことがローカル線の衰退に拍車をかけたことは間違いないでしょう。

リニューアルされたキハ66系

さて、大出力エンジンのDML30HSHですが、やかましいことに加え、老朽化により、1993年からDMF13HZA に換装されることになりました。
私個人の好みとしては、キハ66系の、あのものものしい屋根上の機器がなんともカッコよかったのですが、新型エンジンの搭載により、ラジエーターは床下搭載となり、屋根上のファンとラジエーターは撤去されました。
しかし、新たに換装されたエンジンは、なかなか高性能のようです。
DMF13系エンジンは、国鉄キハ37形から搭載された直噴式直列6気筒の新系列エンジンで、もとはといえば、船舶用エンジンとして開発されたものです。
コストが安いことに加え、小型軽量で高出力。冷間時の始動性にも優れたものとなっています。
JRをはじめ第3セクターまで多くの鉄道会社で採用され、その発展型であるDMF13HZAは、前述のキハ200形にも採用されています。
なお改良が加えられてはいますが、JR北海道の新型特急気動車キハ261系にも同系列のエンジンが採用されています。

在来車との混結も可能となっているるキハ66系ですが、キハ66系は試作的要素が強い車両です。
たいてい試作車というものは異端であるが故に、疎んじられ、早くにその姿を消していってしまうものです。
ですが、キハ66系に限って言えば、それは当てはまりません。
他系列の気動車とは一線を画する存在であるが故にバラされて使用されることなく、相棒とともに期待された高性能ぶりを遺憾なく発揮しました。

そしてエンジンを換装し生まれ変わったときも、一台たりとも例外なく、仲間のすべてに、いいエンジンがあてがわれたのです。

2001年、前述の筑豊本線・篠栗線(現在の福北ゆたか線)が電化され、撤退を余儀なくされた時、
筑豊地区にが投入された30両全車が、こぞって長崎鉄道事業部に転属することになりました。
アメニティに優れた室内をもつ素性の良さに加え、軽量かつ高性能のエンジンに換装されていたことが再就職を可能にしたと思われます。
JR九州は、本当に車両を見る目があるなあと思います。

そして、シーサイドライナーとしてキハ200形とともに、大村線・佐世保線(早岐~佐世保間)長崎本線(長崎~諫早~湯江間)で活躍することになりました。

思えば、キハ66系は1975年生まれであり、古参であるといっても差し支えない国鉄時代の気動車です。
国鉄時代の気動車は、今やその数を大きく減らし、稀少な存在になりつつあります。
そんな中に、15ユニット=30両。
そのすべてが、同じ車番の相棒とともに、こぞって風光明媚な新天地で活躍できるなんて、キハ66系は何という幸せ者でしょう。

2006年3月。娘をハウステンボスに連れて行ってやった翌日、私たちは長崎へと向かいました。
乗車したのはキハ200でしたが、その道すがら、キハ66系シーサイドライナーに出会いました。

春の陽光を浴びて、走り去ってゆくキハ66系はとても幸せそうでした。

初出 2011年2月26日

 

-鉄道車両写真集-
JR九州 キハ66系 JR九州色/シーサイドライナー色
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